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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第六話 運び屋の季節 1年目 冬 十二月
190/196

後編 狗狼SIDE(6)

「クリスマスの来客があるにも拘らず、出掛けたかと思えば泥酔して帰って来るとは。全く、家内がご迷惑をお掛けて申し訳ありませんな」

 前半は俺の肩でうつらうつらと舟を漕いでいる富樫理事に、後半は俺に向けた言葉であろう。

 男は神経質な大企業の重役を思わせる細い眉と両眼に侮蔑の色を滲ませて、富樫理事を見下ろしている。

 これこれ、自分の奥さんをそんな目で見てはいかんよ。

 おそらくこの男が富樫理事の愛の冷めた伴侶だろう。確かに愛情などお互い欠片も残っていなそうだな。

「いや、お詫びするのは私の方で。車で送るから大丈夫と、彼女に強いお酒を勧めてしまいました」

 俺は男の富樫理事に向ける視線に反感を覚え、よせばいいのに口を挿まずには居られなかった。

「日頃、気苦労も多いのでしょうね」

 俺の言葉に富樫理事の亭主は一瞬呼吸を止めて俺を睨みつけたが、俺はレイヴァンを掛けていて解らないだろうが平然と見返す。

「……失礼ですが家内とはどのような御知り合いで?」

「ああ、申し訳ありません。私はご息女の親友の保護者です。何時も娘が世話になっております」

 富樫理事を肩に担いだまま深々とお辞儀すると、美文(みふみ)さんも同じようにお辞儀する。

「それはそれは。ただ、家内も娘も忙しい身で今日も来客の予定があったのですよ。出来れば事前に連絡頂きたく、お願いしたいですな」

「パパ! 今日は私が無理を言って」

「来客ですか。見たところ、この家に煙突はありませんが?」

 カテリーナが眉を吊り上げて口を開いたが、俺はそれを遮るように本宅の瓦屋根に視線を移して亭主と背後の男達に問い掛けた。

「何ならクリスマスパーティーの仕切り直しをしてはいかがでしょう。サンタクロースなら少しの時間を頂けたら呼ぶことも出来ますが」

 トナカイなら今すぐでもOKだぞ。

 サンタは、起きていたらいいが。何しろスピリタスを煽っちまったからな。

 俺の問い掛けに、亭主の顔色が赤くなる。

 どうやら何処の馬の骨と解らない輩に馬鹿にされたと思ったらしい。

 まあ、からかっただけで馬鹿にしているのではないが、訂正する気は毛頭無い。

「違います。今日はある先生がお迎えする予定だったのですが」

 父親の癇癪(かんしゃく)を恐れたのだろうか、背後に控える男達のうち、もっとも年上であろう男が取りなすように口を開いた。髭を生やすと父親と瓜二つなことから長男だろう。

「肝心の主賓が直前に出掛けて断らざるを得なかったんだ。何しろ」

「自慢の娘のお披露目だからな、父さん」

 他の男達と異なる若い青年は、ワイングラスを手にしたまま自嘲するように唇を歪めた。

「不出来な三男と違って、引き取った娘は容姿端麗(ようしたんれい)な才媛でお金持ち。将来は三男の婚約者としてこの家と会社を盛り立てていく予定。そう紹介したかったんだろ」

「黙りなさい勇人(ゆうと)。客人の前だぞ」

 俺はカテリーナへ視線を向けた。

 彼女は(うつむ)いて唇を噛み締めている。

 そういえば湖乃波(このは)君から聞いたことがある。カテリーナの未来は既に決められていると。

 父親の制止は三男であろう青年の気に障ったのか、彼は酔い以外にも白い顔に朱を(のぼ)らせてカテリーナを睨みつけた。

「父さんも嬉しい誤算でしょう。御金目当てで引き取った子供がこんなに美しく成長するのだから。息子の嫁にして手元に置いておきますか? 何時かは四番目の妻として迎えるんですよね。でもね」

 勇人と呼ばれた青年は、カテリーナに人差し指を突き付ける。

 それは妹に対する兄の仕草とは思えない程、視線と指先に怒りと悪意が限界まで込められて爆発する寸前の様に小刻みに震えていた。

「コイツは今日、どれだけ嬉しそうに出掛けて行ったか、父さんは知らないでしょう。それでこんなに遅い夜更けに帰って来たのは、父さんが手を出す前に誰かさんの御手付きになっているに決まってますよ。そんな女と婚約させられる惨めな俺の立場、解ってくれます?」

