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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第一話 1年目 春 四月
21/196

四章 クォ・ヴァディス(1)

 四章 クォ・ヴァディス


                       1


 さて、このまま阪和自動車道に出て北上すると帰れるのだが、と俺は助手席の少女を盗み見た。

 少女は出会った時と同じく人形のような整った顔立ちに何の表情も浮かばせずに、じっと前を見つめている。

 この少女はこの仕事が終われば一人放り出されることを理解しているのだろうか。せめて年頃の子供の様に、何がしたいだのこれがしたいだの言ってくれれば、実行可能ならその願いを叶えた上で俺は満足して、どこぞの路上のごみ箱にでも放り出すことが出来るのだが、この少女は何を考えているのかさっぱり解らん。

 ガキの好きなもの、ガキの好きなものと口の中で呪文のように繰り返していた俺だが、ふと、道沿いに建てられた看板が目に入った。

 南紀白浜ア○ベンチャーワールド。

 これだ。

 そういえば今朝のニュースで双子のパンダの名前がどうとか言っていたぞ。これならこの子も気に入るかもしれない。よし、そうと決まればかの約束の地に行くぞ。

「パンダを見よう」

「はい?」

 少女は俺の口からいきなり飛び出した呟きしては大きい声に驚いたのか、眉を眉間に寄せたけげんな表情で俺を見つめた。

「パンダ、ジャイアントパンダ、大熊猫。せっかくここまで来たのに、パンダを見ずに帰っていいものか? いや、神が許してもこの俺が許さない。すべての南紀白浜を通る者達は、白黒の丸々とした巨大な珍獣を愛でるべきなのだ。そうだろう!」

 くわっと力説する俺に、少女は助手席のドアにへばりつくようにして勢いよく顔を上下に振って頷いた。

 良かった。そんなに嬉しいのなら俺も提案した甲斐があるものだ。やはり女の子はパンダが好きなのだ。

 急げば九時三十分の開園時間に間に合うはずだ。俺は207SWのアクセルを踏み込み、法定速度を上回るスピードでアド○ンチャーワールドを目指した。

 開演まで時間があれば三十一号線から三十四号線へ乗り入れ海岸線沿いに円月島や千畳敷、三段壁を観光してもよいのだが、今日は日曜の朝で、天気も快晴であることから道路は混むであろうと判断して、観光は諦めて南紀白浜空港線からアドベンチャーワールドへ急ぐこととする。観光は帰りにすることとしよう。

 で、努力した甲斐もあり開園1時間前にアドベンチャーワールドに到着した。が、チケット売り場はまだ開いておらず、あと三十分待たなければならない。

 うむ仕方ない、ここは大人しく待つとしよう。

 奇妙なことに、同じ頃に到着した何組かの家族連れは最前列である俺の背後には並ばずに、二メートルほど間隔を空けてそこから並び始めていた。

 ん、これは並ぶルールが決まっているのだろうか? 注意書きの看板の内容を確認するがそんな並び方するようには指示されていない。

「なんで、俺の背後に間を開けて並んでいるんだろう。俺は何かおかしいか?」

 疑問を隣で並んでいる少女に訊いてみる。

 少女は俺を見上げると、頭の天辺から靴の爪先まで視線を幾度(いくど)か往復させて困ったように眉を寄せた。

「……おかしくは無いと思う。だから駄目だと思う」

 なんじゃそりゃ、訳が分からない。

 取り敢えず、おかしい奴ではないよと間を空けて最前列に並んでいる家族連れに笑いかける。

 見よ、ハンフリーボガードの様なニヒルな笑み。

 ……余計に距離が空いてしまった。

 大人しくパンフレットでも読んでいれば良いのだが、生憎(あいにく)、それを売ってくれる窓口が閉まっている以上、俺はただ突っ立って窓口を眺め続けていた。

 どうも苦痛だ。俺は行列の出来る名店が苦手で、並ぶぐらいならカロリーメイトでも買って飢えを凌ぐ方を選ぶ。

 まあ、名店で飲み食い出来る金などないが。

 ぼんやりとしているとチケット売り場の窓口が開いたので、入場券を大人二枚を購入する。しかし、入園チケットは大人だが受け取る片方は子供なのだから釈然としない。

「君のだ」

 少女にチケットを渡すと「あ、有り難う御座います」と言って、しおらしく受け取った。俺が勝手に連れてきたのだから、礼を言われる必要はないのだが。かといって、仏頂面で「あいよ」と受け取られても困るから、まあ良しとしよう。

 そうこうしているうちに開園時間。柵が開かれもぎりの女の子が「ようこそ、アドベ○チャーワールドへ」と挨拶する。

 俺は半券とパンフレットを受け取ると、パンダの見られる場所を調べようとパンフレットを開いた。少女にも同じようにパンフレットを見ようとすると、その両脇を何組もの家族連れが走り抜けていった。

