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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第六話 運び屋の季節 1年目 冬 十二月
182/196

後編 湖乃波SIDE(6)

「……」

「……」

 私達と違ってジョセフィーナさんと班比(ばんび)さんは、歩み去った赤毛の美女の背中を見つめて黙っていた。

 違う、睨み付けていた。

「あの、さっきの女性(ひと)が何か?」

 私が訊くと我に返った様に肩の力を抜く。

「……驚いたわ。狗狼(くろう)は何時、アレと仲良くなったのかしら。班比、知ってる?」

「ううん、初めて知ったよ。ほんと、幹部会の付き添いで遠目に見た事はあったけど、あれは別格だね」

「……オリガさんって何をしておられる方なんですか? 綺麗な人だからモデルさんとか」

「……」

「……」

 ジョセフィーナさんと班比(バンビ)さんはオリガさんが何者か知っているらしく、私が彼女に問い掛けると話し難そうに沈黙する。

「モデルでもおかしくは無いけど、そんな可愛いモノじゃないわね」

 同じくモデルと間違われそうな褐色の彼女が苦笑混じりに答えた。

 オリガさんは一番奥のマオさんやフランコさんの前まで来ると何かを話してからその場所へ腰を下ろす。

 そういえばオリガさんもお酒を持って来てたみたいだから、マオさんやフランコさん、久美くみさんと飲み明かすのだろうか。

 私は紙皿から箸で苦労しながらピロシキを掴みあげた。

 ピロシキと言えば三宮のそごう地下で販売しているけど、あれはきつね色に揚げてあり大きめの手掴みでで食べるサイズだが、マーシャ御婆さんの差し入れはパン生地を焼いており少々小振りだ。

 一口齧る。

 口の中にヨーグルトに似た酸味のする挽き肉とキャベツ、あと甘い玉葱とマッシュルームに近いキノコの味がした。

「カテリーナ、この肉、酸味があってさっぱりして食べやすいけど何の肉かなあ?」

「うーん、阪急のピロシキは春巻きに近い味がしたけど、これは全然違うよね」

 もきゅもきゅとピロシキを咀嚼(そしゃく)していると、狗狼達の席にマーシャ婆さんが腰を下ろしたので、私は席を立って魚スキの器の浸けダレを器に入れるとマーシャ御婆さんの隣に腰掛けて差し出した。

「どうぞ」

「あら、有難う。貴女のお名前は」

野島(のじま) 湖乃波(このは)です。その、狗狼に引き取られて……」

「ふふ、ヴァディーチリもこんな綺麗な家族がいるなら言ってくれないと」

「ヴァディーチリ?」

 私が聞き慣れない言葉に目を丸くしていると、マーシャ御婆さんは口に手を当てて鈴が鳴るような笑い声を上げた。

「ヴァディーチリは日本語で運転手と言う意味なの」

「そうなんですか。あと、狗狼は私の保護者で血の繋がりは無いんです。書類上は遠い親戚になっているのですが」

 私の言葉を聞くとマーシャ御婆さんは私を、しょうがない子ねぇ、とでもいうかの様に苦笑して青く丸い瞳で優しく見つめてくれた。

「そんなことは言っては駄目よ。ヴァディーチリは放っておく直ぐに独りになりたがるの。ひとつの場所で一緒に暮らしているのだから家族だって思わないと。貴女、あの男が嫌いなのかしら」

