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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第六話 運び屋の季節 1年目 冬 十二月
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後編 狗狼SIDE(7)

 踵を返して部屋の出口へ向かおうとする俺の黒背広(ジャケット)の裾に、僅かな引っ掛かりを感じて視線を背後に振り向けた。

「?」

 カテリーナが俺のジャケットを引っ張る様に指を掛けている。

 しかし、カテリーナの表情には何時もの悪戯っぽい笑みは浮かんでおらず、俯き加減で唇を引き締めていた。

「……どうした?」

「……ちょっとだけ、いい?」

 そう言うとカテリーナはジャケットの裾を離すと、俺の背へ抱き付き腰前に手を回す。

 ジャケット越しには彼女の体温、そして微かな震えが俺の背へ伝わって、俺の抗議を喉奥に留めた。

「……」

「……ゴメン。ヘンなところ見せちゃったね」

 庭での彼女の義理の父親と婚約者である三男とのやり取りの事だろう。

 あの勇人(ゆうと)とかいう三男の言葉を信じるなら、カテリーナの父親はカテリーナに懸想(けそう)しており、カテリーナと富樫理事はそれに気が付いている。

 おそらく富樫理事とカテリーナが母屋ではなくこの離れで暮らしているのもそれが原因に違いない。

 あの押しの強そうな父親も、別居状態の三番目の妻の下へ用も無いのに押しかけるわけにはいかず手を(こまね)いているのが現状だろう。

「ママが帰って来ている時は此処(ここ)に避難しているけど、帰りが遅い時は帰ってくるまで外で時間を潰しているんだ。此処に無理矢理押し入って来そうで怖いから」

 ある秋の日、ファーストフード店で所在無げに座っていたカテリーナの背中が脳裏に浮かんだ。

 そして元町の商店街で遭遇した時に、色々と買物や食べ歩きに連れ回されたことも思い出す。

 その理由も俺の考えている通りなんだろう。

 衣食住が足りていても、幸せじゃ、無いんだろうな。

「……だから、今日も怖かった。弱みを見せないで取り繕うのが精一杯だった」

 俺の知る彼女は太陽の様に笑い、好奇心旺盛なライオンの子供の様に行動的。

 学校や義父(ちち)と兄に対して見せる慇懃無礼な仕草は彼女を守る鎧なんだろう。

「……強くなりたいよ、クロさん。私は強くなって、私と大事な親友を守りたいの」

 腰に回されたカテリーナの手に力が込められ、背中に彼女の頬が押しつけられる。

 多分、俺の思っている以上に世界は残酷なんだろう。

 力の無い少女はこうやって泣く事しか許されていない。

 美文(みふみ)さんがカテリーナの肩に手を掛けようと、おずおずと手を伸ばすのを俺は首を振って押し留めた。

 慰めの言葉など、カテリーナや湖乃波(このは)君の手助けにはならないからだ。

 背中から感じる体温に僅かな湿り気を感じる。しかし俺は其れを留める方法など思い浮かばない。

 ただ、嵐が落ち着くのを待つ、力無い人間に過ぎない。

「……御免なさい、クロさん。ジャケット汚しちゃったね」

 しゃくりあげる仕草が止まった頃、消え入りそうに響いた背中からの声に俺は苦笑を浮かべて首を振った。

「気にするな。今日はクリスマスだからな」

「……うん、うん」

 

「馬鹿よね、クロウ」

 過去からの声に俺は此処に居るはずの無い人達へ視線を向ける。

 黒いコートに波打つ長髪姿の女性が嘆息した。

「私達に出来るのはそんな事じゃないのに。また余計な事を考えて、余計なものを背負おうとしている」

「……日頃、言っておいたはずだぞ。そんなことが出来るのなら私達は此処にはいないと」

 コート姿の女性に続けて、黒のベストに肩から銃剣を下げた壮年の男、在りし日のメエーチが俺に警告する。

 その傍らに立つ前髪を長く伸ばして左目を隠したブレザー姿の少女が、泣き笑いの様な困った表情で俺に笑みを向けた。

「ふふ、困ったちゃんだね、クロウは」

 ああ、それは良く知ってる。


 腰に回された手が緩められ、カテリーナが一歩だけ後ろへ下がる。

「クロさん、美文さん。今日、此処で起こった事は秘密だよ」

 深い緑色の瞳を片方だけ閉じると、彼女は何時ものような悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 此処では何も起こらず、俺達はただカテリーナと富樫理事を送って来ただけ。

