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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第六話 運び屋の季節 1年目 冬 十二月
173/196

前編 狗狼SIDE(11)

 不意にスラックスのポケットに突っ込んだ携帯電話から呪いの黒電話が鳴り響き、俺は携帯電話を抜き取るとその発信元を確かめた。

 【魚政(うおまさ)】? あの親父が何の用だろう。

 【魚政】というのは三宮センター街地下に店を構える魚屋だ。

 主にセンター街に出店している飲食店に魚を卸しているが、一般の買い物客にも安く売り(さば)いてくれる。

 俺はオリガ達に背を向けると携帯電話を耳に当て「おやっさん、どうした?」と携帯電話の向こう側に問い掛けた。

 携帯電話から伝わってきたのは六〇代の親父ではなく、俺の良く知る一〇代少女の澄んだ声が耳に飛び込む。

狗狼(くろう)、そのクリスマスパーティー用の食材を買いに来たんだけど、鮭が売り切れなの。その代り、ブリ、サバ、タラが四割引きで安く買えるから、それで何か料理できるかなあと思って」

「へえ、四割引きとは、おやっさんも思い切った事をするね」

「うん、ここは買いと思うの」

 湖乃波(このは)君の声はこころなしか弾んでおり、如何やら四割引きの誘惑を逃す気は無いようだ。

「そうだな、となると此処は皆で食べられる事を前提とした料理を選ぶか……」

 と、すると鍋物が王道だよな。で、クリスマスパーティーだから滅多に目にしない鍋料理を選ぶ事にした。

「【魚スキ】にするか」

「うおすき?」

 やはり湖乃波君は聞いた事が無い料理らしく、オウム返しにその料理の名を口にする。

「スキ焼が牛肉とすると、魚スキは魚肉のスキ焼だ」

「そんな料理があったの?」

「ああ、しゃぶしゃぶでもいいかもしれんが、此処はひとつ、何か手を加えておきたいからね。おやっさんに代わってくれるか」

「う、うん」

 僅かな沈黙の後、太い張りのある親爺の声が携帯電話を通して俺の鼓膜を震わせる。

「やあ旦那、久し振り」

「太っ腹なサービスだな、湖乃波君が喜んでるよ。それで食材の追加を頼みたいのだが、ホタテ、サワラ、ワカメ、甘海老は店にあるのか? あれば幾らになる」

「旦那、イクラが鮭になるんでしょう。サワラとワカメはイクラになりませんよ」

「……湖乃波君に今日は魚禁止と伝えてくれ」

「お、おお、あるよ、ホタテとサワラ、ワカメ、あと甘海老ね。ちょい待ち、今、計算するから」

 時々、イラッとくるダジャレさえなければこの親爺はもっと良い奴なんだが。

「旦那、八千八百六十円だ」

「OK、買うよ。代金は湖乃波君に渡してある」

「ああ、お金は湖乃波ちゃんから受け取ればいいんだね」

 さて、けっこうな量になるから湖乃波君ひとりでは手に余るし、【魚政】の親爺に宅配をしてもらうか。

 ついでに折角のクリスマスだから龍生(りゅうせい)に残りの食材を買ってきてもらうのもいいな。

 そろそろ湖乃波君と顔合わせをしておいてもいいだろう。

「すまないが、湖乃波君ひとりでは持って帰れなる量ではないから宅配を頼んでもいいか? あと残りの食材は人に届けさせると湖乃波君に伝言を頼む」

「解った。毎度あり」

 携帯電話を耳から離して振り向くと、ロシアンガール三人組が此方(こちら)を興味深げに見つめている。

「……何だ」

「ウオスキー?」

 なんだ、そのロシア語発音。まるで人名に聞こえるぞ。

 俺は、オリガが何よそれ、と言う様に言葉を口にしたので再度、湖乃波君に説明した内容を繰り返す。

「だからスキ焼の牛肉を魚肉に変えたものだ。スキ焼は知っているな?」

「「「?」」」

 三人が顔を見合わせた後、眉を寄せてこちらを見てきた。そうか知らないか。

「そうだな、解りやすく説明すると熱した鉄鍋に牛脂や菜種油を塗って牛肉を焼きながら、割り下と呼ばれるタレを掛けて味を馴染ませて、卵等の付けダレに浸けて食べるんだ。ちなみに俺が子供の頃は、御馳走メニューのひとつだった」