「……えっと、その、嫌いでは無いです」

 いきなり答え難い質問をされて、戸惑いながらもなんとか答える。

「ならいいじゃない。貴女が家族となって、ヴァディーチリの足枷(あしかせ)となりなさい。此処が帰る場所だと教えてあげてね」 

「……」

 何だろう。マーシャ御婆さんの言葉は自然に私の胸に入って来る。

 狗狼は契約で保護者を演じているだけで、常に私と距離を置いている。そんな気がするのだ。

 私を依頼主としか思っていないのではないか。

 依頼主が頼んでいるから、こうやってクリスマスパーティーを開いたのではないか。

 本当はそんな関係のはずなのに、それでいいのかと疑問に思っている私が居るのだ。

「そんなに難しい顔をして考え込まなくてもいいわよ。ひょっとしたら時が解決するかもしれないわ」

「……時、ですか」

「ええ、長く一緒に居る事。それが答えになる事があるの、いつの間にか、ね」

「……はい」

 マーシャ御婆さんに礼をして腰を上げようとしたけど、ひとつ質問を忘れている事に気が付いた。

「……あの、ピロシキ美味しかったです。それで、中に入っていたお肉はどの動物ですか?」

「ああ、あれは羊の肉よ。日本のお客さんは羊肉が苦手みたいで、ヨーグルトに浸けて臭みを取っているの」

 羊? それは食べた事が無いので解らないはずだ。

「私達のピロシキは具材も厳密に決められていないの。だから中にジャムやサワークリームを入れて御菓子代わりにする家庭もあるわ」

 ちょっと硬めのジャムパンみたいになるのかも。ちょっと作って見たくなった。

「あの、何時か作り方を教えて貰ってもいいですか?」

「ええ、いいわよ。私はロシア料理のレストランを経営しているの。店に遊びに来てくれたらいつでも教えてあげるわ」

「はい、有り難う御座います」

 良かった。これでまた料理のレパートリーが増える。

 私は一礼して腰を上げると、もうひとつ浸けダレの入った器を手に、マオさん達の居る場所へ足を勧める。

「これ、焼いた魚肉を付ける浸けダレです」

「ああ、有難う」

 そう言って、オリガさんは珍しそうに器の中を覗き込んだ。

「タマゴ?」

「はい。大根に甘海老のぶつ切りと溶き卵を混ぜました。これに鍋の上で焼けている魚肉を浸けて冷ましてから、あ、このぶりは焼き過ぎると固くなるので上げて下さい」

「これ?」

 ひょいっとオリガさんが箸を動かしブリの分厚い切り身を摘み上げて器に放り込んだ。

「卵と大根がよく絡む様に切り身を箸で転がしてから食べて下さい」

 オリガさんはブリの切り身をゴロゴロと器の中で動かすと、大根と溶き卵、甘海老の切り身がブリの切り身に纏わり付きオレンジ色の糸を引く。

 箸に摘ままれた切り身を薄いピンクの唇が開いて、白い光沢のある歯で齧り取った。

「……」

 目を閉じてしっかりと嚙んで味わうオリガさん。

 美人だからかもしれないけど、その仕草が何となく可愛らしく見えてしまうのは私だけだろうか。

 オリガさんの眼が開き、優しく細められて私に向けられる。

「うん、これ美味しいわね。来た甲斐があったわ。有難う」

「え、あ、いえ、そんな、お礼を言われるほど、大した手伝いはしていませんから」

「……そう? その、御嬢さん。貴女、ヴァディーチリに電話してきたでしょう。貴女が彼に電話をしてきた時に私はその場に居たの。貴女が彼に勧めてくれなかったら、私はこの料理を口に出来なかった。だから貴女の手柄」

「お、御嬢さん?」

「それだからこそ、今、この場にこんなに人が集まった。貴女の手柄よ。誇りなさい」

「は、はい」

「うん、よろしい」

 そう言って、オリガさんは鍋から(たら)の切り身を引き上げて浸けダレに(ひた)すと、今度は一口で切り身を呑み込んだ。

「うん、弾力があって美味しい。妹達にも食べさせて上げたいわね」

「妹さん達がおられるのですか」

「ええ。たくさんのね。血の繫がっている子も繋がっていない子も、皆大切な妹達。今日はクリスマスパーティーを開いているみたいだけど」

 そう言ってオリガさんは少し寂しそうな微苦笑を浮かべた。

「一緒にいなくて良いのですか?」

「困った事に妹達は部下でもあるのよ。そうなるとあまり親しくするのも問題なの」

「……寂しいですね」

 私が目を伏せるとオリガさんは安心させるように私の頭に手を置いて、二度ほど撫ぜる。

「貴方が気に病むことは無い。それより私はここで優しくて綺麗で料理の上手い娘と知り合う事が出来た。それが何よりのプレゼント」

 その髪を撫でる感触と耳に伝わる低くも柔らかい声音に私の心臓が高く鳴り響き、顔が熱くなってくる。

 どうしよう、顔が上げれない。

「あの、オリガさん。私は学校の理事をしているのだけど、何処かでお会いしていなかったかしら」

 少し赤ら顔のカテリーナのお母さんである久美さんが、ワイングラスを片手にオリガさんに質問する。

「……その学校は?」

 久美さんがその学校名を口にすると、オリガさんの青い瞳に僅かの驚きの色が走った。

「実の妹が通っている学校ですね。三者面談で何度か足を運びました」

「成程。何処かで見たような気がしたのよ」

「奇妙な縁があるモノですね」

 富樫理事がワイングラスにワインを注いでオリガさんに手渡すと、彼女はそれを一口で飲み干してから、良いワインですね、と呟いた。

「私と一緒に居た金髪の子のお母さんが彼女なんです。私も同じ学校の中等部に通っています」

 私の言葉にオリガさんが目を丸くしてから嬉しそうに微笑む。

「そう、私の妹、アリョーナは高等部なの。私と同じ赤毛で背が高いから一目で解るわ。もし出会ったら仲良くしてあげて。あの子、不器用だから」

 そう呟いたオリガさんの青い瞳は愁いを帯びた様に揺らめいた。

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