三章 隠れ家での一夜(2)
そして食事を終え、宮様と少女にはお茶を飲みながら寛いでもらい、俺は後片付けに取り掛かった。
木の御櫃や茶碗はぬるま湯に浸けて汚れを取り除いた後、熱湯で消毒してから水で木目を引き締める。布巾で水気を拭き取り、しっかりと乾かす。
窯はたわしでゴシゴシと焦げを削り取る。こんなときは亀の子たわしはとても偉大だと思う。スポンジだと焦げなど取れないし、クレンザー等の磨き粉は何となく使う気にならない。スチールウールたわしは金属の切れ端が料理に入りそうで気に入らない。
片付けを終えて客室へ戻ると少女は座テーブルの前にちょこんと正座したまま、時々カクン、と頭を前に倒しては、また慌てた様に背筋を伸ばす。半分眠りの園に引き込まれているのだろう。
そういや昨日は車中泊で良く眠れなかっただろうな、本当に今日を無事乗り切った彼女の努力に感心する。
「隣に布団を敷いておりますので、そろそろお休みになられてはいかがでしょうか」
宮様が隣の六畳の客室に通じる襖を開けて声を掛けてきた。布団を一組敷いてあり、そこが少女の泊まる部屋だろう。
少女は閉じようとする瞼を何とか開いて、俺を見つめた。どうやら俺の指示を待っているのだろう。といっても俺はこの子の保護者でも何でもないんだが。
「今日はここに泊まりだ。明日の朝も早いから早めに寝ておけ」
睡魔に抗うのも限界なのであろうか、立ち上がってぺこりと俺に頭を下げて小さな声で「おやすみなさい」といった。頭を下げた拍子に黒天鵞絨の髪が波打った。
「はい、お休みなさい」
宮様と共に襖の向こうに消えてゆく少女の背中を見送った後、俺はふうっと息を吐いた。
普段からあの年頃とは交流が無い為か、何故か肩に余分な力が掛かっていたようだ。肩が凝って仕方がない。首を回すと関節が音を立てて軋んだ。
さて、これからどうするべきか。これ以上、深入りすべきではない。そう解ってはいるものの中々踏ん切りがつかない。かといって、ここに居続けるわけにもいかない。
「どうかいたしましたか?」
テーブルの上に肘をついて両掌を組み合わせて黙っている俺を気遣ったのか、宮様は俺の顔を覗き込んできた。
幸いにも邪魔者はとっとと寝てしまい、今、この場に居るのは宮様と俺だけ。これは彼女と仲良くなる好機とみて間違いはない。
が、この現状を何とかしないとそんな気にもなれやしない。
取り敢えず、情報屋と連絡を取り合って現状の説明をするべきかもしれない。
俺は携帯電話を取出し、今回の仕事を斡旋した情報屋の携帯電話番号をプッシュする。短いコール音の後、聞きなれた声が俺の耳朶を打った。
「ブレード、あんた、いったい何やったんだ」
いきなり怒鳴られたので、俺は耳から携帯電話を離した。それでも情報屋の声はよく聞き取れる。
「取引相手から荷を受け取った報告かと思えば、運び屋のヤサを教えろって、スゲー剣幕で連絡が来たんですけど。取り敢えず行方を眩まして解らんから調べるって答えといたけど、一体何やってんですか」
情報屋が一息ついてくれたので、俺は依頼人である男とその相方の女性が行方をくらました事と、成り行き上、奴等に渡すべき商品である少女を保護したことを伝えた。
「それ、プロじゃ絶対やりませんよ。信用はガタ落ちです」
まあ、それは俺も同感だ。だから、連絡を取ったんだが。
「そうなんだよ。俺も今後追われ続けるのは勘弁して貰いたい。そこで、ルールに反するがそいつらの名前と居場所を教えてほしい」
受話器の向こうから情報屋の生唾を飲み込む音が聞こえた。
「先手必勝で、殺るつもりですか」
「全然違う」
君は俺の事をどう思っているんだ。
「あくまで穏便に解決する為の話し合いだ。非はこちらにあるんだからな」
「………本当ですね?」
「本当だ。信じろ」
受話器の向こうから深いため息が聞こえた。裏稼業を続けていると疑り深くなってくるとはいえ、少しは人の言うことを信じて欲しいものだ。
「仕方ないですね。こんな依頼を廻してしまった僕にも責任がありますし。ただ、くれぐれも穏便に済ませて下さいね」
しつこく念押ししてから情報屋は通話を切った。後は奴等の情報が来るのを待つだけだ。「難儀な事で御座いますね」
宮様が湯呑にお茶を注いでくれたので、俺は一息つくためにそれを口に含んだ。昆布茶の甘さが張りつめた俺の気分を少し和ませてくれる。
「有り難う御座います。あの、済みませんが、今から出かけるのであの子の世話を御願いしてもいいですか。朝には戻れるようにしますから」
本当は戻れるかどうか自信は無いのだが、この人に余計な心配を掛けることはしたくなかった。
「全く、差し支え御座いません。お気になさらないで下さい」
誰もが安心するような微笑みを浮かべて宮様は請け負ってくれた。うん、少しは気が楽になった。
座テーブルの上に置いた携帯が音を立てて震え、テーブルの上を不規則に動き出す。情報屋から怖いお兄さん方の情報が届いたのだろう。その震え続ける携帯が、右往左往する俺のようで何となく可笑しかった。
俺は携帯電話のメールを確認した。如何やら近露王子で会った奴等は、埼玉を本拠地とする闇金専門の回収業者【鳳会】らしく、あの少女を叔父を追って遥々和歌山まで来たらしい。ご苦労な事だ。その挙句にベンツとジャガーを壊してしまうとは全く運が無い。
その運の無い人々は熊野古道沿いの【ホテルさ〇ゆり】に泊まっているらしい。確かあそこは日本最大級の露天風呂があったはず。此処からだと飛ばせば一時間程度で着くかも。
俺はハンガーに掛けられた黒背広を身に付ける。
左懐の内ポケットに大型の折り畳みナイフが入っていることを確かめる。これに頼る事態にならないことを祈っておこう。
「行ってきます」
「はい、お気をつけて。乾様のお帰りを心よりお待ちしております」
俺は表門まで見送りに来た宮様に挨拶するとプジョー207SWに乗り込み、エンジンキーを回しプジョーに息を吹き込む。
エンジン音を聞きながら愛用のサングラスを掛けて、アクセルを踏み込んだ。




