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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第六話 運び屋の季節 1年目 冬 十二月
193/196

後編 狗狼SIDE(9)

                       3 


 俺がポートピアランドの中埠頭まで帰って来ると、ヘッドライトの光に俺の事務所兼倉庫兼住居の前に人影が佇んでいるのが浮かび上がった。

 俺は僅かな緊張をステアリングを握る両手に込めたが、距離が近付いてその人影が馴染の者だと解り俺は苦笑を浮かべる。

 その人物は荒ぶる港風に長いポニーテールに結わえた髪と黒いパーカーの裾をはためかせて、自分の居場所である倉庫を眺めている。

 俺は人影の脇を通り抜けて倉庫の脇にゴルフを停めた。

 降りて海風除けのシートカバーを被せてから人影の傍に歩み寄る。

「ただいま」

「お帰りなさい。ご苦労様」

 湖乃波(このは)君は倉庫から俺へ視線を移すと、風に吹かれて顔に張り付く前髪を払い除けながら眼を細めて微笑んだ。

「どうした? ひょっとして屋内(なか)で非常事態でも発生したのか?」

 そうなってもおかしくない奴等が屋内にいるからな。

 俺の問い掛けに、湖乃波君は笑みを浮かべたまま再び倉庫へ視線を移す。

「大丈夫。片付けも終わって、今はみんな、ぐっすりと眠っているから」

 湖乃波君のその眼差しと口元のほころびは優しく、まるで懐かしい何かを見ているようだった。

「毛布とタオルケットの数もなんとか足りたから、少し肌寒い程度で大丈夫だよ」

「そうか、朝起きて風邪でも引かれたら大変だからな」

 まあ、探偵は別の理由で風邪を引くだろうが。

「あんなに集まってくれるとは思わなかったし、食材が多くて助かったね。【魚政(うおまさ)】のおじさんおばさんや北浜の御婆さんの御蔭だね」

「まあ、遠慮や躊躇いとは無縁の奴等だからな。普段は厚かましくて辟易(へきえき)するんだが」

「向こうも狗狼(くろう)をそう思っているんじゃないかなあ」

 何が嬉しいのか湖乃波君の微笑みは増々深くなった。

 何時もは感情を表に出さない仏帳面なのだが、今日はよく笑顔を浮かべている。

「狗狼、私ね、クリスマスパーティーを開くのは初めてだったの」

 湖乃波君は後ろ腰に回した両掌を寒いさから守る様に重ねた。

「毎年、クリスマスはママと二人だったんだ。小さなショートケーキを買って二人で食べるか、ママの仕事が遅くて買えない時はホットケーキを焼いてそれを代わりに食べたの」

 いま、湖乃波君の瞳は視界に入る我が家ではなく、既に人の手に渡ってしまった、あの住宅で過ごした母親との日々が見えているのだろう。

「プレゼントはありふれた文房具で、たった二人の静かなクリスマス。……でも、温かかったよ」

 彼女にとっては二度と戻らない大切な夜なんだろう。

 ひょっとしたら湖乃波君にとってのクリスマスは、大事な思い出を胸に静かに過ごすことが望みだったのかも知れない。

 人と繋がるより、過去の幻想に身を委ねる事が許される。

 そんな夜が欲しかったのだろうか。


 欲しいに決まっているよな、乾 狗狼。

 お前ならよく解っているはずだ。


「でも、今日はカテリーナやマオさん、龍生(りゅうせい)君や静流(しずる)さん。みんなが来てくれて嬉しかった。もうクリスマスを祝う事など無いと思っていたのに、ママと一緒に居た時みたいに暖かかったんだ」

 俺は傍らの湖乃波君を見下ろす。彼女の黒瞳に浮かぶのは、孤独を求める虚無の黒では無く星を封じ込めた黒水晶の様に輝いていた。

「狗狼、私はみんなが好き」

 湖乃波君は母親と等しく大事な、彼等の眠る倉庫を愛しく見つめながら呟く。

 彼女はステップを踏むように踵を返すと、真正面から俺を見上げてきた。

「……狗狼は、どうなの?」

「……」

 俺はサングラスの奥にある俺の目が見えているかのような湖乃波君の優しい視線から目を逸らす。

 彼女がどんな答えを求めているのか、鈍い俺でもそれは解る。

 ただ、俺はそうなのだろうか?

