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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第六話 運び屋の季節 1年目 冬 十二月
162/196

前編 湖乃波SIDE(9)

 私が割りした用の出汁(だし)、カテリーナが野菜を洗って、龍生(りゅうせい)君が付けだれを作っていると、また来客のブザーが鳴ったので、私はエプロンで手を拭くと急いでドアに駆け寄りお客様を迎え入れるように開ける。

 そこには輝く金髪に、太腿のスリットが深く入ったチャイナドレスを着たアジア系の美人と、もう一人、小柄で黒髪をマッシュショートにカットした私と同じぐらいの年齢をした少女が並んでいた。白いもこっとした毛糸のセーターと、ちょっとだけサイズの大き目なカーゴパンツが更に彼女を幼く見せている。

「ニンハオ、マオさん。今日はどうしたんですか?」

狗狼(くろう)から、今日のクリスマス会は人数が多くなるって聞いたから、人手がいると思って早めに来てみたの。迷惑だった?」

 ええ? マオさんにもお呼びがかかってるの!

 マオさんは元町や三宮を本拠地とする中華系組織【紅龍(レッド・ドラゴン)】の幹部で狗狼とは古い付き合いの友人。

「気にする事は無いわ。私は毎年、クリスマスは此処に寄って老酒(ラオチュウ)や後藤の持ってきたワインを飲むことにしているの。今年はそれに料理が付くだけ」

「は、はあ……」

 マオさんはそう言って悪戯っぽく碧眼(へきがん)をウインクさせると、背後を振り返り控えていたマッシュショートの子に声を掛けた。

斑比(バンビ)、この子が私の友人の湖乃波(このは)よ。クリスマスパーティーの準備を手伝って上げて」

 マオさんに呼ばれてマッシュショートの子が前に進み出て邪気のない笑顔を私に向ける。

「よろしくお願いします、湖乃波さん。私は(リウ) 斑比です」

「あ、よろしくお願いします、バンビさん」

「バンビでいいですよ。じゃあ、さっそく料理に取り掛かりましょうか」

 私がバンビさんを伴って台所兼事務所に戻ると、カテリーナと龍生君が料理に取りかかっていた。

「甘海老って剥くのが結構難しいよな」

「ああ、また千切った。もっと繊細に出来ないの?」

 初めての作業でもそつなくこなすカテリーナに、大きな手のせいで小さな甘海老を剥くのに苦労している龍生君が叱られている。

「あれ、龍生君も来てたんだ。狗狼に呼ばれたの?」

「ああ、野菜を持ってくるよう頼まれて。バンビさん、高校は?」

「私も今日から休み。店の手伝いがあるからそんなにゆっくり出来ないけど」

 高校生! 私より年上だったなんて。御免なさい。

 龍生君とバンビさんは顔見知りらしくて、龍生君が狗狼の事務所に居るのを見ても不思議に思っていないようだ。

 バンビさんは並べてある臭みの取られた切り身を見下ろすと頷いてから私を振り返った。

「湖乃波さん。切り身のまま食べるのも飽きると思うので、持ってきた餃子の皮で包んでみようと思うんですけど、どうですか」

「魚肉餃子ですか? 美味しそうですね。お願いします」

「はい、じゃんじゃん作りますね」

 そう言ってバンビさんは魚の切り身を数枚抜き取ってまな板の上に並べると、もの凄い勢いで包丁を小刻みに上下させる。

「どんどん細切れになっていくよ、カテリーナ」

「ほんと、まな板が楽器みたい」

 あっという間に細かい魚肉の堆積物が出来上がると、彼女は大根の葉を手に取った。

「これ、貰ってもいいですか。軽く醤油だれで炒めてから魚肉に混ぜようと思うんです」

「いいですよ。使って下さい」

 私は昆布と鰹節(かつおぶし)で煮出した出汁(だし)に、酒、薄口醤油、味醂(みりん)、塩を加えて火に掛ける。

 ほんの数分で鍋の底から気泡が上がり始めたので弱火にしてから暫く待つ。

「そろそろかな」

 六〇℃くらいで火を止めて、半分をボウルへ小分けに移してそれぞれの魚の種類ごとに切り身を分けて浸す。

 これで下準備は終わり。

 龍生君も剥いた甘海老のぶつ切りを、大量の大根おろしの入ったボウルに放り込んでから大根おろしに絡めるように混ぜている。

「あ、それ美味しそう」

