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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第六話 運び屋の季節 1年目 冬 十二月
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おまけ アレクセイSIDE

 おまけ アレクセイSIDE


 アクセルを緩めると私の愛車であるラーダ・ニーヴァの四気筒一・六リッター七十二馬力エンジンは、馬力は少ないが意外と野太いエンジン音を響かせながら減速し始めた。

 この三宮(まち)は結構急な坂が多い。

 この車のような小型車では行き来に不安がる者もいるかもしれないが、フルタイム四輪駆動と千二百キロ程度の軽い車重、全長も四メートル程度なのでと細い路地が入り組んだこの街にはうってつけの車だろう。

「着きましたよ」

 後部座席の二人に声を掛けてから、私は運転席のドアを開けて車外に降り立った。

 私のニーヴァは3ドアである為、後部座席の二人を降ろすにはまず自分が下りなければならない。

 まあ、5ドアだろうが私の雇い主の安全を確保する為に、まず私が降りなければならないのは変わらないが。

 何時でも左腋に吊ったホルスターから愛銃のTT33(トカレフ)を抜き出せるように右手指先の力を抜いたまま周囲を見回す。

 私の微かな頷く仕草の意味を理解したのだろう、私の上司である赤毛の長身の女性が開いたラーダの助手席側のドアを盾にするようにして車外に姿を現した。

 百八十センチ近い長身を僅かに屈めて周囲を睥睨(へいげい)する姿は、それだけで威圧感があるだろう。

 それに目鼻立ちの整った美人だから、見る者にとっては冷たい戦慄さえ感じるのだ。

「オリガ。周囲に怪しい人影はありません」

「こちらも無いわ。【(ズヴェズダー)】、引き続き周囲の警戒をお願い」

 私の報告に上司であるオリガはひとつ頷くと、再びラーダの車内に長身を入れてもうひとりの乗客へ声を掛ける。

「マーシャ、外へ出て大丈夫ですよ。歩けますか?」

「気にしないで、大丈夫よ」

 オリガ。彼女は私の属する犯罪共同体【ウルカの民】で構成された組織【(クリェームリ)】の幹部であり、その組織を統括する主領であるセルゲイ・セレズニョフの養女である。

 そして彼女自身【慈悲深き手(ドーヴルィ ルーキ)】と呼ばれる暗殺部隊を指揮しているのだ。

 元々私は【ウルカの民】ではないが故郷であるロシアからこの国に流れたとき、この【シベリアの掟】を戒律とするこの組織に拾われた。

 腕を見込まれメエーチと呼ばれる老人の下で屋敷の警護の仕事に就いていたが、メエーチの急死と共にメエーチのもう一つの顔である【慈悲深き手】の部隊長を引き継いだオリガの部下となったばかりだ。

 私の名はアレクセイだが【ウルカの民】は本名ではなく幹部から頂いた称号で呼び合う。

 私は【(ズヴェズダー)】と名付けられたが、オリガは何故か名で呼ばれている。

 噂では【ウルカの民】の大幹部である長老達すら恐れる事を仕出かしたらしいのだが、それが何なのかセルゲイとメエーチに聞き出そうとしたのだが、彼等は固く口を閉ざしたまま語ろうとしなかった。 

 今の【慈悲深き手】の構成員はほとんどが女子だ。

 遠くロシアや東欧の国々から渡ってきた縁者を失った女子達は、運が良いかどうかは解からないがセルゲイに引き取られ、ある職業に就くと共に【城】内部での生活と【ウルカの民】の庇護を受けることが出来る。

