三章 隠れ家での一夜(3)
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さて、まず【ホテルさ〇ゆり】に行く前にコンビニのはしごをしなければ。一回で引き出せる金額が決まっているのがまことにもどかしい。
三時間後、俺は【ホテルさ〇ゆり】の駐車場にコンビニで卸した札束を入れた紙袋を小脇に抱えて佇んでいた。
予定より時間をくったのは、コンビニのくせに二十四時間営業で無く、午後八時に閉店なんて店がいくつか存在したからだ。
なんで俺はそんな苦労をしてここにいるんだろうと自問自答を飽きもせず繰り返していた。
誰に褒められるわけでもなく、俺の利益どころかひたすらマイナス側へ倒れ続ける今回の仕事の収支決算を考えると、俺は今後、どうやって生活すれば良いのだろうかと途方に暮れる。
しかし、俺の両足はホテル入口の自動ドアを抜け、ロビーのフロントへ向かっている。
深々と一礼したフロントの受付嬢に「竜胆さんの泊まっている部屋を教えて欲しい」と尋ねると、受付嬢は俺の頭の天辺から足の爪先まで一瞥して「申し訳ありませんが、お客様のプライバシーに係わりますのでお答えしかねます」と見事に拒否してくれた。
まあ、黒づくめにサングラスを掛けて、ふくれた紙袋を小脇に抱えた男が部屋を訊ねたら誰でも警戒はするだろう。
「お待ちかね美少女の味方推参、て伝えてくれるかな。多分、会ってくれるはずだよ」
訝しげな受付嬢は内線でおそらく【鳳会】幹部である竜胆の泊まった部屋に掛けたのだろう、俺に聞こえないよう受話器を掌で覆って二言三言言葉を交わすと、受話器を置き俺に向き直った。
「竜胆様は二十三号室でお待ちです」
「はいはい、どーも」
俺は受付嬢を労ってから階段へ足を運んだ。さて、ここからが正念場。
二十三号室の前には昼間、近露王子近くの河原で見かけた包帯男と辛子色のジャケットを着た男が、視線で俺を殺せそうなほど睨み付けてきた。
包帯男は包帯を巻いた箇所が増えており、昼間は頭部のみであったが、今は衣服の上から右肩と左膝にも巻いている。つい心配になり「ケガは大丈夫か」と声を掛けたくなるが、そんなことをすれば一悶着起こすことになるのでやめておこう。
辛子色のジャケットは右目の上に絆創膏を貼っており、右手首に包帯が巻かれているのは、おそらく前のめりの倒れる際、とっさに手をついて顔をかばった時に手首を痛めたのだろう。車ごと川にでも落ちたのかな。
「何しに来たんだ、てめーはよ。詫びを入れても許さねえぞ、コラァ」
辛子色ジャケットが凄んで俺の通行を妨害するように前に出てきた。
「あー、じゃあ帰ろうかな」
辛子色ジャケットは踵を返した俺の右肩に乱暴に手を掛けて引き戻そうとするが、俺は右肩を掴んだ右手首にそっと左手を重ね、勢いよく振り返った。
辛子色ジャケットの右手首が嫌な音を当てて捻られる。短く呻いて右手首を左手で押さえて蹲る辛子色ジャケットの背後に回り込み、紙袋を左手に持ったまま左手首を辛子色ジャケットの首に廻して無理やり引き起こした。
「まあまあ、そういきり立たずに。俺は話し合いに来たんだ。あんたは部屋に通してくれればいいんだ。それとも」
俺は右懐からコンバット・フォルダーを抜き出して刃を起こした。
「無理やり押し通って欲しいのかな」
俺はナイフを逆手に持ち替え、刃先を辛子色ジャケットの鳩尾に向けた。このまま右手首を上に動かせば、あばら骨の下から突き上げる様にナイフが心臓を貫く。
「ドアを開けて脇に退け」
俺が短く命令すると、包帯男は俺を睨み付けたままドアを開けた。隙あらばなんとかしようとでも思っているのだろうが、辛子色ジャケットがナイフを気にして硬直している限り、この男を傷つけずに俺の隙を突くのは難しいだろう。
二十三号室には辛子色ジャケットと包帯男を除いた近露王子で見かけた奴等が揃っており、眼鏡をかけた男は風呂上がりなのか浴衣に着替えて、左手には缶ビールを握ってソファに腰掛けてくつろいでいる。
俺と辛子色ジャケットの前に男達が立ち上がり身構えた。懐やポケットに手を突っ込んでいる男達であったが、むやみに突っかかって来ないのは辛子色ジャケットが俺の前を塞いでいる事と、昼間の乱闘が印象に残っているからだろう。
「人が寛いでいる処に乗り込んでくるとは、風呂上がりぐらい好きにさせてくれないか」
眼鏡男がビールを口に付け落ち着いた口調でたしなめてきた。竜胆と呼ばれるこの男がリーダーなのは明らかで俺の用件を取り敢えず聞いてくれそうだ。
俺は左手に持った紙袋を、ビールの空き缶と柿ピーの入った皿が置かれたテーブルに放った。意外と重い音を立ててバウンドする。ついでに折り畳みナイフの刃先を辛子色ジャケットの鳩尾からのけた後、膝で尾てい骨を蹴っ飛ばして男達の真ん中に辛子色ジャケットを押しやった。
男達がそれを避ける為、僅か後退った中を俺は二歩ほど入り込み、大股で一歩踏み出せば眼鏡男にナイフが届く位置まで接近する。
「竜胆さん、今日のろくでなしな荷物があんた等にに借りたのは利子を含めて幾らだ?」
俺は油断なくナイフの刃先を眼鏡の若頭に向けて、低い声で質問をする。
情報屋の調査では四百万らしいのだが、それは【鳳会】に依頼された回収するべき借金で、それ以外の金融業者からも借りていた場合の金額は見当も付かなかった。
「四百万だ。ただし、俺達の手数料を含めると百万追加で五百万。それに仕事にかかる前に調べたが、彼奴は他の業者から三百万借りている」
竜胆は軽くため息を吐いてから俺の質問に答えてくれた。
鳳会からの借金を上乗せせずそのまま答えた事から、この男は純粋にビジネスとして回収業を営んでいるんだろう。
しかし、手数料が百万か。七人だから一人頭十四万の報酬。
お前等、それは少な過ぎないか!
