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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第六話 運び屋の季節 1年目 冬 十二月
170/196

前編 狗狼SIDE(8)

                      4


 アレクセイに先導された俺は【(クリェームリ)】の二階に上がった。

 二階の階段を挟んで右側は【城】の会員や【セルゲイの娘達】のくつろぐ空間となっており、併設されたバーでお酒を(たしな)む事も出来る。

 そこから【城】の本来の役目である会員と少女達の仕事場である別搭へ繋がる廊下があるのだが、俺は会員となってもそこを通る予定は無い。

 少女達が生きる為に選んでいる仕事であるが、俺はその行為に対する嫌悪、特に会員に対してそれを拭い去ることが出来ないのだ。

 二階左側は【城】で生活する娘達の部屋が連なっており、今日の俺はそちら側に用がある。会員にも認められていない行為が許されるかどうか、此処(ここ)はセルゲイの裁量を仰ぐしかない。

「そこのバーで待っていてくれ。爺様に話を通してくる」

 アレクセイがセルゲイが執務する三階へ上がっていくのを見送った後、俺はバーカウンターの奥で退屈そうに肩肘を付いて寛いでいる、癖のある亜麻色の髪をした細面のベスト姿をした女性の前に向かった。

 彼女のベストからスラックスに到る細腰のラインがすぐさま脳裏に浮かんだのは、我ながら驚異的な記憶力だと感心せざるを得ない。

 カウンターの上に両手に下げたショートケーキの箱を置いてからイ椅子に腰掛けた。

「やあ、久し振り」

 俺の挨拶に、彼女はつまらなさそうに視線を俺に向けた後、「注文」とだけ言った。どうやら客商売という言葉は、この物憂げな表情の似合う女バーテンダーの脳内には無いらしい。

「エビアン」

 確か一杯五拾円だったよな。

 俺は尻ポケットからバギーポートのキーケースを取り出した。

 このキーケースは小銭入れにもなり、数枚の折り畳んだ紙幣と小銭を納めることが出来る。

 このキーケース内に収まる分の金額しか持ち歩けないのが悲しいところだ。

 残念ながら五拾円玉は無く、百円玉を一枚、カウンターに置いた。

 ひと月前と変わらない長くて細い優美な彼女の指先が、銀色に鈍く光る硬貨を摘み上げてベストの胸ポケットに放り込む。

 あの百円玉は幸せ者だろう。俺は心底そう思った。

 彼女はカウンターの上にグラスを二個並べると、冷蔵庫から取り出した氷を放り込んでペットボトルの水を注ぎこんだ。

 グラス表面の水滴をものともせず彼女はグラスを一個、俺の前に押しやってからもう一個を手に取る。

 グロスの艶が彼女の紅みの強い唇を光らせ、グラスに口を付ける仕草さえ芸術の域に押し上げている事に感動しつつ、俺はある疑念を浮かべた。


 此処にはお釣りの概念は無いのであろうか。


「それで、今日は何の仕事なの?」

「仕事じゃないんだ。正式に会員と認められたのでね」

 グラスから唇を話して訊いてきた彼女へ、俺は片目を閉じて答える。

「先月言っただろう。指先の綺麗な君に会う為に会員になってもいいって」

「あら」

 彼女は僅かに驚いたように目を見開くと、呆れた様に苦笑を浮かべた。

「此処の会員なら若い()が好みじゃないの?」

「残念ながら俺はその方面には興味が無くてね。君と会うのに他の方法が思い浮かばなかった」

「本当かしら?」

「本当さ。今でもグラスに触れる君の指先から目が離せない」

 事実、彼女のピンク色の爪先と優美にグラスに巻き付く彼女の指は芸術品であろう。

 世の中には手首専門のモデルもいると聞いているが、彼女なら立派にその役を務められる。

「貴方、指フェチ?」

「誤解しないでくれ。俺は臆病でね。サングラス越しでも君の尊顔を数秒しか拝めないんだ。だから指先で我慢してる」

 今、眺めているのはベストの腰からスラックスの尻と太腿に繋がる曲線(ライン)だが細かい事は別にいいだろう。

「何処かの勇者の様に、俺はカウンターの水滴に映った君の美貌を見て満足するよ。君の顔を正視して、心臓(ハート)から石になりたくない。そうなると此処から離れられなくなってしまう」

「そうなったら廃品回収にでも出そうかしら。女性を見ると自動的に喋る石像って需要があるかも」

「……あるの、かな?」

 彼女はカウンターに置かれた箱に眼をやり首を傾げる。

「それで、これは何?」

「ああ、これは」

 ついでだから彼女に頼むのもいいかも知れない。

 俺が片っ端から少女を捕まえてケーキの入った小箱を渡すのも様にならない。探偵ならともかく、俺では彼女達を警戒させるだけと思うのだ。

「すまないが、このケーキを此処の少女達に配ってくれないか。人数分には少な過ぎるが、クリスマスプレゼントなんだ。ただ、ちょっと甘さは控えめでお気に召すかは解らない」

「なんだ、やっぱり若い子が好きじゃないの?」

「いや、苦手さ。だから借りは早く返したいんだ」

 少なくとも彼女等と係わらなければ、無責任に彼女等の置かれた境遇に同情しようとする己を認識せずに済む。

 救う事も出来ずに同情だけして見せるのは、自分を高潔だと見せつけたい、己が心優しく慈悲に富んでいる者だと自分と世間に知らしめたい、そんな輩だろう。

 可哀想と思うなら、今、救え。

 出来ないのなら、彼女達を蹂躙するが生きる為の金銭を与える者達の方がよっぽど彼女達に助けになる。

 こちらに歩いて来るアレクセイを視界の端に(とら)えた俺は、グラスの中の冷たい水を飲み干して俺の中の鬱屈(うっくつ)腹腔(ふっこう)に流し落とした。

「じゃあ、頼むな。御馳走様」

 これから俺が向かうのは同情や口先だけの慰めで如何こう出来る相手ではない。

 俺はカウンターの上からケーキの箱をひとつ取り上げると、椅子から下りカウンターの彼女に手を振って背中を向ける。


 俺とアレクセイが向かったのは二階の壁から三番目の部屋だった。 

 ちなみに一番壁際の部屋から俺は狙撃されたのだが、機会があれば調べたほうが良いだろう。

 アレクセイは室内に声を掛けようとして、思い留まった様に俺を振り返った。

「……俺は今でもお前の責任ではないと思っているが、どうしても会うのか?」

「ああ、俺が発端なのは間違いはない。他の奴等がこの世からオサラバしている以上、俺の役目だろ」

 アレクセイは表情を消してからドアを二度ノックする。

真珠(ジェームチゥク)、お客を連れてきた。入るぞ」

 アレクセイは返事も待たずにドアを開けて、俺に向けて視線で部屋に入るように促した。

 俺の知る限り、この部屋の主は返事をすることは無い。いや、出来ない。

 六畳ほどの部屋には本棚とセットになった机と椅子。衣類を入れるカラーボックスとその上にはテレビやビデオ、ゲーム機が置かれており、その向かい側のベッドでこの部屋の主はそれらの娯楽を楽しむのだろう。

 その主は先週にこの部屋へ戻ってきており、己の傷ついた心と体を癒すべく休息している。

 俺はベッドでヘッドボードを背もたれにして腰掛けた怪訝(けげん)な表情で俺を見つめるこの部屋の主に軽く会釈してから、机の上にケーキの箱を置いて彼女に向き直った。

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