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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第一話 1年目 春 四月
19/196

三章 隠れ家での一夜(5)

                       3


 隣の食堂兼台所から聞こえる足音と、朝食でも作っているのだろうか、木のまな板の上を包丁の刃が叩く音で俺は目を覚ました。

 身を起こすと卵焼きの香ばしい匂いが漂ってきて、つい空腹であることを自覚する。

「寝過ごした、かな?」

 廊下に出て台所を覗き込むと割烹着姿で料理している宮様の後姿と、制服のカッターシャツとチェックのスカートにピンク色のエプロン姿で朝食に使うであろう皿を洗う少女が目に入った。

 少女が俺に気付き、食器用の木綿布巾で吹き終わった皿をテーブルに置いて俺の前にトコトコと近付くと、ぺこりと頭を下げる。

「お、お早う御座います」

「ああ、おはやう」

 俺はまだ覚醒しきっていないであろう口調で朝の挨拶を返した。

「もう、起きてたんだ。お客だから君はゆっくりすればいいのに」

 俺は左手首のカーキ・フィールドに目をやった。まだ六時半。少女はまだ眠っていても大丈夫な時間のはずだ。

「はい、でも泊めて貰っているし、その、運び屋さんだけ働かせるのも悪いから」

「それは気にしないでいい。俺は君の叔父さんに雇われたんだ。君は雇い主の家族で、偉そうに踏ん反り返っていればいい」

 実際には俺のただ働きが確定しているが、それを少女に説明する気もない。

「でも私は、お金も持ってないし」

「なら払える年齢になったら、払えませんと言われても払ってもらうさ」

 まあ、覚えてたらの話だが。

 俺は宮殿の沸かしておいてくれた風呂に入り、さっぱりして出て来るとすでに座テーブルの上に朝食が三人分並んでおり、コーヒーの香りが食堂を満たしていた。

「それじゃあ、いただきましょうか」

 宮様がコーヒーポットから俺の前に置かれたモーニングカップに珈琲を注いでくれる。この後、車の運転が控えているので利尿作用のある珈琲よりお茶が好ましいのだが、きっと高い豆を挽いているに違いない。ここは贅沢を言わず味わうことにする。

 口を付けると少し温めのだが甘味の感じられる深い味わいのある珈琲だった。

 確か熱めだと珈琲はタンニンが抽出されて苦くなると聞いた覚えがある。

 とすると、これは紙製の濾過紙に豆を乗せ、上から湯を注ぐペーパードリップではないのだろう。あれは苦味が残るはずだ。

「美味しいね宮様。これはネルドリップかな。豆はブラジル系のフレンチロースト」

「当りです。狗狼様は解るかもしれないと思ってました」

 宮様は両手を合わせて嬉しそうな笑顔で答えてくれた。

 宮様のような長年、客の食事を作り続けた人は、褒められ馴れているかと思ったがそうでもないらしい。

 ネルドリップは布の袋に荒めに引いたコーヒー豆を入れて、ゆっくりとお湯を注いで抽出する方法だ。布自体が湯を含んで珈琲豆をじっくりと蒸らしてくれるので、深い味わいのコクのある珈琲が出来てくる。

 欠点は抽出に時間が掛り、かといって時間をかけなさすぎると苦くなってしまうという少々慣れの必要な抽出方法だが、その味わいにほれ込み愛飲するものは多い。

 少女はその珈琲で作ったであろうカフェオレを一口飲んで目を閉じた。

 味わっているようで、うんうんと二度頷く。どうやら彼女もお気に召したようだ。

 口腔内の珈琲の余韻が消えたので、朝食を味わうことにする。

 四枚切りであろう分厚いバターを染み込ませて焼かれたトーストに炒められたトマトとレタス、これも分厚いベーコンが挟まれている。レトロな喫茶店で見かけるBLTサンドだ。しかしボリユームは倍。これ一枚で朝食が足りてしまう。

 両掌でBLTサンドを挟んで、その真ん中に齧り付く。

 僅かに苦いレタス、それに粒マスタード気にならない程度の辛さが、トマトとベーコンを甘さを引き立てる。またトーストにシッカリと染み込んだバターのおかげでトマトやベーコンの肉汁が染み込み過ぎてベタベタになることを防いでおり、トースト自体の味も楽しめる様に配慮されている。

 うん、本当に美味い。帰ったら一度作ってみよう。

 少女もBLTサンドを手に取っているが、彼女の小さい口には少々分厚かったらしく真ん中からではなく四角から少しずつ齧り取っている。

 まあ、あの食べ方だときちんと齧り取らないと、中の具が一緒に抜け出てしまう恐れがある。と思っていたら、案の定ベーコンが口に引っ張られて外に出てしまった。

 それに驚いたのか、彼女のBLTサンドを掴む手が緩んだのか、バカッとBLTサンドが空中分解を起こしてテーブル上の受け皿に落っこちた。

 少女はショックを受けた様に固まっていたが、押し殺した笑い声を耳にしてその発生源を睨み付けた。もちろん発生源は俺だ。

「いや、悪い、悪い」

 自分の分のBLTサンドを食べ終えていた俺は、中々治まらない笑いの発作を堪えつつ、少女の前からBLTサンドの残骸が乗った皿を取り上げた。

「お詫びに食べやすくしてやろう。宮様、少しバターと小麦粉と牛乳を貰うよ」

 俺は台所に出て深底のフライパンを手に取り釜戸にくべる。フライパンで溶かしたバターに小麦粉を加えて溶けて透明感が出るまで混ぜ合わす。

 別の底の浅いフライパンに細かく切ったBLTサンドの残骸並べて、先程の小麦粉とバターの混ぜ物の半分に牛乳を加えたモノを注いだ後、千切ったパン生地を掛けていく。

 ある程度加熱した後、火を止めて小麦粉とバターの混ぜモノの残りを掛ける。醒めて固まり始めたところを皿に移して出来上がり。

「はい、おまたせ」

 少女の前に皿を置くと、彼女は驚いたように俺を見上げた。

「ちょっと手抜き風だがパングラタンの出来上がり」

 食べやすい様にスプーンを少女に差し出した。

「あの、私が食べてもいいんですか?」

 おずおずと尋ねる少女へ俺は「勿論」と答える。

 スプーンで切り取られたパングラタンが少女の口に運ばれ、咀嚼される。彼女は目を閉じて一口目を味わい食べ終わると、上目づかいに見上げて笑みを浮かべた。

「あの、本当に、美味しいです」

 いや、久しぶりに作ったから上手く行ってよかった。と珈琲でも飲んで一息つこうとした俺の眼前に、半分ほど食されたBLTサンドの乗った皿が横から差し出される。

 それを支える白く細い手の持ち主は、細い目を更に細くして俺に言った。

「乾様、当然、私の分も作ってくれますよね」

「……」

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