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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第六話 運び屋の季節 1年目 冬 十二月
184/196

後編 湖乃波SIDE(8)

「気にしない、気にしない。クロウはそんなにヤワじゃない事は貴女達も知ってるでしょう」

 ジョセフィーナさんがパエリアをスプーンで口に運びながら私達を安心させるように笑い掛けてくれた。

「そういえばジョセフィーナさんはどうやって狗狼(くろう)と知り合ったんですか?」

「う」

 私の質問に、ジョセフィーナさんはスプーンを咥えて奇妙な声を漏らすと困った様に宙に視線を彷徨(さまよ)わせる。

「ま、まあ、今じゃ私も真面目に働いているけど、昔はやんちゃしてたんだ」

「え、は、話し難い事ならいいです。すみません」

 やはり狗狼が関わっている事は非合法な事柄で話し辛いのか、言いよどむジョセフィーナさんへ私は非礼を詫びて頭を下げた。

「ん、いいのいいの、皆知っている事だから。ただ、クロウと一緒に居る湖乃波(このは)ちゃんに、クロウの許可を取らないで昔のことを話していいのか迷っただけ。うん、まあ、いいか」

 ジョセフィーナさんは踏ん切りがついたのか、私とカテリーナに向けて身を乗り出して来る。

 私とカテリーナもそれに吊られる様にジョセフィーナさんの彫りのある美貌に向けて顔を寄せた。

「私はね、南米麻薬カルテルに日本国内の運び屋として雇われていたんだ。年齢を偽った偽の就労ピザと引き換えにね。用意された麻薬の入ったリュックをコインロッカーまで運ぶ単純な仕事だった」

 ジョセフィーナさんは当時の苦労を思い出したのか苦笑を浮かべる。

「私を含めて運び屋は三人いたのだけど、その内のひとりがコインロッカーに持って行かずに持ち逃げしたの」

「……それは(まず)いですよね」

 カテリーナの言葉にジョセフィーナさんが(うなず)く。

「私ともう一人の運び屋の男性は、私達の雇い主である密売業者に呼び出されたわ。これはお前達の責任だ。そう彼等は重々しく告げた」

 私とカテリーナはジョセフィーナさんお顔を見返した。

 ジョセフィーナさんの雇い主が慈善団体ではなく犯罪組織である以上、裏切りには何らかの制裁が掛けられたはずだから。

「もう一人の男性は当時の私より年上の青年で、雇い主の男達は何も知らない彼を拷問に掛けて殺害してから、私に盗まれた麻薬を三日以内に探し出して持ってくるように命令したの。そうしないともっとひどい死に方をするって」

 ジョセフィーナさんはそう事も無げに口にしているけど、彼女の灰色の瞳の奥にある揺らぎは、ジョセフィーナさんがまだもうひとりの運び屋の男性に行われたことを忘れていないから、そんな気がする。

「私もどうしたらいいのか解らずに、手当たり次第に逃げた運び屋の借りていたアパートやら職場、あと行きつけの店とか探してみたけど手掛かりは無かったの。しかも逃げた奴は身の危険を感じて横流ししようとしていた暴力団、彼等との取引もポイコットしていて、その暴力団の組員に私が見つかって追い駆けられたわ」

 私はジョセフィーナさんの積み重なる不幸の連鎖に言葉を失った。

 私がそんな状況に陥ったら、ただ混乱するだけの役立たずにしかならないだろう。

「そんな時にクロウと出会ったの。クロウは自分が運ぶはずだったロッカーの麻薬を探しに来ててね、私の行方を追っていたのよ。本当、不幸中の幸いだったわ」

 ジョセフィーナさんはそう言って嬉しそうに笑った。

「初めて会った時は、何しろあの外見だから暴力団関係者と勘違いしてクロウから逃げちゃって。で、逃げた先で怖いオジサン達に捕まって途方に暮れてたらクロウが助けてくれた」

「でしょうね。狗狼がそのまま見捨てるとは思えないから」

「ええ、あっという間に男達をコテンパンにのしちゃって、びっくりしている私にクロウは言ったの。もう麻薬の運び屋は辞めるようにって」

 ジョセフィーナさんは嬉しそうに目を細める。

 今、彼女は前に腰掛けている私ではなく、ジョセフィーナさんを助けた当時の狗狼を見ているのだろう。

「おかしいことにね、クロウは何か、悩む様に腕を組んで、いや、それは一方的かって(つぶや)いてから、そうだな、俺も金輪際、麻薬を運ばない事を約束しよう。これで御相子(おあいこ)だ。って。おかしいでしょう、クロウがそんなこと約束する必要は無いのに」

