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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第六話 運び屋の季節 1年目 冬 十二月
192/196

後編 狗狼SIDE(8)

「ふう」

 冬の澄んだ空気が、夜空の星の瞬きを鮮明に魅せている。

 蝋梅(ろうばい)の香りは優しく温かい。

 それなのに、苛立ちの混じった無力感が付き纏う。

 俺と美文(みふみ)さんが門扉(もんぴ)に近づくと自動で左右に開いたのでそのまま外に出た。

 背後で再び門扉の閉まる音がする。

「じゃ、あとは美文さんだな。駅までで良い、って無粋は無しにしてほしいな」

「いいんですか? 私のアパートは高倉台だから逆戻りになりますよ」

 高倉台とは兵庫県神戸市須磨区高倉台の事である。

「……学校のすぐ傍か」

「はい、徒歩で一〇分かかりませんよ」

 当然ながら学校とは美文さんが教壇に立ち、湖乃波(このは)君やカテリーナが学んでいる中高一貫校の女学校の事である。

「良い物件があったものだ」

「あまりにも近いから、先輩が泊まりに来ることも多いんですよ。私物もどんどん増えています」

 先輩とは富樫理事の事で、美文さんと富樫理事は彼女等の勤める学校のOGであり、二人の付き合いはとても長いものらしい。

 おっとりとした美文さんと活発な富樫理事、この対照的な二人がどのような出会い方をして友情を育んだのか興味があるが、それについては何時か話を聞く機会もあるだろう。

「じゃあ、俺もいつか泊めて貰いたいものだ」

「その時は、一緒に野島さんも泊めますよ。特別に(フランス)語の課外授業といきましょうか」

「喜ぶべきか、悲しむべきか微妙なところだな」

 後部座席のドアを開けた俺の軽口に、美文さんは悪戯っぽい笑みを浮かべながら切り返して後部座席へ身を乗り入れた。

 泊まったのは良いが、湖乃波君に大量なフランス語の課題が渡されても困るしな。

 俺は運転席(ドライバーズシート)に腰を落ち着けるとシートベルトを締めてバックミラーを覗き込む。

 美文さんの細い腰に後部座席のシートベルトが喰い込むのを確認してから、俺はアクセルペダルを踏み込んでゴルフを発進させる。

 国道二号線へ出て暫く走行していると美文さんが「先刻(さっき)は驚きましたね」と独り言を呟くように声を掛けてきた。

「……そうだな」

 美文さんが何を言いたいのかは解っている。

 俺達が目にした富樫母娘の現状について心配なのだろう。

 今迄、長年の友人にもそれを気付かせなかった母親と、そんな環境でも学校では清楚に、友人の前では活発な態度を通していた娘。

 他人に心配を掛けないよう二人共頑張り過ぎだ。

 そこまで母娘じゃなくてもいいだろう。

「何か出来る事は無いのでしょうか」

「……無いな」

 俺の無慈悲な回答に、美文さんが車外に向けていた視線を俺の背へ移す。

 一番確実な手段は富樫理事とあの旦那が離婚して別れる事だ。

 富樫理事も愛情など冷めていると語っていた事から既に離婚届を渡しているのだろうが、それに判を押して認める事を旦那が拒否しているかもしれない。

 何かあれば裁判沙汰に持ち込む事も出来るが、現状で部外者たる俺に何か出来る事は、何一つ無いのだろう。

  結局、俺に出来るのは有事の後始末なのだ。

 屍肉(しにく)(たか)(むし)、いや、腐肉を喰らう野良狗(のらいぬ)である事をつい忘れそうになる。

 俺は蝋梅の香りが漂う庭先で目にした、勇人(ゆうと)と呼ばれたカテリーナの婚約者を思い出す。

 あの青年が激高してカテリーナに浴びせようとしたワイングラスの中身は、俺が彼女の肩を引く以前に、彼女から僅かに離れた地面に降り注いだ。

 俺は勇人が酔って、手元が狂ったのだと、その時はそう思った。

 しかし、勇人の殴り掛かってきた手首を捻り上げ背中に回った時、あれだけ距離が近いにもかかわらず、彼の吐息からアルコール臭は嗅げなかった。

 酔ってもいない者が、家族の恥部ともいうべき事情を赤の他人の前でさらけ出すだろうか。

 その真意は何だ?

 それを推し量るにはまだ材料が足らず、俺はカテリーナを取り巻く状況に対する憂鬱(ゆううつ)を吐息に込める。

  クリスマスとはいえ夜も此処まで更けてくると行き交う車両もまばらであり、すんなりと国道二十八号線から県道二十八号線を通り抜けて二〇分程度で美文さんの借りたアパートの前に到着することが出来た。

 彼女の住むアパートはベージュの外壁に洒落た波打つ窓枠が目を引くモダンな外見で、確かに彼女の様な女性の好みそうな物件だ。

 ゴルフから降りて周囲を見回す。

 確かに彼女の務める湖乃波君の学び舎が視認できる距離にあり、以前、一緒に六甲山牧場へ富樫理事、カテリーナ母娘を交えて遊びに行った折、学校が待ち合わせ場所だったのも納得出来る距離だ。

「羨ましいな。此処ならギリギリまで惰眠(だみん)を貪れる」

「そう良いことでもありません。近いので遅くまで仕事を押し付けられることもあります」

「その時は君の先輩に待遇改善を申請すればいいじゃないか」

「仕事を押し付けてくるのが、その当人なんです」

「……困った先輩で上役だな」

「本当に、そうですね」

 そう答える美文さんはちっとも困っているように見えず、逆に楽しそうなのが微笑ましかった。

「じゃ、お休み。今日はお疲れ様でした」

「え、あ、あの、待って、下さい」

 労いの言葉を掛けてゴルフの運転席のドアを手に掛けた俺の背へ、美文さんが戸惑った様な声を掛けて来る。

「あの、夜も遅いですし、その、よろしければ眠気覚ましの珈琲でも飲んでいきませんか」

 俺はドアレバーから指を離して美文さんへ向き直った。

 美文さんの、俯いて栗色の前髪に半分ほど隠れた顔を見下ろす。

「……嬉しい申し出だが、今日は辞めておくよ」

 肩を竦めて苦笑を浮かべる俺の姿が、少し驚きの表情を浮かべて顔を上げた美文さんの眼鏡のレンズに映り込む。

「上がり込むと長居をしてしまいそうだ。湖乃波君に独りでパーティーの後片づけを任せるのもバツが悪いんでね」

 美文さんは眼を見開いて俺を見上げていたが、俺の言葉に笑みをこぼして眼を細める。

「珈琲は別の機会に。クリスマスなのに気を遣わせて悪かった」

 俺は踵を返して片手を振る。

 今日の俺は、湖乃波君のいる事務所兼我が家で聖夜を過ごす。

 それでいいじゃないか。

「お休みなさい。優しいお父さん」

 俺の背に掛けられた美文さんの言葉は称賛か、それとも皮肉か。

 俺はゴルフのドアを閉じて彼女への未練を断ち切ると、アクセルを強めに踏んで港の倉庫街へ向け帰路に着いた。


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