 下卑(げび)た笑みを浮かべて父親に食って掛かる青年の言葉に、俺は美文さんへ富樫理事をもたれ掛けさせると、奴を黙らせようと一歩踏み出す。

 しかし、俺の進路を遮る様にカテリーナの背中が割って入り、その後の打撃音に俺は足を止める。

「兄さん、自分の不甲斐無さを私のせいにしないで下さい。貴方が腹を立ててるのは父親に期待されていない貴方自身でしょう」

 カテリーナは勇人の頬を張った右掌を守る様に左掌で包みながら、勇人をを睨み付ける。

「……な、お、お前」

 勇人は一瞬の自失の後、身体を震わすと奇跡的に中身がこぼれずに済んだワイングラスをカテリーナに向けて閃かせた。

 俺はカテリーナの肩を掴むとワインがかからないように軽く後ろへ引っ張り、ワインはカテリーナから大きく反れて誰もいない地面を濡らしただけに留まる。

「っつ、この売女(ばいた)!」

 それが勇人の感情を逆なでしたのであろう。彼は激高したのか右拳を振り上げるとカテリーナへ向けて突っ込んで来た。

 俺はカテリーナへのびて来る伸びて来る勇人の右拳を、左の手刀で手首を叩いて軌道を反らせると、そのまま手首を掴んで奴の背中に回り込みながら腕を捻り上げる。

「は、放せ!」

「?」

 俺は勇人の抗議の声と同時に感じた違和感に戸惑い、捻り上げた右手を解放した。

「……男は淑女(レディ)に手を上げたらいかんよ」

五月蠅(うるさ)い。お前が彼奴(コイツ)の相手なんだろう」

 だからガキは苦手なんだって。

 懲りもせず今度は俺に向かって手を振り上げようとする勇人に辟易(へきえき)としつつ、俺は先程の違和感の意味を考えて手を出すかどうか迷ってしまった。

「よさんか、いつまで恥を(さら)す気だ、勇人!」

 父親の怒号に勇人はびくりと震えると不服そうに拳を下ろした。

「カテリーナも今日はもう休みなさい。明日改めて話をしよう」

「別に話すことはありません、パパ。お休みなさい」

 カテリーナは深い緑色の瞳に冷めた色を浮かべながら一礼して踵を返す。

「乾さん。ママはこっちの離れまで」

「あ、ああ」

 何時もとは異なる、いやこの家ではこれが普通なのか、改まった口調で離れへ促すカテリーナへ俺は富樫理事の脇へ回り込んで肩を貸しながら頷いた。憮然とした表情で俺達を見送る四人の男達へ一礼すると美文さんに歩調を合わせてカテリーナの背中を追う。

 庭の木々の中に消え失せそうな孤独な背中を追う。

 離れはもともと蔵だったものを人が住めるように二階建て住居に改装したらしく、引き戸を開けて足を踏み入れると、コンクリートではなく光沢のある土色の三和土(たたき)が俺を出迎えた。

「上がって。ママの部屋は奥にあるから」

 三和土から四〇センチ高く拵えられた床面は腰掛けて靴を履くには少し低いが、立ったまま靴を脱いで上がる高さとしては丁度良いのかも知れない。

 俺と美文さんは富樫理事を担いだまま、カテリーナに導かれて屋内に上がり込んだ。

 玄関から上がり右手はトイレ、左側は応接間となっており、応接間には低いテーブルを挟んで向かい合わせにソファーが置かれている。

 その左横の壁には四十二インチ画面のTVが掛けられ、おそらくここが血の繫がりの無い仲の良い母娘(おやこ)団欒(だんらん)の場となっているのだろう。

 廊下の突き当たりまで進むと、左手にあまり使われていなさそうな光沢の目立つホーローのシステムキッチンが鎮座(ちんざ)する台所、右手に何らかの部屋に通じるドアと二階に通じる階段があり、カテリーナは右手の部屋のドアを開けて俺達を迎え入れる。

「此処がママの部屋。クロさん、ママの部屋に入れて嬉しい?」

「別に。誘われていないしな」

 富樫理事の部屋は、同年代の女性と比較するとかなりシンプルなものといえるのではないだろうか。

 衣装ダンスと教育関係者らしい学術書の納められた本棚、卓上スタンドの立てられたテーブルと長時間腰を落ち着けても疲れないようなデザイナーズチェアとビジネスホテルの様な簡易さだった。

 唯一、彼女らしいのが頭部側に寝酒用のカウンターがこしらえられたベッドで、小振りなグラスがひとつだけ置かれている。

 俺は富樫理事を抱えると彼女のベッドにその身を優しく起こさないように横たえた。

 柔らかいベッドのシーツに、富樫理事のジャケットを脱がせた細身の肢体が沈み込み、彼女がはずみで鼻に掛かった声を漏らす。

「……」

 改めてベッドに横たわる富樫理事を見直すと、彼女も義理の娘とは異なった(おもむき)の美人であることがよく解る。

 カテリーナやジョーの様なメリハリの効いた体型ではないが、すらりとした若鮎の柔らかさを持ち、腰の高さは欧米系のモデルに匹敵するだろう。

 波打つショートカットの黒髪も彼女の実年齢より若く見せる事に一役買っており、この若い理事を気にする同僚も少なくないのではないか。

 もう少し富樫理事を眺めていたいのだが、彼女の義理の娘と同僚の前で突発的なダウン攻撃の衝動に駆られると色々と不味(まず)いだろうから、俺は視線を()らして美文さんの声を掛ける。

「美文さんも送るよ。じゃあカテ公、理事を頼む」

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