 そう疑問を浮かべてしまうのだ。

「あ」

「ん、何」

 俺の漏らした声に湖乃波君がびっくりしたように問い掛ける。

「いや、まあ、何だ。そのクリスマスプレゼントだが間に合わなくてな。しばらく待ってくれないか? 中等部の卒業記念には間に合うと思うんだ」

 俺は先刻まで重要なことを忘れていた事実に、いささかばつの悪い思いを抱きながら湖乃波君に告白した。

「……」

「駄目、か?」

 俺は目を丸くしている湖乃波君に向けて両掌を合わせて拝むように頭を下げる。

 大人の女性相手ならプレゼントが思いつかない場合や先立つものがない場合、薔薇の花を一輪用意する安価な非常手段で胡麻化すことも出来るが、相手が年端もいかない女子だとそうもいかない。

 湖乃波君は右掌を己の口の前に持ってくると、堪え切れない様に唇の端を持ち上げた。

「大丈夫だよ、私もクリスマスプレゼントのことなんて忘れていたから」

「……本当に?」

「うん、ホント。お互い様だから」

 嘘か誠か、俺を気遣ったのか、それとも最初から期待していなかったのか、微笑んで見上げてくる湖乃波君の言葉を信じるしかないようだ。

「それに、ね」

 湖乃波君は再び軽やかに回ると俺に背を向けた。

 その視線は夜更けでも闇を照らす街の光より、小さいながらも明るい神秘的な冬の星空を見上げている。

「私、狗狼から、もうプレゼントを貰っているよ」

「?」

「とっても嬉しいプレゼント」

 弾んでいる湖乃波君の声とは裏腹に、俺は困惑を深めていた。

 全く心当たりが無いのだ。

 ケーキはオリガたちに手に渡った。

 魚スキの材料は【魚政】や商店街の面々が用意した。

 料理は湖乃波君や斑比(バンビ)、ジョセフィーナが調理して、俺は殆ど手伝っていない。

 つまり、今日の俺は何もしていないのだ。

「うーむ」

 解らん。

 どうやら大人の女性以上に、湖乃波君の年代の女の子も俺にとっては謎らしい。

 いや、女性という存在が世の男性諸君にとって謎に満ちているのだろう。

 だから男達はこのクリスマスの夜にプレゼントで悩んだり、自分の娘がいつか別の男性とクリスマスを祝うことを想像して寂寥感(せきりょうかん)にさいなまれたりするのだ。

 そう考えれば、俺の疑問などクリスマスに相応(ふさわ)しいひとつのクエスチョンに過ぎないのかもしれない。

 雲の見当たらない夜空と(まばゆ)い星と月。

 そして冷えた耳鳴りすら聞こえそうな空気。

 後は降り注ぐ純白の雪が足りないのだが、事務所の弱い暖房ではそこまで下がった気温に対抗出来ない。

 その結果、今夜事務所の床に雑魚寝(ざこね)している奴らが、そろって風邪を(こじ)らせかねないので雪化粧は勘弁してくれ。

「冷えるな。そろそろ事務所(なか)に入ろうか」

「うん」

 背広姿では海沿いの夜風はさすがに堪えるので俺は湖乃波君に中に入るよう促した。

 二人並んで事務所の扉の前まで歩く。

 聖夜(クリスマス)の魔法か、何時もと違う二人だったかもしれないが、あの事務所の扉を開けて中に入ると何時もと変わらぬ日常が待っており、何時もの二人に戻る。

 ふと、そんな思いが俺の脳裏に湧いて出たが、一時の気の迷いとして何事もなかったかのように扉のドアノブに手を掛けた。

「狗狼」

 湖乃波君が俺より一歩引いた位置で足を止め、俺を呼び止める。

 その声に含まれた何かにつられ、俺はドアノブを手にしたまま振り返り湖乃波君を見下ろした。

「……私達、家族みたいだね」

 その言葉の意味に、俺は呼吸を止めたまま湖乃波君の信頼したような視線と微笑みを眺める。

 俺に馴染みの無い言葉を紡いだ少女を見つめたまま、俺は言葉を返すことすら忘れた。

 そして、聖夜の終わりを湖乃波君が告げた。

「ありがとう。メリークリスマス」

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