 全ては無かった事だ。

 カテリーナの笑顔に美文さんは唇を噛み締めて(うつむ)くしかない。

 強いな。

 君は十分強い。

 大人は強いのではなく単に(ずる)いだけなのだ。

「うちの事務所で湖乃波君の勉強を見てくれるなら、いつ来ても構わんよ」

 カテリーナが俺を見上げて来る。

「俺は運び屋だから、富樫理事が許してくれるなら君を家まで送り届けよう」

「何時でも許すわよ」

 ベッドからの声にカテリーナが短く声を上げる。

「……いつ目を覚ました」

「さっきよ。娘の泣き声がしたから目が醒めちゃった。泣かせたのは乾さん?」

 じろりと俺を見上げる母親の視線に、俺は苦笑を浮かべるしかない。

「うん、そう」

 隣でカテリーナがぺろりと舌を出して答える。

 おいおい。

「クロさんが、何時もと違って、ううん、何時もよりもっと優しかったから、つい泣いちゃった」

 富樫理事はニコニコと笑顔を浮かべるカテリーナを憮然とした表情で見上げてから、ふうっと息を吐く。

 富樫理事の右手がカテリーナの手首を掴んで引き寄せると、カテリーナはベッドに寝そべった富樫理事の胸の上に倒れるように引き寄せられた。

 富樫理事は胸の谷間に収まったカテリーナの頭を抱き締めると、両手の指で乱暴にカテリーナの金髪を搔き回す。

 サイドテールに結わえられたカテリーナの鮮やかな金髪の房が、室内灯を反射して何度も飛び跳ねる。

「ち、ちょっとママ、止めてって、くすぐったい」

「全く、娘が母親に気を使わない。私は貴女に対して気を使ったりしないから、貴女も遠慮しないこと。そう約束したでしょ。全くもう!」

 富樫理事が、めっ、と優しく念を押してからカテリーナを開放すると、カテリーナは起き上がって髪を結わえたヘアカフスを外して唇を尖らせた。

「ママ、酷いよ。髪がくしゃくしゃじゃない」

 言葉とは裏腹に口調は明るく弾んでいる。

「じゃあ、後で一緒にお風呂に入りましょ。髪を()いてあげるから」

 なんと。

「あの、富樫理事。実は俺の髪は少々癖毛で、無理やりポマードで寝かしているんだ。俺の髪も梳いてくれると」

「却下」

 でしょうね。

 しかし、仲の良い母娘(おやこ)なことで。

 富樫理事がいる限り、カテリーナの身は安全かもしれない。

 俺は多少は救われた気になり、苦笑を浮かべる。

「さて、振られついでに、そろそろお(いとま)するか」

「そうですね」

「悪いわね。呑み過ぎちゃって」

 富樫理事に俺は気にするなと右手を肩まで上げて軽く振った。

「いやいや、貴女の酔った姿を見て、ますます惚れ直した。いつか二人で飲める日が来ることを願ってますよ」

「あら、その日は誰が私を送ってくれるのかしら」

 泊りという選択肢は、彼女の頭の中に無いのであろうか。

 見送ろうと身を起こす富樫理事を、カテリーナが慌てて止める。

「あ、ママは休んでいて。私が見送るから」

 一礼してから富樫理事の部屋を出る俺と美文さんの後を追うようにカテリーナも廊下に出た。

「……ママに惚れ直したって、ホント?」

 玄関に腰かけて靴を履く俺へ、カテリーナは上から覗き込むようにして問い掛けてくる。

 俺の額に掛かった彼女の金髪がこそばゆくて、俺はわずかに目を細めた。

「本当だ。俺は美女には噓を吐かない」

「ホントかなぁ……」

「ああ、ホントもホント。久美(くみ)様、私は貴女の忠実なる下僕です。会う度に言いそうになるんだ」

 正直言って、俺は美女に会う毎に美女に惚れ直している自信はあるぞ。

 俺も自分の、この懲りない性分をどうにかしなければならないと思っているのだが、そもそも人類繁栄の為に五百万年に渡り繰り返されてきた行為に対して、たかだか四〇数年しか生きていない俺が太刀打ち出来ると思うこと自体間違っているのではないか。

 そんな悟りにも近い感想を俺は抱き始めている。

「じゃあ、美文はどうかな?」

「当然、惚れ直しております!」

「ダメ過ぎて清々しいわ」

 呆れながらも笑みを浮かべるカテリーナと困り顔で笑みを浮かべる美文さんに、俺は不敵な笑みを返すと腰を上げた。

 カテリーナも三和土でサンダルに履き替え、引き戸に手をかける。

「此処までで、いい」

「え?」

「富樫理事が酔って身動きが取れない事を、君の父上も知っているだろう。だから庭に出るのは止めておくべきだ」

「……あ」

「鍵を掛けて今日はぐっすりと休んでおくといい。メリークリスマス。良い夜を」

「じゃあ、さようならカテリーナ。メリークリスマス」

「……うん、メリークリスマス」

 引き戸を閉じながら、その向こうにいる少し寂しげな少女の視線を断ち切る。

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