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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第六話 運び屋の季節 1年目 冬 十二月
185/196

後編 狗狼SIDE(1)

 後編 狗狼SIDE


                     1


狗狼(くろう)

 呼び掛ける声に俺の意識は現実に引き戻された。

 咥えたワイルドカードがフィルターの縁まで短くなっており、火が鼻の下をあぶり始めたので路上に吐き捨てて踏み消しておく。

 俺へ声を掛けた湖乃波(このは)君は黒瞳の大きな両眼に愁いを浮かばせてピットに腰掛けた俺を見つめていた。

「……どうした」

「ん、その、外、寒くないのかなって、思って」

 湖乃波君は何故か歯切れの悪い口調で答える。

 外で煙草を吸うのは湖乃波君を迎え入れてから習慣にしている事であり、寒空の下、紫煙を(くゆ)らすことはそう珍しい事では無く彼女が心配するような事では無い。

 だが俺が事務所の外に出た理由は、煙草を()う為ではなかった。

 ただ、居心地が悪かったのだ。

 事務所の普段は俺と湖乃波君、時々へっぽこ探偵の過ごす閑散とした空間が、今晩は人の気配と会話に溢れている。

 それに当てられたのか、俺は軽い疲労を覚えて屋外(そと)に出た。

「いや、寒くはない。馴れているからな」

 全く、馬鹿な想像をしたものだ。

 ピットに腰掛けたまま事務所を振り返った。

 その窓から洩れる灯りと歓声に、かっての俺と失くした者達がその灯りの向こうにいる。

 ふと、そんなありえない光景を思い浮かべたのだ。

 俺の答えを湖乃波君はどう受け取ったのか、彼女は目を伏せて「そう……」とだけ口にする。

 ひょっとしたら湖乃波君は事務所でクリスマスパーティーを開いた事を、俺が迷惑に思っている、そう受け取ったのかも知れなかった。

 それは俺の本意ではない。むしろ声を掛けてくれてほっとしているんだが。

 湖乃波君にこれ以上心配かけない様に、俺はピットから腰を上げる。

「そろそろ戻るか」

 ついでにピットの下を覗いて巻き付いた鎖が海面へ垂れているのを確かめる。

 今年はこれに頼ることがありませんように。


 そう言えばアレクセイが来ていたな。

 俺は【(クリェームリ)】の警護者(ボディーガード)であるアレクセイから、彼のいた部隊の隊長が、母親から手作りの煙草を受け取っていた話を聞いた事を思い出した。

 確か煙草の葉を炭火で長時間燻した、非常に手間の掛かるものと聞いている。

 そして、俺は其れに似ていると思われる|嗜好の煙草をひと箱だけ持っていた。

 クリスマス、だから、いいか。

 手放すのは少々惜しい気がするが俺が吸うワケでもなく、ただ懐かしむ為に置いてあるものだ。感慨の産物と言ってもいいだろう。

「折角の風味が落ちたら勿体無いしな」

「え?」

「いや、こっちの話」

 俺の独り言に振り向いた湖乃波君へ苦笑を返してから、俺は事務所に戻って奥のキッチンカウンターの扉を開けた。

「お?」

 数本あった酒瓶の内、ボンベイサファイアの淡い水色の瓶を残して、俺が密かに楽しみにしていた比較的値段の高い酒が全て消え失せていたのだ。

 マンチーノ・ベルモントヴェッキオとドン・フリオ、ワイルドターキー・レアブリードの三本である。

 マンチーノ・ベルモントヴェッキオは年間八〇〇本のみ生産される熟成ベルモットで、イタリアンオークの樽で一年間熟成されたその味は、コクと甘さ、香りのどれも最高級と呼ぶに相応しい深みがある。

 ドン・フリオ1942はテキーラブランドのドン・フリオが創業六〇周年を記念して製造した逸品であり、濃厚なキャラメル、もしくはコーヒーの香りとアガベの花の香りが複雑に絡み合う。味はキャラメルバターに近いの優しい甘さで、俺の愛飲する煙草【ワイルドカード】のコーヒーフレーバーに通じるものがある。