 その中でも知力、体力ともに優れたものが【慈悲深き手】の一員として【名】を与えられ【ウルカの民】として新たな生を受けるのだ。

 オリガはそんな彼女達を冷然と使役しており、【慈悲深き手】に属する実の妹も他の娘同様に扱っている。

 そんな対応一つ間違うと容赦なく切って捨ててきそうな我が上司であるが、今日は彼女の違った一面を垣間見ることが出来た。


 ある来客を見送ってすぐ、警護人の控室で読書していた私に、オリガより内線で急な要件が伝えられた。

「【星】、夕方にマーシャを誘って【運転手(ヴァディーチリ)】の所へクリスマスの挨拶をする。予定を開けておいて」

「はい」

 承諾の返答を返して頭を下げた私は、内心困惑していた。

 【運転手】とは【ウルカの民】の幹部の一人であるマーシャの付けた、この街にいるブレードと呼ばれる運び屋の通り名であり、オリガもそれにならっている。

 【運転手】とオリガは先月に彼の仕事によるトラブルで対立してしまい、彼は仕事の依頼主を失い、彼女は部下である【慈悲深き手】の娘達五人を撃退される事となった。

 その結果、【(クリェームリ)】の古いメンバーで前【慈悲深き手】のリーダーである【(メエーチ)】と【運転手】の決闘が行われれ、【運転手】の勝利で決着する。

 オリガにとっては【運転手】は【城】に対して痛手を負わせた憎い相手であってもおかしくはない。

 それが、何故、彼等のクリスマスパーティーに顔を出すのか。

 私は【運転手】の住む海辺の倉庫街へ向かうラーダの車内で、それについて尋ねるとオリガは窓の外に眼をやったまま、私に答えた。

「奴は強い相手には強い。だが弱い相手には弱い。仕事以外で奴が我々と対立する事は無い」

「……」

 私は今日の昼過ぎに花束を携えて訪れた【運転手】の姿を思い浮かべた。

 何時もサングラスを掛けた飄々として掴み処の無い男。

 それが私の彼に対する印象だ。

 だが己が手に掛けた老人の守っていた門に花束を添えた時、

 また己のミスにより怪我を負った口の利けない少女に覚えたての手話で話し掛けた時、

 一瞬だけ彼の本心が垣間見えた気がする。

 それがオリガの言う弱さだろう。


 私は背広の内ポケットの煙草へ手をやった。

 たわいない昔話を覚えていた【運転手】にも驚いたが、懐かしい味のする煙草を私へのクリスマスプレゼントとして渡された事にも驚いたのだ。

  もっと驚いたのは、我がボスの酔った笑顔と受けた回し蹴りで海に放り込まれたことなのだが。

 この季節に海で泳ぐのは軍での訓練以来で、文字通り肝が冷えた。

 普段目にする事の無い上司の笑顔とその突飛な行動は、一体何が引き出したものなのか。

 底知れぬ深い青の、恐れさえ抱かせる光を放つ両眼を和ませ、きつく閉じられた口元を優しく開かせたのは今日がクリスマスだからだろうか。

 オリガはあの【運転手】に何を見たのか。

 寒中水泳の海水の冷たさを身体が思い出したのか、私はひとつ、大きなくしゃみをする音を星空の下、街中にこだまさせる。

「……気が緩んでいるぞ、【星】」

 マーシャに手を貸して車外に立たせながらオリガが叱責した。


 いや、それは貴女が原因ですよ。


 私は抗議を胸中のつぶやきだけに留め、マーシャのロシア料理店が入店する古い五階建てビルのフロアに通じる鉄門に手を掛ける。

 金属のきしむ音と共に、街灯の光を反射した軌跡を描きながら鉄門が左右に開かれる。

「おかしいわね。私が最後に出てきて戸締りを任されたのよ」

 マーシャが頬に手を当てて首を傾げたことに、私は異常事態を認識してオリガに視線を向けた。

 赤毛の上司が小さく頷く。

 私は歩を進めて鉄門を通り抜けビルのロビーに足を踏み入れた。

 古びた傘立てと赤い火災警報器、壁面に掛けられたビルの見取り図と回覧板。

 それだけで何の異常も無い事を確認した後、私は警戒したまま階上へ通じる階段を上がった。

 左脇の銃は抜かない。

 もしビル内の店舗に勤める店員の可能性があり、武器が目に触れて厄介な事態を引き起こすことは避けたい。