 いつの間にかショットグラスを手にしたマオさんが、甘海老が大根おろしに絡まれた魚すき用の付けだれを覗き込んだ。

「あ、マオさん、もう飲んでるんですか?」

「だって、私はやることが無いからね。ただ料理の出来上がるのを待つのもつまらないし」

 悪びれた様子も無くショットグラスの中身を口に運ぶマオさん。

 ショットグラスの中身から立ち上るアルコール臭で、そのお酒がそれなりのアルコール度数である事が私には解った。

 きっと、狗狼の愛飲するジン【ボンベイサファイア】を勝手に拝借しているのだろう。ちなみにアルコール度数四十七パーセント。

「マオ(ねえ)さん。今飲んだら料理の味が解らなくなりますよ」

「大丈夫、そんなにヤワな胃じゃないから」

 バンビさんに、|老酒も持って来てるし、と物騒な一言を呟いてからマオさんは来客用のソファーに身を沈めた。

「カテリーナ、そっちはどう?」

「野菜切ってる。でもこの包丁、切れ過ぎて怖いんですけど」

 カテリーナは白ネギに包丁の刃を垂直に当てると、体重を掛けるように前のめりになって包丁を押し込んだ。

「……」

 料理に不慣れなのは解るけど、ひと切りひと切り、そんなに気合を入れて切らなくてもいいと思う。

「カテリーナ、あのね、」

業物(わざもの)に切れ過ぎて怖いって言われてもな。富樫理事、娘に包丁の使い方を教えてないんですか」

「そもそも料理しないもの、私」

 私がカテリーナに包丁の使い方を教えようとすると、背後から憮然(ぶぜん)とした男性の声と、苦笑交じりの女性の声が響いて来た。

 私は振り返り、戸口に立つ男性二人組とその背後の女性二人組を目にして笑顔を浮かべる。

「お帰りなさい、狗狼、奥田さん。いらっしゃい、久美(くみ)さん、美文(みふみ)さん」

「ただいま」

 狗狼は苦笑を崩さないまま包丁を持つカテリーナの傍へ歩み寄ると、彼女の背後から抱え込む様に手を回して彼女の両掌に自分の掌を重ねた。

「……あ」

「力を抜いた方が良い。よく切れる包丁より切れない包丁の方が危ないんだ」

 狗狼はカテリーナの左手指を丸め込む様に掌を被せる。

「猫が爪を立てるように軽く拳を握って、指先で食材を押さえ込む。指の第二関節に沿わす様に包丁の刃を当てる」

 カテリーナの右手を動かして、そっと軽く乗せるように白ネギに包丁の刃を当てた。

「軽く押し出す様に刃を動かせばいい」

 白ネギの抵抗なく刃が入り込んでいく。

「基本、固い繊維のある野菜は押して、柔らかい肉は引いて切る様に。上手く切れただろう」

「あ、う、うん」

「時々、今日みたいに湖乃波君の料理を手伝ってくれると嬉しいんだが」

 狗狼はカテリーナの両手首を放して離れると、その光景を眺めていた富樫さんと美文さんへ向かおうと踵を返す。

「クロさん」

 その背へカテリーナが声を掛けると、狗狼は「何かな?」振り返る。

「……クロさんは、料理は絶対上手くなるべきだと思っている?」

 その質問に狗狼は考える様に宙を見上げて、ふむ、と声を漏らした。

「……いや、人それぞれだな。料理の苦手な奴が無理やり上手くなろうとする必用は無いよ」

 それからカテリーナに背を向けたまま肩をすくめる。

「それに、俺としては料理下手な美女の胃袋と愛情(ハート)を掴む機会が減るのは残念だ」

 そう言って狗狼は富樫さんと美文さんに笑い掛けた。

「ということで、今日はたっぷり食べて飲んでくれ。帰りの便は行きと同じく運び屋に任せておけば良い」

「……貴方ねぇ、子供の前で口説かないの」

「はい、たくさん頂いて帰ります」

 呆れたように嘆息する富樫さんと笑顔で応じる美文さん。

 カテリーナもその光景に笑顔を浮かべる。

 私は狗狼が送り狼にならないか、ちょっと心配だ。

 そしてまた、来客を知らせるブザーが鳴り響き、ドアが勢いよく開かれる。

「クロウ、パエリアを作ってきたよーっ。フランコも仕事が終わったら寄るって」

 そこには鍋を抱えた褐色の肌に波打つ黒髪を伸ばした、白の開襟シャツと紺色のパンツルックに水色のエプロンを身に付けた大柄な女性が立っていた。

 向日葵(ひまわり)の様な笑顔で狗狼に笑みを向ける。

「ご苦労様。よし、じゃあ魚すきの鍋を並べるか」

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