 ワイルドターキー・レアブリードは六年、八年、一二年の熟成された原酒をブレンドし、一切加水を行わず骨太な味わいの楽しめるバーボンだ。アルコール度数は五十六パーセントと高めであるが、バニラやキャラメルの甘さの後に来る焦げたスパイシーさを愉しむためストレートのまま愛飲するものも多い。

「……」

 しかめっ面で二メートル程右横の女共の集まりへ目を向ける。

 マオや富樫理事、オリガが赤ら顔で談笑している横でフランカがうつらうつらと舟を漕いでいた。

 フランカは他の三人より若く酒好きとは言え、普段飲みはアルコール度数の低いワインを嗜んでいるからアルコールに対する耐性はそれほど強くないかもしれない。

 オリガは偏見かもしれないが寒い国の人だからアルコール耐性は桁外れに強そうだ。

「まあ、それもいいか」

 俺は苦笑して首を振った。

 立場上、彼女達は集まって酒を酌み交わす事など出来ないはずだ。三人がそれぞれ別組織の幹部であり、ひとりは教育関係者なのだから。

 それがにこやかに酒を酌み交わし談笑している。そんな貴重な夜に貴重な酒を飲んだかどうだか口にするのは野暮な事だろう。

 むしろ飲まれた酒が立派に役目を果たした。そう褒めるべきだ。

 俺はキッチンカウンター内から小型の保管箱を取り出した。

 箱の中には予備のナイフやらライター用の小型ガスボンベなど俺の私物入れとなっている。

 その中から焦げ茶色の表面にCAと個性的なデザインされたアルファベットの印刷された掌サイズの小箱を手に取った。

 俺は踵を返し、部屋の中央の集まり、美文(みふみ)さんや静流(しずる)嬢、奥田の腰掛けた場所へ足を運んだ。

 その場所にはアレクセイも腰掛けており、食事を終えた後も四人で何やら楽しそうに議論していた。

「でも、私は原作を読んでから映画を見たから、映画が退屈に思えたのよ」

「私も同感だ。映画と小説はテーマが違う様な気がしたのだが」

 静流嬢の意見にアレクセイが相槌を打つ。

「私は映画を見てから原作ですね。映画だけで解らなかった事を原作が説明してくれたと思います」

「僕は映画じゃなく東宝VHSバージョン。かなり短縮された内容だから逆に原作に近くなったんじゃなかったっけ」

「小説も訳者によって少し内容が異なっていたわね。沼野訳が全文掲載だったかしら」

「僕は両方読んだが気にしなかったな。読んだ感覚が離れていたからね」

「私はロシア語版だから検閲で削除された文章があったはずだ」

 腕を組んでアレクセイが首を傾ける。

「何を話しているんだ、君等?」

 俺が口を挿むとアレクセイが顔を上げて、髭に包まれた口元を緩めた。

「いや、彼等三人が読書家と映画好きだから話がはずんでね」

「なるほど」

 静流嬢は湖乃波君とよく図書館に通っているらしいし、|美文さんは湖乃波君の通う学校のフランス語教師、へっぽこ探偵は暇人なので読書や映画鑑賞で時間を潰している。

「君が読書家と言うのも、何となく理解出来るが」

 知り合って数日だが、この【(クリェームリ)】に属する警護人に、その職業を生業とする者達と異なる穏やかさがあるように感じられたのだが、彼のそんな性質が現われているかもしれなかった。

「仕事柄、長時間の休憩が存在しないからな。合間々々空き時間を過ごすのなら読書が一番適している。時々一日の休憩を頂いた時は本屋に寄るが、気が付けばそれで一日を終えてしまい自分で驚く事もあるのだが」

「「「あるある」」」

 アレクセイの苦笑に重ねる様に、へっぽこ探偵たち三人が同意の声を上げる。

 うーん、俺は小説は読まないし、図鑑かエッセイで作者へのこだわりは無いから、読書好きとはちょっと異なるのだ。

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