後編 湖乃波SIDE(2)
また来客を知らせるブザーが鳴り、私は手を拭きながらドアに駆け寄り急いで開いた。
私は外の冷気に一瞬だけ目を閉じて再び開いたとき、珍しい組み合わせの来客に目を丸くする。
「静流さん、フランコさん」
「メリークリスマス、湖乃波ちゃん」
「メリークリスマス湖乃波。どうやら間に合った様だね」
静流さんは狗狼と同じく運び屋を生業とする女性で、【レッド・バード】の通り名が示すすように仕事時には赤い皮のジャンバーを羽織る。
長い髪を襟足でひっつめ髪にして、黒いニットタイトシャツとスリムジーンズに皮ブーツといった出で立ちは、愛用の赤い皮ジャンを羽織るとワイルドで格好良い女性の魅力に溢れていてつい目を奪われてしまう。
ただ狗狼はその革ジャンを内側から押し上げる二つの球体が気になるらしく、静流さんを前にすると、必ずサングラス越しに視線が固まっているのだ。
驚いた事に時々図書館で出会う静流さんは、髪を下ろした純白のブラウスにロングスカート姿の高級住宅地のお嬢様然とした容姿と仕草をしており、本当に運び屋の彼女と同一人物なのかと疑う時がある。
フランコさんは何時もの赤毛のショートカットにマルーン色の三つ揃い姿だけど、その小脇にはワインのボトルが抱えられていた。
「頭首が持って行けって。魚スキってちょっと濃いめの魚料理らしいから、辛口のさっぱりした白スパークリングワインで口の中をリセットするのもいいんじゃないか」
いつも毅然とした表情を崩さないフランコさんが珍しくはにかんで説明する。
「有難う御座います。でもお二人が珍しい組み合わせなので少しびっくりしました」
私の言葉に男装の麗人同士が顔を見合わせた。
「いや、初めて会うわけじゃないんだ。彼女は何度かうちの店に来た事がある」
「そう、今年に入ってから二度ほど行ったわよ。まさか狗狼と湖乃波ちゃんの知り合いだとは知らなかったわ」
「私は夏頃狗狼に頼まれて、マルコとかいう小悪党の後始末を引き受けたから、【レディ・バード】の名は耳に入っていたけどね。BMWミニJCWコンパーチブルを駆る女の運び屋がいるって」
「そう? 貴女のアルファロメオも中々いい趣味と思うわ」
私は二人の背後に止められたそれぞれの愛車に目を移す。
静流さんの愛車は丸みを帯びたクラシカルな車体のオープンカーで、黒地の車体に赤い炎を象ったペイントが施されている。
狗狼曰く、「三メートル七〇センチの小さい車体に二一一馬力のエンジンを積んだゴーカートみたいな奴」で速く走ることに徹した車らしい。
フランコさんが言っていた通り、狗狼と静流さんは六月頃、二人そろってトラブルに巻き込まれたらしく、彼女の愛車は長期の修理に出すことになった。
ようやく先月に修理から帰って来たらしく、静流さんはもう一台の愛車であるクラッシック・ミニに無理をさせずに済んだと豊かな胸を撫で下ろしたとのこと。
フランコさんの愛車は彼女がイタリア系である為か、イタリアの有名な自動車メーカー、アルファロメオの【ミト・クアドリフェリオヴェルデ】で静流さんのBMWミニよりわずかに大きい四メートル弱の小型車である。
奇麗な曲線を描く赤い車体は、車に詳しくない私でもデザインが凝っていると思わせるものがあり、独特の雰囲気を持っていた。
狗狼の言うには、アルファロメオのユーザーは【アルフェッタ】と呼ばれ、他の車とは異なった価値観を持った人が多いそうだ。
ラテンの国の情熱を詰め込んだ小さく赤い車体に積まれた一・四リッター十六バルブエンジンは最高出力一七〇馬力を叩き出し、女性的な名前と外観に似合わないパワフルな走りを披露出来るらしい。
ちなみに「MiTo」の名前の由来はイタリアのMilanoでデザインされてTorinoで生産されたことから名付けられたって狗狼が言っていた。
ホント、狗狼といると車の雑学がどんどん増えて来る。
「狗狼、静流さんとフランコさんが来たよ」
「お、赤々コンビか」