 うん、おかしいけど凄く狗狼らしくて嬉しい。

「だからクロウは運び屋だけど麻薬はあれから一切運んでないの。何度かクロウを騙して運ばせようとした奴もいたらしいけど、そんな連中は必ず潰されたわ」

 多分、ジョセフィーナさんは嬉しかったんじゃないかな。

 周りが敵だらけの状況で、迷惑を被っている筈の狗狼だけが彼女を守ったのだから。

「……ジョセフィーナさんって、本当に狗狼が好きなんですね」

 本当に解る。

 だって、狗狼の事を話す彼女の眼は少女のように輝いているから。

「ふふ、そうよ。私は二十歳だから、クロウの守備範囲に入るまであと五年。本当に待ち遠しいわ。今日、ライバルがいる事が解ったけど。ねえ、カテリーナさん」

「あ、あれは狗狼をからかう為の冗談です。気にしないで下さい」

「ふふ、そうだと良いけど」

 明るく笑い飛ばすカテリーナへジョセフィーナさんは意味ありげな笑みを向ける。

 カテリーナは狗狼をよくからかっているから冗談だとは思うけど、本当はどうだろうか。

「それより湖乃波、彼、鍋を平らげちゃったよ」

「お前等が喋ってばっかりだからいらないかと思ったんだ」

 憮然と龍生(りゅうせい)君が反論するのを聞いて、私は笑みを浮かべた。

 カテリーナと龍生君は仲良くなりそうだなって。

「あ、待ってて冷蔵庫からデザートを出してくるから」

 私は冷蔵庫から田口青果さんから頂いた珍しい白い苺【初恋の香り】を持ってこようと腰を上げる。

「狗狼、デザートは」

 マオさん達の席に視線を向けると狗狼の姿は無く、マオさんとフランコさん、そしてオリガさんと久美さんが、新たな酒瓶を出してお互いのグラスに中身を注いでいるところだった。

 アルコールの刺激臭が此方(こちら)まで臭ってきそう。

「見て見て、狗狼ったらテキーラも置いているのよ。呑みもしないのに」

「ドン・フリオ1942? 有名だけどテキーラには詳しくないからな」

「飲んだら解るでしょ。飲んじゃえ」

「そうね。別に美味しくなくても私達が金を払っているわけじゃないから懐も痛みませんし」


 ……誰か止めてあげて。


 私は混沌(カオス)と化し始めたマオさん達の席の側を通り抜けて冷蔵庫の扉を開けると、【初恋の香り】の納められた小振りな段ボール箱を取り出す。

 流し台で【初恋の香り】を軽くすすぎながら先程聞いたジョセフィーナさんのの話を思い出した。

 ジョセフィーナさんは狗狼に助けられて、狗狼に対して好意を持った。

 私も似たような状況で狗狼に助けられ、彼に保護者として面倒を見てもらう契約を交わしたのだ。

 私は狗狼にどのような感情を抱いているだろう。

 助けて貰ってから二箇月ほどは彼のことが解らず警戒していた。

 出会ってから八か月経ったが、未だに狗狼が何を考えているか解らない事がある。

 いや、ほとんど解らないと言っても間違いではない。

 そんな彼に対して、私はどう思っているのか、少なくともジョセフィーナさんの様な恋愛感情みたいなものは抱いていない。

 狗狼は保護者だから、普通の家庭で子供が父親に持っている感情は、いま、私が狗狼に抱いている感情と同じなのだろうか。私はママとずっと二人暮らしだったから、それが解らないのだ。

 そして、私は狗狼とどうなりたいのか。

 狗狼との生活に慣れてきて居心地が良くなっているのは自覚している。

 そしてマオさんや奥田さん、静流さん達の友人や知人も増えてきた。

「私は、此処に居る事が、狗狼と過ごす事が嬉しいのかな?」

 【初恋の香り】の水を切り、三つの器に分けて装う。

「デザートをお待たせしました。珍しい白い苺でとても甘いよー」

 【初恋の香り】の器を配ると、それぞれの席から歓声があがる。やっぱり白い苺が珍しいようで、皆、手に取るとマジマジとその瑞々しい果実を眺めた後で口に運ぶ。

「あ、甘っ! でも酸味の少ない上品な甘さね」

「そうだな.うちの店でもジェラートの添え物に出来そうだ」

 マオさんとフランコさんの【初恋の香り】に対する評価は上々の様でほっと胸を撫で下ろす。

「うーん、本当に初恋がこんな美味しい味だったら、誰も苦労しませんよね」

「そうよね。私の初恋は梅干味だった様な気がする」

 美文(みふみ)さん、静流(しずる)さん! いったいどんな初恋だったの?

 和気藹々(わきあいあい)と皆が珍しい苺を堪能しているなか、私は狗狼の姿を求めて事務所の窓から屋外を覗いた。

 ひょっとしたら外で煙草を()っているのかな、そう思ったから。

 そして、予想通り港の岸壁の舟を係留するピットに腰を掛けて煙草を口に咥えた狗狼を眼にした時、私は息を止めてその光景に言葉を失った。

 彼は煙草を咥えて住宅兼事務所を眺めていた。

 十二月の冷えた港風の吹く夜に、冷たい石材のピットに腰掛けて、ただひとり、窓から洩れる明かりを見つめている。

 物思いに(ひた)っているのだろうか。

 私が窓から狗狼を見つめているのにも気付かず、サングラスの奥から今日のクリスマスパーティーに訪れた人達の喧騒に満ちた温かい光の溢れる自分の住む事務所を眺めて微動だにしない。

 咥えた【ワイルドカード】から甘い香りのする紫煙(しえん)(くゆ)らせて、両手をポケットに突っ込んだ少し前屈みの姿勢で腰かけている狗狼は、ただ、独りだけ黒い背広姿で夜の闇の浮かんでいた。

 それは、私が今居る、温かい光に照らされた(なか)とは違う場所だ。


 静かな夜の世界だった。

 冷たく静かな、黒いガラス細工で作られた世界だった。


 それが少し哀しくて、私は事務所のドアを開くとその世界に足を踏み出した。

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