 解ったかな? とオリガ達に問い掛けてみたが、オリガは腕組みをして豊かな胸を腕の間からはみ出させたまま考え込んでいる。

「……生卵?」

「そう、それに焼いた肉を浸して冷ます」

 【騎手(バイケル)】は姉と違って嫌そうに泣きそうな表情になった。どうやら溶き卵を(すす)るのは異国の方にはハードルが高いらしい。

 逆に【日向葵(パトソールニチニク)】は興味深そうに俺を見て目を輝かせている。

「……」

 この子はオリガとの会話から食欲魔人の様な気がしてきた。

「あー、まあ食べてみたら卵はそう気にならないんだが」

 【真珠】が治ったら、湖乃波君と連れ立ってスキ焼を作りに来てやろうか。

 【慈悲深き手】や【城】の少女達が楽しそうに食事する風景を、そして湖乃波君と彼女達が仲良くなれればいい。

 そんな幻想を、ふと、脳裏に浮かべた。

「ブレード」

 背後からの声と固い物で床を叩く音に振り返ると、杖をついた(たくま)しい身体つきの老人が柔和な笑みを浮かべて歩み寄って来る。

 頭頂部の毛髪は無いが側頭部と口と顎を覆う髭の量がそれを補っているようだ。

 この【城】の主であり【聖なる泥棒】の幹部であるセルゲイ・セレズニョフ。この老人がこの神戸の夜の闇を司る者のひとりとは、その落ち着いた振る舞いから想像できるものは少ないだろう。