此奴らの業界もかなり厳しいのかも知れないと、俺はひそかに同情した。
気を取り直して俺はテーブルの前に放った紙袋を左手で指差して、それを確かめるよう促した。
「その紙袋の中に三百五十万ある。二百五十万を借金の返済に充てて、残り百万をお前らの手数料にしろ。これであの子を借金のカタにするのを諦めて貰いたい」
かなり虫のいい話だろうが、この要求を呑んで貰わない事には話が進まない。
「ふざけるな。この金も、あのガキも貰っていくに決まってるだろうが。さっさとガキを連れて来い」
赤シャツパンチが吠えた。まあ、当然だわな。
「それじゃあ、あんた等は手ぶらで帰るんだな。この場合、素直に受け取って帰った方が一応の面子は立つと思わないか」
鼻先で笑いながら放った俺の一言に、竜胆以外の男達から怒気が膨れ上がる。臨界点に達した時、一体どうなるのか。それは容易く想像出来た。
「お前をぶっ殺した後で、金を頂いてやるよ」
斜め後ろからくぐもった声で金髪ロン毛が嘲笑して手にした安物っぽいナイフを胸前に構える。
そのナイフ、握り手に凹凸が少ないから、人を刺すと血糊で指が滑って自分の指が切れちゃうぞ。
俺はこの状況に対してもそれほど恐怖は感じなかった。
俺が金を用意したのは、荷物を見失った俺にも過失がある事と、少女が荷物である以上、俺が彼女を渡さなかったのは運び屋のルールに反したからだ。
それが必要無いと言う以上、無理に受け取ってもらう事はないし、俺の金も失わなくて済む。それに、
「七人なら俺を三途の川に突き落とせるかもな。ただし俺は、五人は連れて行くぞ」
こちらの方が面倒臭くなくて良い。
自分達が侮られたと思ったのか、男達の表情が険しくなる。
「手前っ」
一斉に奴等が動き出した。
俺の背後から金髪ロン毛がナイフを腰だめにして突っ込んでくると共に、赤シャツパンチの右手がジャケットの左脇に差し込まれる。
「よせっ! 落ち着け、お前等」
鋭い一喝に、殺気立った奴等がたたらを踏んで、立ち上がった竜胆に注目する。いや、その内の二人は竜胆に止められる前に、動きを止めていた。
金髪ロン毛は畳に突っ伏して何とか両手で立ち上がろうとしており、赤シャツパンチは無くなった右手人差し指の痛みと、首の皮一枚分食い込んだナイフの刃の冷たさに歯の噛み合わない程、身体を震わせ恐怖に耐えているようだった。
部屋に鉄分を含んだ生臭い臭いがこもり始め、俺の鼻腔を刺激する。
奴等が動き出すと同時に、床すれすれに走った俺の回し蹴りが金髪ロン毛の両足首を薙いで宙に浮かせ、その旋回する勢いを殺さずに走ったナイフは、赤シャツパンチのジャケットから拳銃のグリップを握って抜き出されようとした右手人差し指を下から切り飛ばし、更に半円を描いて奴の首筋に向かったところで制止する声が響いたのだ。
「済まないがナイフをどけてやってくれ。ひとまず休戦しよう」
「はいはい」
俺が赤シャツパンチの首からナイフを除けると、赤シャツパンチは腰に力が入らなくなったのか、その場に尻餅をついて深く息をついた。
コンマ数秒程、竜胆の制止が遅かったら、彼は右人差し指だけでなく自分自身も赤黒く変色した床に横たわっている事を実感しているのだろう。
「病院に連れて行って手当てして貰え」
竜胆の指示に辛子色ジャケットが赤シャツパンチの左脇を支えて立ち上がらせる。床に落ちた右人差し指は包帯男がティッシュに包んでコンビニのビニール袋に入れて、二人の後に続く。