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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第六話 運び屋の季節 1年目 冬 十二月
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前編 狗狼SIDE(4)

「【田口青果】さんにも悪い知らせね。【初恋の香り】の追加注文は出来そうにないわ。ちょっと待ってて」

 彼女はそう呟くと踵を返して扉で仕切られた厨房へ向かうと、数秒後戻って来た時には色の白い苺を二個、小皿に乗せて戻って来た。

「これが【初恋の香り】。ちょっと食べてみて」

 苺が白い。それだけで俺はかなり驚いているのだ。

 雪柳(ゆきやなぎ)さんと俺は、それぞれ一個ずつ、珍しい白い果実を口に運ぶ。

 俺は口腔内で潰した果実を舌の上に運んで目を見張った。雪柳さんは俺のその表情を満足そうに見上げる。

「……酸味が控えめで、甘いがくどくなくて甘いものが苦手な奴でも自然に食べれる」

「そうでしょう。このケーキにはちょうどいい甘さだと思ったの。にが甘いチョコレートと相性がいいのじゃないかって」

 雪柳さんは同意を得たとばかりに目を細めて破顔した。

 あまり笑顔を見せない彼女だが、やはり自分の選んだ食材をほめられると嬉しいのだろう。

 よく見ると彼女の理知的な瞳の中にある白色は僅かに赤みが差してあり、クリスマスというイベントに貢献(こうけん)する為、どれだけ彼女が身を削って来たか容易に想像出来る。

「そうだな。慧眼恐れ入るよ、雪柳さん。でも俺は」

 俺は左手で雪柳さんの腰を抱えて引き寄せると、右手でトナカイのマスクを外してから彼女の顎先を持ち上げてその瑞々しいピンク色の唇へ己の唇を重ねた。

 彼女の唇からは先程彼女の食した【初恋の香り】の甘い香りと味が俺の唇越しに伝わって来る。

 俺の初恋にそんな甘い香りは無かったはずだが。

 鼻に掛かった雪柳さんの声に満足すると、俺は彼女の唇から離れて眼鏡を掛けた理知と上気した色気の合わさった美貌を見下ろす。

「こちらの果実の方が好みなんだが」

「……美食家、と思っていいのかしら?」

 その問いには答えず、俺は彼女のコック帽からこぼれたこめかみの癖のある黒髪を人差し指に巻いた。

「寝てないようだな。君は少し休んだらどうだ。一時間ほど眠ると楽になるぞ」

「ケーキを買いに来るお客がいるかも知れないわ」

「じゃあ、尚更の事眠らないとな。評判の美人さんが笑顔でケーキを売ってくれる。その客の期待に応えてあげないと」

「そう思っているのは、貴女だけよ」

 彼女のコックコートを身に付けた両手が俺の首の後ろで組み合わされる。

「じゃあ、俺は君に俺が正しい事を教えてあげよう」

 彼女に引き寄せられて再び俺はその果実を、さっきよりも長い時間を掛けて味わった後、首筋に顔を下ろして口を付けた。

 やはり俺は甘いケーキより少し酸味のある果実の方が好みだと再認識する。

 俺は彼女を抱きかかえたまま厨房に通じるドアに手を掛けて開くと、彼女を転ばさぬようにゆっくりと足を進めて後ろ手にドアを閉めた。

「俺も宅配前に一休みさせてもらうか」

「じゃあ、後であのケーキを食べて貰おうかしら」

「悪くないね」

 二人並んで二階に上がる階段へ足を掛けた時、不意に俺の携帯電話から黒電話の着信音がけたたましく鳴り響く。

「……」

「……」

 どこのどいつだ、こらぁ!

 俺は彼女から離れてスラックスのポケットから携帯電話を取り出すと、その向こうへ怒鳴りつけてやりたい衝動を堪えて耳に当てる。

「誰だ?」

「おーい、もう限界だぞ。車が緑の上着を羽織ったオジサン達に囲まれているんだ。助けてくれ」

 内容とは裏腹に何処かゆったりとした探偵の口調に、俺は短く舌打ちをしてから雪柳さんを振り返った。

「すまない、どうやら直ぐ出た方がよさそうだ。ケーキを積み込ませてくれないか」

 数分後、六人以上の駐車違反監視員に見守られながらケーキの積み込みを終えた俺は、見送りに出ている雪柳さんを振り返った。

「本当に一時間程休む事、それと」

 俺はゴルフに乗り込んでからイグニッションキーを捻る。

 一四〇〇CCのエンジン音は、ゴルフの車内にいる限りそう大きくは無く気にならない。

「あのケーキ、あといくつあるんだ」

「え、九ピースあるけど」

「俺はケーキは苦手だが、そのケーキはだけは食べたくなった。残り九ピース、配達が終わったら受け取りに戻るから取っておいてくれ。じゃ、行って来る」

 驚いて何か言っている彼女を残し、俺はゴルフⅤのアクセルを踏み込んだ。


「さて」

 俺は中山手通を北上し市営夢野台住宅前の道路沿いにゴルフⅤを停める。

 この市営夢野台住宅沿いの道路は三宮から西神戸、もしくは三木市に通じており、交通量が多く急な坂道なので通行する車両は非常に停車することを嫌う。

 そもそも、この菊水町は鵯越町(ひよどりごえちょう)、かの源平合戦で有名な鵯越の名を冠した地域と隣接していると言えばその急勾配の坂道がどんなものかは想像し易いだろう。

 そんな坂道を迷惑そうにゴルフⅤを避けて上る車両達を尻目に、俺は集合住宅内部に足を踏み入れた。

 集合住宅は一九七四年に建てられてからかなり年数が経っているが、入居者が多いのはこの近くにスーパーやドラッグストア、飲食店が揃っており環境が整っているからだろう。

 俺はやや薄暗い集合住宅内に入ると三階を目指して階段を昇り始めた。この集合住宅にもエレベーターが備え付けられているが、三階程度上がるのにエレベーターを使うのは如何(いか)にも面倒臭がっているようで、精神的にも肉体的にも良くはない。運び屋は体が資本だから、時間が()いていない限り五階までは階段を使うべきだと俺は思う。

 三階まで上がると通路を目的の部屋まで渡る。

 受取人は昼を僅かに過ぎた時間帯に在宅してそれなりの値段のケーキを購入出来るのだから、ひょっとしたら冬休みに突入した大学生かもしれない。

 部屋番号を手持ちのメモと見比べて届け先に間違いの無い事を確認すると、俺はドア脇のインターホンのボタンを押して、若干(じゃっかん)大きな声で目的を伝えた。

「済みません、ケーキをお届けに参りました」

 数秒待つと、ドアの向こうからスリッパで廊下を走る子気味良い音とドアの鍵を解除する金属音が鳴り響く。

「あ、有難う御座います。今日はこのケーキが待ち遠し……」

 ドアを開けながら、如何にも二十歳になったばかりだと解りそうな、髪を薄茶色に染めたそばかすの残る女子が身を乗り出した。

 視線を上げ、俺の姿を視界に入れる。

「ひっ!」

 短く叫んだ女子が靴脱ぎ場に引っ込み、開けるスピードの倍以上のスピードでドアが閉じられ轟音を立てた。

「……」

 さて、俺はどうすればいい?

 数分後、何とかケーキ受け取ってもらった俺は憮然とした表情(と言っても見た目はトナカイだが)で集合住宅を出た。

 無言でゴルフⅤのドアを開け乗り込む。

「……ふう」

 助手席に腰掛けた探偵が視線だけを俺に向ける。

「……次から俺が手渡しに行った方が良さそうだな」

「……頼む」

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