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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第六話 運び屋の季節 1年目 冬 十二月
168/196

前編 狗狼SIDE(6)

 雑木林に足を踏み入れると、周囲の木々はすっかり葉を落としているものの、その木々の多さから日差しは遮られ薄暗い沈黙が支配していた。

 サングラスを掛けている俺にはあまり関係が無いが、急にこの場所へ足を踏み入れた者は明暗の変化について行けず一時的な失明状態に陥るだろう。

 俺は木々の間に張り巡らされたワイヤーとその先に吊り付けられた手榴弾やIDEに注意を払いつつ、何とか道から一〇メートルほど離れた雑木林の中に到着した。

 ここまでくれば我慢の限界に達した奴が俺に殺意を向けてきたとしても、周囲の木々に阻まれ行動が制限されるはずだ。

「しかし身体が固いな。齢を取るとこうなるのか」

 俺は背中にジッパーに手を掛けて下げようとするが、なかなか小さいジッパーの取っ手に指が届かない。

 湖乃波(このは)君、俺が美女のワンピースのジッパーを下げているのは彼女達の助けになっていたのだよ。

 よし、俺はこれから美女の身につけたワンピースの背中のジッパーを、下げて下げて下げまくるぞ。

 それは偶然だった。

 ふと【(クリェームリ)】の白い外観が眼に入った時、雲の切れ目から光が差し込んで二階右端の窓の下が一か所だけ光を反射したのだ。

 それが何か解らぬまま、俺は勘に従って倒れ込む様にして大地に身を投げ出した。

 頭に被ったトナカイの頭巾が引っ張られる感触と共に、残ったトナカイの角が吹き飛ばされて宙に舞うのを視界の隅に捉える。

 側の木の幹が異音を発して樹皮がめくれ薄茶色の中身をさらけ出す。

 狙撃!

 俺は飛来した弾道を推測すると、カッターシャツとスラックスをジャケットに包んで這ったまま背中に括り付けた。

 飛来した弾道の直線を避けるように、匍匐(ほふく)前進で弾丸の突き刺さった木の幹の背後へ回り込む。

「なるほど、確かに受け入れられていないな」

 あと数センチ下ならIDEの迫撃砲弾に命中したのだが、それが俺を狙って偶々その木に当たったものか、それともその砲弾を狙って外れたものか、そのどちらにしても死が身近に迫った事は確かだろう。


 数分後、大人しく車内で着替え終えた俺は、カサブランカの花束を右手に、スミルノフ・ウオッカの瓶を左手に門柱の前に(たたず)む。

 メエーチ、ロシア語で【剣】を意味する名で呼ばれていた老人は何時もこの前に立って【(クリェームリ)】を守り続ける門番だった。

 そして【聖なる泥棒】の抱える暗殺者【慈悲深き手(ドーヴルィ ルーキ)】の一員としての顔を隠していたのだ。

 何事も無ければ門番の一人として生涯を追えただろう。部下や友人、セルゲイに見守られながら静かに目を閉じる。それの似合う穏やかな老人だった。そうあるべきだった。

 しかし、メエーチは【シベリアの掟】の代行者である【慈悲深き手】の一員として、死と恐怖で掟を守る暗殺者の首領として最後を迎える。

 俺は門柱の前にしゃがみ込み、門柱にカサブランカの花束を立て掛けた。

「なあ、メエーチ。ロシアじゃ死んでから四〇日を過ぎるまで、自分の罪を見せつけられるらしいじゃないか。あんたはあっさりと見終わるのか、それとも四〇日じゃ足りないのか、どちらだろうな。俺の罪は四〇日じゃ足りないから、あの世の再生機器に倍速が付いていないと困るんだ」

 あの世の天使が俺よりAV機器やパソコンに詳しかったら、それはそれで問題だが。

「俺達は地獄行きだ。あんたはそれでも背筋を真っ直ぐ伸ばして見続けて、神様の判決も毅然(きぜん)と受け止めるんだろう。私は【シベリアの掟】を守った。恥ずべきとこは無いって」