「何事?」

 顔を上げると家族連れは、でかでかと「双子パンダはこちら」と書かれた矢印に沿って通路を走り抜けている。

 これはまずい。下手をするとパンダではなく人垣を見物することになる。

「走るぞ」

 少女に一声かけてから、俺は矢印に沿って猛ダッシュをかける。

 幸いほとんどが子供連れで早く走れないのか、俺はたちまちトップ集団を追い抜いて双子パンダの見れる建屋の柵の前に到着した。

「いっちばーん」

 昔見たプロレスラーの様に高々と人差し指を上げる。子供か俺は。

 数分後、荒い息をついて家族連れに押されるように到着した少女は俺の姿を見失ったらしくらしく、心細そうに左右を見回した。

「おーい君、こっちこっち」

 俺の声が響いたのか、一斉に俺と少女へ視線が集まる。顔を赤くして人ごみを搔き分けて俺の傍へ寄る少女を俺は俺の前へ押しやった。

 ここだとよく見えるだろう。

 勿論、俺の後ろにいる子供達は俺の背中しか見えない。

 残念だったなガキ共、社会とは厳しいものなのだよ。

 アナウンスと共に男女一組の飼育員が、ほとんどサッカーボールにしか見えないパンダの子供を抱えて現れると、中腰になった少女が俺のジャケットの袖を引っ張った。

「子供が、見えないから、しゃがみませんか」

「はいはい」

 別に意地を張る必要もないので素直に少女の背後にしゃがみ込む。しかし俺の背中に当たる家族連れの圧力は結構、重いぞ。

 今日は双子パンダの体重測定を行う日らしく、中央に置かれた計量計の上の籠にパンダの子供を乗せようとするが、聞き分けが無いのか飼育員の手が離れると直ぐに籠から出ようとして、なかなか容易く体重を量らせてはくれないようだ。

 見かねたのか女性の飼育員が自分の抱えていたもう一方の子供を地面に置いて、二人掛かりで体重測定を始めた。

 観客はそんなパンダの姿が面白いのか、あちこちで歓声が沸いた。ついでに俺の背中への圧力も増大して、ちょっとばかり腰が痛くなってきたぞ。

 無事一匹目を測定し終えて飼育員が一息ついたとき、もう一匹が何故か後方でんぐり返しを始めた。

 そのパンダの予期せぬ行動に観客と少女から一際大きな歓声が上がり、俺の背中に掛かる圧力はどうしようもない程増大する。

 もう少女の両脇から柵に手をつき前に倒れ込まないようにしているが、先程から手が震えて両肘が悲鳴を上げている。動物園は体育会系か? ぬおおーと心の中で声を上げてひたすら耐える。

 少女は二匹のパンダに夢中なのか、柵から身を乗り出すようにしてパンダの予想出来ない行動に一喜一憂している。

 ついに俺の頭の中が赤と白の色彩に包まれ始めた頃、アナウンスと共に飼育員がパンダを抱えて退場していった。同時に背中の圧力も消え去る。

 満足そうな少女の表情を視界の片隅に捉えながら、俺は無理矢理、柵から両手を引っ剥がして引き揚げ始めた家族連れの背中を睨み付けた。

 お前等、俺がテロリストでなくてよかったな。

「やっぱり、女の子だな」

 俺の呟きに少女が「はい?」と振り返る。

「パンダが可愛くて我を忘れてただろ」

「そ、そんな事」

 顔を赤くして俺に背を向けた少女は、早歩きでパンダの柵の前から離れる。

「そんな事、ない」

 その後、園内をブラブラと散歩した。

 レッサーパンダをアライグマと間違えて、少女に可哀想な子を見るような眼で見上げられたり、ひとつ五百円のパンダ饅頭を買うか買わないか迷って少女に呆れられたりしながら過ごし、昼過ぎとなった。

「そろそろ出るか」

 意外ときつい春の日差しに、俺はサングラスの奥から太陽を睨み付けて提案した。

 普段、月光の下で生活する俺にとって、()の光は灰になりそうなほど熱く煩わしい。

 日差しを避けるついでに、アドベン○ャーワールドの中でも飯を食う事も出来るのだが、外に比べて割高で、いかんせん素寒貧(すかんぴん)の俺にとっては手痛い出費となる。ここは帰路の途中にSA(サービスエリア)でも寄って腹を満たすのが吉だろう。

「はい」

 少女の声が少し寂しそうに聞こえた。

 それもそうだろう。楽しいひとときはこれで終わり。外に出ると彼女にはつらい現実が待っている。

 俺は感傷を振り切り出口に向かって歩いた。

 背後から少女がついて来る小さい足音がするが、俺はその足音が途中で向きを変えていなくなっても放っておいて外に出るつもりだった。しかし、彼女はついて来て207SWの助手席に腰掛ける。

「さて」

 帰ろうか、と言いかけて口をつぐむ。

 この少女には帰るべき場所が無い。

 無言のままキーを差し込み捻る。

 207SWの低い唸りと共にこの仕事の最後の道行きが始まる。


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