 二階階段の踊り場に出ると二階中央のフロアに通じる非常扉へ手を掛ける。

 ドアノブの回転は抵抗を示して私が二階に入ることを拒否した。

 次はマーシャの店のある三階。

 足音を立てない様注意をしつつ階段を上がり、二階同様に非常扉に手を掛けた。

 錠の引っ込む音と細く長い軋む音を立ててドアが内側に開かれる。

 薄く開けた隙間から、薄いオレンジ色の蛍光灯の光が私の足元に線を描く。

 誰かがいるのは間違いない。

 私は右手を背広の左懐に差し込んだままドアを開け三階に足を踏み入れた。

「……」

 見回すまでも無くマーシャの経営するロシア料理店の前に横たわった人影があるのを見て取ると、警戒を解いてその人影に駆け寄る。

「……?」

 人影の前に片膝をついてしゃがみ込み、その横たわった年齢の割に大柄な体躯を観察した。

 胸は上下しているし、微かに(いびき)を上げている。

「……報告するか」

 判断はオリガとマーシャに任せることとしよう。

 私が携帯電話で横たわった人影についてオリガに報告を終えると、すぐに階下から足音が湧いて大きくなっていった。

「【星】、【爺様(ヂェードゥシカ)】は何処に?」

 階段を駆け上がってきたのか、赤い髪をなびかせながら白磁の頬に僅かながら朱をのぼらせた上司に、マーシャの店の扉前に横輪わった人影が見えるように私は脇へ退いた。

 その人影を目にしたオリガはその傍らまで歩み寄り、珍しく困惑の表情を浮かべて見下ろす。

 当然だろう。私も同じような表情を浮かべたのだから。

 三階階段横のエレベーターの扉が開くと共に、マーシャの小柄で丸い姿が現れた。

「【星】、本当なの?」

 彼女はやや肉付きの良い両頬に手を当てて信じられないと声を上げて私の傍らに歩み寄る。

「信じ難いかもしれませんが、現に、そこに……」

 私はマーシャを引き連れて再び彼女の店の前に戻った。

 私、オリガ、マーシャの三人、それぞれが眉を寄せて人騒がせな侵入者を見下ろしている。

 その横たわった人物の傍らには空になったウオッカの瓶が転がり、かっては鳥の骨付き肉だったのであろう小さい腿の骨が数本入った紙箱が口を開けていた。

 おそらくそれらを一人で平らげたのであろう人物は、酔漢(すいかん)特有の赤ら顔を横たえた床の上に、こぼした涙の痕で床に染みを作って眠っているのだ。

 それだけならクリスマスを一人で過ごす寂しさに打ちひしがれて、仕方なく涙で床を濡らす侵入者がいた。それで済ますことが出来る。

「……でも、どうしてセルゲイがここにいるの?」

 その人物が、我らが【ウルカの民】の幹部であり、【城】を統括するセルゲイ・セレズニョフであることが問題なのだ。

 マーシャの口にした疑問は私とボスの疑問でもある。

 ウオッカの瓶。

 七面鳥のフライドチキン。

 一人でふて寝している【爺様(セルゲイ)】。

「……」

 三人ともその答えは解っているのだ。

「すっかり忘れていたわね」

「誰からもクリスマスの誘いを受けなかったのね。で、私たちを待つのにもくたびれて、此処で……」

 マーシャとオリガの言葉が全てを物語っていた。

「……あの、そろそろ起こしませんか。身体に悪いですよ」

「それは解っているが、起こすのに抵抗があるわね」

 どころか確実にひと騒動起きる気がします。

 オリガは形の良い眉を寄せて宙を見つめて考え込んでいたが、爺様を起こす決心がついたのか私に向き直り両肩に手を掛けた。

「【星】、私とマーシャは先に帰るわ」

「は?」

「私とマーシャは此処には来なかった。私とマーシャはクリスマスの買い出しの後、【城】で皆とクリスマスパーティーを楽しんでいた。貴方はパーティーの後、姿の見えない【爺様】を探してようやく此処で見つけることが出来た。ハイ復唱!」

「……」

 どうやら私のクリスマスはまだ終わらないようだ。

 この星空の下、皆に幸あらんことを。

 メリー・クリスマス。


 運び屋の季節 1年目 冬 十二月 完

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