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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第六話 運び屋の季節 1年目 冬 十二月
165/196

前編 狗狼SIDE(3)

                    2 


 俺はゴルフⅤを元町通り二丁目の脇道に停めて、元町商店街に面したケーキ屋へ足を踏み入れた。

 へっぽこ探偵は車に残り「駐車しているんじゃない。停車しているんだ」という屁理屈(へりくつ)()ねるスピーカーとしての役目がある。少し駐車場から離れている為、仕方のない事だと理解して欲しい。

 当然ながら俺は甘いものが苦手なのでケーキには興味が無い。此処へは仕事に来ているのだ。

 狭い店内でガラスウインドウに並べられた色とりどりのケーキやクッキーが俺を出迎えるが、俺が目当てとする女性店主が居ない。

雪柳(ゆきやなぎ)さん、運び屋が荷物を取りに来ました」

 暫くすると軽い足音を立てて奥の厨房からコックコートとキノコ型の女性用コック帽を身に付けた女性が顔を出した。細い銀縁の眼鏡が彼女の知的な雰囲気を高めている。

 そういえばシェフのコック帽は縦に長いモノであるが、あるコックは料理人の威厳を保つ為、三〇センチ以上の高いコック帽を被っていたと聞いた事がある。

 そこまで行くと立派な物入れになるのではないか。それを聞いた当時はそう思った。

「今日は鶏をメインとしたメニューにする」

 そう宣言したシェフのコック帽の内側から短い鳴声と羽音、そして左右にボフボフと揺れているといったつまらない想像を浮かべてしまったのだ。

 それは其れとして、

「君ほどコック帽を美しく被っている女性は見た事が無いな」

 後頭部のコック帽のタレから覗くふんわりと纏められた三つ編みとか、こめかみにはらりと垂れた癖のある黒髪とかが眼福ではなかろうか。

「甘い言葉はケーキで間に合ってるわ。って、何て恰好をしているの?」

 やんわりと俺の軽口に釘を刺した彼女は、珍しい事だが俺の姿を認めるなり眼を見張って声を荒げた。

 素早く二歩ほど後退った事から彼女の受けた衝撃が理解出来る。

「見たまんまだが、解らんか?」

「解るから訊いているのよ」

「それは失敬。これはトナカイだ。そして今日はクリスマス」

「そうね、だから私は貴方にケーキの宅配を依頼した」

 それで、と、彼女は腕組みをして苛立たしげに指先で己の上腕を叩く。

 彼女の眼鏡の奥から細い目を更に細くして睨み付けてくる上に、一見、形良い唇が微笑んでいる様に見えるが、口元が僅かに震えている事から無理矢理形作っているのかもしれない。

 彼女にとって、このトナカイの姿はかなり不評のようだ。

「まあ、いろいろ訳があって奥田がサンタクロース、運び屋の俺がソリを引くトナカイの恰好でケーキを配る。そう決まった。クリスマスのありふれた風物詩ってやつだ。珍しくもなんともないだろう?」

「黒背広にサングラス姿のトナカイがありふれた存在なら、ね」

 雪柳さんは組んだ腕から透明な調理用手袋に包まれた右手首を抜くと、綺麗に爪先の整えられた人差し指を立ててケーキの納められたガラスの中にあるケーキを指差した。

 こげ茶色のスポンジ生地の上下を漆黒のチョコレート板に挟まれたショートケーキは、上面を赤いワインゼリーでコーティングした上に滅多に見掛けない白い苺を載せている。

「私が心配しているのは、苦労した力作ケーキの味より、それを配達しているトナカイの方がお客の記憶に残る事なの」

「……」

 まあ、それはあるかもしれん。

 此処に来るまでにすれ違った車の何台かは、ゴルフを運転するサングラス姿のトナカイが珍しかったらしく、あからさまにハンドルを切りそこなっていたからな。

 いや、ひょっとしたら、このまま動物に対する博愛精神が世界中で過剰なまでに高まっていくと、サンタクロースはトナカイにソリを引かせて虐待していると動物愛護協会辺りに訴えられるかもしれない。

 そうなると困ったサンタクロースは、雇った運転手に伝統にのっとったトナカイの恰好をさせてソリのみならず、車や飛行機を操縦させるのだ。

 そしてベテランのトナカイ運転手は、年老いたサンタクロースに代わり某英国諜報員のごとく世界を股に掛けたプレゼントの宅配に大活躍。

 きっと傍らには女性用サンタ服を着た美女が何時も居るに違いない。

「……どうしたの? 難しい顔をして考え込んでるけど」

 黙って考え込んでいた俺を(いぶか)しげに下から見上げる雪柳さんに、俺は非情な決断を告げざるを得なかった。

「雪柳さん、すまない。この格好は人類を救う可能性を秘めているかもしれないんだ」

「はあ?」

 彼女が眉を寄せて呆れたように声を漏らすのも仕方ない。

 だが、いつかきっと解る日が来る。

「雪柳さん、何時かサンタクロース姿の貴女と世界中を廻ろう」

「嫌よ」

 瞬刻で断られてしまった。やはり運び屋は孤独な職業だ。

「しかし落ち着いた色彩のケーキだな。お酒の共になりそうだ。家族で食べる雰囲気ではないな」

「そうね。コンセプトは大人向けの甘さを控えたケーキだから、他のケーキと趣を変えたかったの」

「大人の男女二人で食べるような、か?」

「女同士かも知れないわ」

 男同士は考えたくないな。哀しくて。

「貴方がアフリカの砂糖無使用のチョコレートを持って来たのには驚いたけど、それでこのオーガニックケーキが出来たから感謝するわ。あとは【初恋の香り】かな」

 確かにケーキの赤と黒と焦げ茶色の色彩に【初恋の香り】の白い果実は、闇夜に光る一等星の光に見えなくもない。

 有機栽培の砂糖不使用チョコレートは、夏に知り合ったある夫婦から送って貰ったものだ。

「スポンジはココアか?」

「それはキャロブパウダーね。イナゴ豆の鞘を焙煎した粉末。風味がココアに似て甘みがあるから糖分を減らせるの。このケーキはそれにシナモンを一つまみ混ぜて隠し味にしているわ」

 一見、ココアとは見分けがつかない。

 ここまで徹底して砂糖不使用と天然素材にこだわっているのだから、作る方も大変だろう。

「で、売れているのか?」

 俺の問いに雪柳さんは肩をすくめて苦笑した。

「残念ながら。貴方に配って貰う事前予約の二十四個以外は九ピースしか売れていないわね。買いに来る人はその傍らに置いてあった赤い苺の白いショートケーキを買って行くの。そちらは完売したから赤字にはならないけど」

「……なんでも最初はそういうものさ。ちなみに白いショートケーキも砂糖不使用か?」

「そうよ。豆腐とバニラビーンズと米粉、米飴と白神酵母に豆乳で作るわ」

 作り方が全然想像出来ない。来年は湖乃波君を連れて此処にアルバイトを頼んでみるのもいいかも知れないな。

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