「何それ」
確かに赤毛のショートカットに赤と黒の中間色であるマルーン色の背広姿のフランコさんと、赤の皮ジャンバーを羽織り【レッド・バード】と呼ばれる静流さんは二人共凛々しくていいコンビになるかも。
「狗狼、これ、頭首から差しいれ」
「おう、サンキュ」
フランコさんが差し出したワインボトルを受け取って、狗狼はラベルに目を走らせた。
「カヴァグラン リベンザ ブリュットか。スペイン産の白ワインだな」
「柑橘系のコクのある辛口だけど後味がサッパリしているらしい。口にしたことは無いから便乗させて貰うよ」
「……せっかくのワインだが、今日の俺は送迎でアルコール禁止なんだ」
「それは、それは。じゃあ狗狼の分も飲ませて貰うよ」
フランコさんは狗狼のしかめっ面を目にして楽しそうに笑顔を浮かべる。
普段、この二人の間には、何かお互いが遠慮しあっているような微妙な緊張感が存在しているけど、今日はフランコさんもクリスマスパーティーで気を許しているのか、気軽に狗狼に声を掛けていた。
「……湖乃波、なんかクロさんとあの人、凄く親しそうだね」
うん、狗狼はサングラスを掛けているから解らないけど、凄く優しい目をしている気がする。
カテリーナは隣で手頃な器に下ろした大根を選り分けている龍生君のシャツの裾を引っ張った。
「うおっ、危ねえな。こぼれるだろ!」
「そんな事より、あの、赤い女性。何となく狗狼と親しそうなんですけど。友人以上恋人未満とか、そんな感じ?」
「あんた、今、今日の料理を全否定しただろ。ったく」
龍生君はまだ大根おろしが残るスタンレスボールを傍らに置くと、カテリーナの視線を追ってマオさんの隣に腰掛けたフランコさんを視界に入れた。
「……フランカも来たんだ。で、フランカが何だって」
龍生君はイタリアの男性称であるフランコではなく女性であるフランカで呼んでから、少し面倒臭そうにカテリーナへ質問を促す。
何となくこういった仕草は普段の狗狼を彷彿とさせ、龍生君が狗狼と付き合いが長く影響を受けていることが感じられた。
「だから、フランカって人と狗狼が親しそうだって。何か知っているのかなって」
カテリーナはひそひそ話をするように龍生君の耳元に顔を寄せ、小声で質問する。
私はカテリーナが龍生君に顔を寄せる前に、一瞬、心細そうに目を伏せる姿を始めて見て戸惑うと共に、親友がそのような表情を見せた理由について、胸中にさざ波が立つのを感じ取った。
「そりゃ当り前だろ。あの二人、一時期、一緒に暮らしてたんだから」
「――え?」
「――はあ?」
私とカテリーナは同時に声を上げると龍生君へ視線を向ける。
逆に龍生君が目を丸くして私を見つめる。
「え、狗狼から何も聞いてないのか」
「聞いてたら訊かないわよ」
カテリーナの言葉に私も頷く。
「あーっ、まあ狗狼は訊かれた事にしか答えない人だからなぁ」
龍生君は困った様に宙を仰いで腕組みをした。
「俺も経緯とかは知らないんだ。俺が小学一年か二年の頃、此処でフランカが狗狼と一緒に暮らしていた程度。それもひと月程度でフランカはオストリコさんに引き取られたからな」
オストリコさんは長田区のイタリアンレストラン、「イルマーレ」の給仕長を務める四十代ぐらいのイタリア系銀髪銀縁眼鏡で長身の男性だ。
私も狗狼に連れられて優雅なディナーを愉しんだけど、オストリコさんのベストとソムリエエプロン姿が気品に満ちていて、少し見惚れてしまった。
その慇懃でいつも微笑を浮かべている接客から、「チップ禁止」とされている店内に置いても彼にチップを渡そうとする女性が多いのも解る気がする。
フランコさん、いやフランカさんはオストリコさんに引き取られてから「イルマーレ」の仕事を手伝う様になったんだと思う。
それにしても、狗狼とフランカさんがひと月とはいえ一緒に暮らしていた。
あの二人の親しそうだが、どこか遠慮しあっているような雰囲気はそれだけでは無い様な気がするけど。