 俺は奥歯を噛み締めた。

 【シベリアの掟】が定めた決闘、遺恨を残さない為の救済処置。

「だが俺は【シベリアの掟】は大嫌いだ。あんたとの決闘は」


 山の様にショットグラスの積まれた酒場のカウンター席に腰掛けたコートを着た若い女性と、カウンターに突っ伏した背広姿の若きセルゲイ。

 メエーチはベスト姿でショットグラスを手にしたまま目を白黒させている。

 若い女性は背後の俺を振り返った。

 長い背までかかるウエーブの掛かった黒髪が揺れ、悪戯っぽい光を湛えた両眼が俺に向けて楽しそうに細められる。

「クロウ。今回の決闘は、ナイフでもお酒でも私の勝ち。これで六連勝」


 俺は追憶を断ち切るとウオッカの瓶をカサブランカの隣に立てて腰を上げた。

「これは遅い餞別(せんべつ)だ。奥さんと【先生】、一緒に居るあの娘にもよろしくな」

 俺は踵を返してゴルフⅤに向かう。あとひとつ、けじめをつけなければならない。


 カサブランカの花言葉は、威厳、純潔、高貴。

 【シベリアの掟】を生涯守り通した男に相応しい花だろう。

 

 俺は白磁の洋館前の駐車場にゴルフⅤを停めると、俺と探偵、そして【(クリェームリ)】の会員を先導する役目も受け持つ為、同乗していたアレクセイはゴルフの荷室に積んだショートケーキの箱を手に取って洋館に通じる急な階段を上がる。

 先月、彼等に渡した賠償金の中から俺は【城】の入会料を払い会員となった。

 入会に関しては此処の主であるセルゲイの審査を受けなければならず、余程の事が無い限り会員として認められるのであるが、俺に関してはセルゲイは難色を示した。

 メエーチの事に関してわかだまりがあるのかと幹部連中やアレクセイが質問すると、彼は「あれは決闘であり、双方合意で問題無い」と言ったらしい。

 幹部達からは「あの男はある一定の年齢以下の女性には手を出さず、爺様の娘達には手を出さないので、一番安全な会員ではないか」と意見が出たらしいのだが、セルゲイは首を縦に振らなかった。

「娘達以外の女性に手を出したらどうする? オリガは二十歳以上だぞ」

 重厚な声で見事な公私混合を言ってのけたので、セルゲイの友人であるマーシャの「運転手(ヴァディーチリ)も会員にしておけば、【城】に対して敵対行動は取らないだろう」との建設的意見により会員決定と判断が下されたのだ。

 門から駐車場までの道行きでその経緯を語ったアレクセイと、それを聞いた探偵は大笑いしていたが俺としては面白くない。

 いつ俺が無節操に女性に手を出したのだろうか。

 俺は双方同意でないと手は出さないぞ。

 それに、セルゲイの後を継ぐ養子であるが、【城】の商品である【セルゲイの娘達】と異なり、真のセルゲイの娘と称される女幹部、オリガ。

 あの赤毛の美人だが底の知れない何かを感じさせる女性は、俺の勘が常に警報を発しているのだ。

 出会って間もない頃は彼女の赤い艶やかな髪や切れ長の瞳、大きい胸や高く細い(くび)れた腰に降参しそうになったが、今はそうではない。

 話によると広島での一件では彼女自ら現地に赴いて、小規模であるがひとつの組織を壊滅させたらしい。

 そして同時進行で【城】の情報を漏らした【聖なる泥棒】の構成員を粛清するよう采配して、【シベリアの掟】を徹底させた。

 俺としては、それはあくまで彼女の表面で、内部はもっと危うい何かを秘めている様にしか思えない。それに関わるとろくな事にはならないだろう。そんな気がするのだ。

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