 その傍らをオリガは腕組みをしたまま「マーシャも一緒が……」と呟きながら通り過ぎる。

「オーリャ、今日のクリスマスは……」

「……お酒……」

「ね、姉さん?」

 オリガはセルゲイの質問が聞こえなかったのか、酷く真剣な表情で階下へと階段を下りていく。

 俺はセルゲイや妹達と一緒にその黒い背中を見送った。

「……何が、あったんかね」

「……さあ?」

 セルゲイの問いに俺は肩を竦めるしかない。


 セルゲイとの挨拶を終えてアレクセイと警備室に帰って来ると、奥田と此処の警備員達は暇を(もてあそ)ぶかのようにポーカーを始めていた。

 そういえば此奴等、三人とも眼鏡君だな。

「待たせたな」

「いや、有意義な時間を過ごせたよ」

 余裕有り気に返答する奥田とは対照的に、ロシアン眼鏡コンビは白い顔色を更に白くさせている。

 俺は内心哀れに思わざるを得なかった。

 この探偵は年齢以下に見える若い風貌の上に、いつも余裕有り気な笑みを浮かべている為、非常に胸中の機微(きび)が解り辛い。

 その為、トランプゲームや麻雀、花札等、心理戦の絡んだゲームには無類の強さを発揮する。

 ちなみに俺は、重大な局面が来るとサングラスで表情を隠す様にしているが、何故かピンチに陥るのだ。

「ご機嫌だな」

「そうでもないさ」

 俺の問いに答えるへっぽこ探偵の様子に、ますます眼鏡双子の顔色が悪くなる。

 とっとと退散した方が良さそうだ。

 その前に、と俺は携帯電話を取出して幼馴染の御子息である少年の携帯電話番号を押した。

「――もしもし」

 ぶっきら棒な、もしくは不機嫌そうな低い少年の声で応答があったので、俺は努めて明るい口調で少年に今日に用件を伝えようと口を開いた。

「よ、龍生(りゅうせい)、元気か。まあ、俺はどちらでも構わんが、今日の予定は空いているか?」

「……」

「空いていたら、白ネギと大根、ほうれん草、生麩(なまふ)を買って来てくれないか。金は後で払うから」

「……」

「クリスマスパーティーの食材だから料理が出来上がったらお前も食って行け。一人暮らしだからどうせコンビニの弁当しか食っていないだろう」

「……嫌だ」

「ん? 何か言ったか」

「嫌だと言ったんだ。忘れたのか、狗狼と奥田さんが先月何をしたか!」

 いきなり携帯電話の向こう側から響いた怒声に、俺は耳を離して顔を顰める。

「……俺は、何か、したか?」

「!」

 息を呑む気配と共に沈黙が支配する。

「……」

「おい、どうした。身の覚えが無い事を怒られても困るんだが」

「……なんて奴だ。本当に忘れてる」

「だから何を」

 携帯電話の向う側に居る少年は、とても長い長いため息を吐いた。

「あんた等は俺の留守中、勝手に何処からか持ってきたAV(アダルトビデオ)のピンナップやらポスターを部屋に張りまくったじゃないか。偶々帰って来てた母さんにばれない様、急いで剥がしたんだぞ」

 ああ、そう言えば思い出した。

「何だその事か? つまらんことを気にしているな」

「つまらない事じゃないでしょう。まるで俺がエロ猿じゃないか」

 これだから中学三年生は青いよな。あと一年もすればそっち方面への興味が増大することになるんだが。

「いや、中学三年にもなって彼女が出来たとも聞かないし、浮いた噂も無いから、ひょっとして奥手なのかと思ったんだ。余計なお世話だったか」

「それがどうして部屋中にいかがわしいポスターを張ることになるのかは解らないが、余計なお世話だ」

「でもなあ、龍生」

「何ですか?」

「海外の(はじめ)は、いいぞ、もっとやれ、って焚き付けてきたんだが。それに志桜里(しおり)の許可も取っているぞ」

「……」

 根神(ねがみ) (はじめ)志桜里(しおり)夫妻は二人共、俺とは奥田よりも付き合いは古く小学校時代からの腐れ縁だ。

 この夫婦は小学、中学、高校、大学全て同じ学校で過ごしており、そのまま結婚へと至った。

 神戸市市職員である根神は神戸、阪神間で発生した震災の経験を活かして、海外の地震災害発生地域の支援する仕事についており、志桜里は考古学者の仕事柄、日本と海外を頻繁に行き来している。

 偶に二人揃って休暇が取れた時は人目を気にせずいちゃつくので、俺と奥田は一緒に居ると非常に目のやり場に困る時もあるが、仲が悪いよりよっぽどマシだ。

 俺と奥田、マオは、その二人から息子である龍生の世話を頼まれており、ある意味、龍生は俺達五人の息子のような存在となっている。

「何考えているんだ、あの二人」

「そりゃ、息子いじりだろ。大切に思われていていいじゃないか」

「……」

 気難しい年頃の息子を気にしているんだよ。俺はそう口にはしないが、聡い龍生なら解っているだろう。

「で、龍生」

「何」

「志桜里から伝言、ベットとマットの間に本を隠すのはバレ易いからやめなさいって」

「……」

「アイツは俺達の部屋に遊びに来たときに、何故か家探しして隠してある本を見つけるのが上手くてな。よくからかわれたものだ」

「……そうですか」

「安心しろ。勉強机の引き出しの裏に張りつけているポニーテールの水着のお姉さんの写真は見つかっていないから」

「どうやって見つけたんですか?」

 歴史は繰り返すだよ、龍生君。

「まあ、志桜里に教えてもいいが、お前も母親が帰国早々からかって来るのは避けたいだろう。それで、買物の件と夕食だが」

「……悪党」

 携帯電話通話が切れて、そっけない電子音のみが俺の耳にこだまする。

 さて、これで食材と龍生の晩御飯。二つの問題がクリア出来た。

「なあ、奥田。龍生はあのピンナップとかポスターが迷惑だったらしいぞ」

「あれ、そうか。何でだろう?」

「ひょっとして洋モノが好みとか」

「あー金髪ダイナマイトか。それは見落としていたな」

 じゃあ、次は黒髪ポニーテールと金髪ナイスバディの組み合わせで部屋の模様替えをしてやろう。

「……」

 何故か、何処かで見たような組み合わせの様な気がした。

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