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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第六話 運び屋の季節 1年目 冬 十二月
188/196

後編 狗狼SIDE(4)

 オリガが腰を上げると、それを待っていたかのように浴室からアレクセイが顔を覗かせた。

 一風呂浴びてひと心地ついたとはいえ、替えの衣服は持って来ていないのだから彼からは乾きかけた海水独特のすえた香りがする。

「【(ズヴェズダー)】、そろそろ引き上げようか。マーシャ、帰りますよ」

 オリガはアレクセイに通り名で呼びかけてから、静流(しずる)さんに寄りかかる様にして舟を漕ぎ始めたマーシャの側にしゃがみ込んだ。

 丸っこい置物の様な老婦人はオリガに肩を揺すられて気が付いたように上体を起こす。

「あ、あら、もうそんな時間かしら」

 そう言えばオリガはセルゲイの養女だと聞いた。

 つかず離れずセルゲイと共にいるマーシャはオリガにとって母親の様なものかもしれない。

「じゃあ、また。次に会うのは【真珠ジェームチゥク】が治った頃かしら」

 事務所のドアを僅かに身を屈めてくぐるオリガの背を追う様に、湖乃波(このは)君が見送りに外へ出た。

「あ、あの、今日は有難う御座いました」

 アレクセイの愛車であるラーダの後部座席ドアへ手を掛けたまま、オリガは振り向くと、普段は見ることの出来ないような眼を細めた優しい笑みを湖乃波君に向ける。

「私こそ楽しませて貰った。有難う」

 オリガはドアから手を放すと、海風に赤い髪をなびかせながら湖乃波君に歩み寄ってその頬へ右手を添えた。

「次は私や妹達と一緒にクリスマスを祝って欲しいわ」

 すっと身を屈めると、

「お」これは俺の声。

「あ、ああーっつ」これは戸口で二人を眺めていたカテ公の声。喜んでいるのか悲しんでいるのか判断が付かない。

 オリガは自然に湖乃波君の唇へ己の唇を重ねたのだった。

 湖乃波君は何が起こったのか解らず固まっている。

「ふふ、御馳走様」

 呆然としている湖乃波君へ、オリガは笑みを向けて別れの挨拶とするとラーダに乗り込んだ。

 くぐもった音を立てながらラーダが夜の波止場へ走り始める。

「……」

 湖乃波君の顔が赤くなったのは、ラーダのテールランプがかなり小さくなってからだった。

 ロボットの様に湖乃波君に首が回りゆっくりと焦点のぼやけたような瞳が俺に向けられる。

「待った。俺にコメントを求めない様に」

「……う、うん」

 そう頷いて事務所に向けて歩み寄る姿はぎくしゃくとしており、彼女が正気に戻った時の騒動が無い事を俺は祈らずにはいられなかった。

「さて、その前に」

 俺はショックを受けた様にドアに寄りかかった金髪の背中を平手で叩く。

「ほらしっかりしろ。君のお母さんと美文(みふみ)さんを送るぞ」

「……やだ」

「ああ?」

「今日はここで泊まる。湖乃波が心配」

「……却下だ却下。頭を冷やせ」

「うう……」

 何が悔しくて何が悲しいのか、唇を噤んで目尻に涙を浮かべたカテリーナは踵を返すと、湖乃波君の後を追う様に事務所に駆け戻る。

「やれやれ」

 取り敢えず俺は完全に寝入っている富樫理事に歩み寄ると、彼女を起こそうと苦戦している美文さんの側にしゃがみ込む。

「どうだ、起きそうか?」

「うーん、駄目みたいですね。今日はたくさん飲んだから」

「……だよな」

 俺は彼女の側に転がったテキーラとワイン、ウイスキーの瓶を憮然と眺めた。

「ふーっつ、今年も死ぬかと思ったよ」

 浴室から上半身裸でスラックス姿の奥田が濡れた髪をタオルで乾かしながら現れる。

「ゴメンゴメン、お詫びにこれ。体が温まるよ」

 マオがボンベイサファイアの瓶を探偵に差し出すと、奴は当然の様にテーブルの上に置かれたショットグラスに中身を注ぎ一気に飲み干す。

 此奴等(こいつら)、俺の酒ということを一切気にしてないな。

「……ぶほーっつ」

 奥田はいきなり奇声を発すると、喉を押さえて咳き込みだした。

「お、おい、これボンベイじゃないぞ」

 俺はボンベイの瓶を取り瓶の口に鼻先を近付けると、鼻腔に強烈なアルコール臭が飛びこみ顔を顰めさせる。

「わーい、引っ掛かった、引っ掛かった」

 マオが嬉しそうに掌をぺちぺちと合わせて破顔する。

「オリガの持ってきたスピリタス・ウオッカを入れておいたの。どう、びっくりした?」

 探偵が喉を押さえて恨めしそうにマオを睨んだ。

 スピリタス・ウオッカは蒸留を繰り返す事によりアルコール度数を上げて、一切加水を行わないワイルドなウオッカだ。

 そのアルコール度数は九十六パーセントである為、原産国のポーランドでは当然ながらストレートでは飲まない。飲むと味わう前に強烈な熱さと痛みが喉を襲う為、ストレートでは男同士の根競べとブービートラップの材料以外に使い道が無い。

「他にお酒は?」

「無いよ」

 無慈悲なマオの返答に崩れ落ちるへっぽこ探偵を尻目に、俺は富樫(とがし)理事を起こすことにした。

 美文さんが肩を揺するが、富樫理事は鼻に掛かった息を漏らすだけで一向に起きる気配が無い。

「仕方ない。ゴルフまで運ぶか」

 俺は富樫理事の肩と膝裏に腕を差し込んで持ち上げる。

 このままゴルフの後部座席へ運んで家まで送り届ける前に、酔い覚ましにホテルに寄る選択肢もあるが、残念ながら美文さんとカテリーナも同乗させなければならないのでそれを選ぶことは出来ない。

 まあ、次の機会に期待しよう。

「お待たせ、ママは?」

「スミマセン、運んで貰って」

 富樫理事をゴルフⅤ GT TSIの後部座席に座らせると、美文さんとカテリーナが事務所から出て来る。

「クロさん、一般道だからママはシートベルト無しでもいいよね」

 後部座席の右側へ腰掛けたカテリーナは、母親である富樫理事を引き寄せると年齢と比較して女性らしさを感じさせる自分の太腿の上に母親の頭を優しく乗せた。

「美文さん、先に富樫家に寄ろう。道案内をお願い出来るか?」

「は、はい」

 富樫理事の邸宅は数年前にカテリーナを送った一度だけでうろ覚えな為、助手席の美文さんにナビゲートをお願いする。

 確か阪神岩屋駅と西灘駅のほぼ中間地点にあるやや広めの庭を持った日本家屋が富樫母娘の家で、国道二号線と四十三号線の分かれる手前の筋を左折しなければならず、曲がる角を間違えると岩屋公園やら敏馬神社沿いの細い路地をぐるぐると回らなければならない。

 俺はカテリーナの膝枕に載せられた富樫理事の頭がずり落ちないように、GT TSIを法定内速度で走らせる。

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