Extra edition(2)
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「彼女をドライヴに連れて行く約束をしているんだ」
黒背広の運転手は私達に背を向けて歩き出した。彼はその先にあるスクラップと化したプジョーで一晩を過ごすのだろう。
私の足下には現金の詰まった鞄が置かれており、運転手が今回の迷惑料と【真珠】の治療費として置いて行ったものだ。
【真珠】は私達の属する犯罪組織【聖なる泥棒】に保護された少女である。
今は神戸での私達の本拠地【城】で聖なる泥棒の幹部で私の父でもあるセルゲイ・セレズニョフの娘の一員として暮らしている。
娘としているが実際は私同様血は繋がっておらず、セルゲイが保護して彼の館で暮ら女の子達は一括りで【セルゲイの娘】と呼ばれるのだ。
保護された娘達や、日本で生活する為に仕方なく城に流れ着いた娘達は此処で生きていく為に、二つの手段を選ばされる。
会員制クラブである【城】の中で会員に身を売って生活するか、それとも会員の要求に応じて派遣の殺し屋となるか。
どちらも嫌は許されておらず、それを拒否する者は放逐される事となる。
だが例外もある。
セルゲイ達、聖なる泥棒の構成員は古い犯罪者のルールである【シベリアの掟】を遵守する義務があり、シベリアの掟には先天的、後天的を問わず障害を負った者達を保護する事が定められているのだ。
それ故、本来なら真珠は口が利けない為、他の娘達の様な仕事を選ぶ必要は無いのだが、彼女は特別扱いは嫌だと、自ら仕事を志願した。
その初仕事で、偶々、特別に会員扱いした金髪のおのぼりさんの相手をする事となり、その腐れ金髪は真珠を長時間に渡ってベッドの上で真珠をサンドバック扱いした上、辱め続けたのだ。
それに対する報復が、広島へ逃げる運転手と金髪を妹達が追跡し、私が金髪の手勢を強襲した理由であった。
まあ、私が広島県三原の傍まで来たのは、それだけが理由ではないのだが、ひとつの目的は達成されて、金髪は運転手によってもの言わぬ躯と化している。
「アリョーナ?」
私は最愛の妹であるアリョーナが、まだ運転手が中に消えたプジョーへ視線を向けているのに気が付いた。
彼女は私と血の繫がった異父姉妹で、今年で十八歳となる。
聖なる泥棒内で【騎手】と名付けられたアリョーナは、その名の通り愛用のシルキーホワイトのFZ250と同色のライダーズジャケットを着こなした腕利きの殺し屋として名が知れている。
あの子のバイクを操る格好よさといったらもう、お姉ちゃんは自ら一番手を譲ってあの子の凛々しい後ろ姿を堪能させて貰ってますよ。
それにライダーズジャケット姿も感動もので、私程ではないが長身で引き締まった惚れ惚れする肢体と、それに見合わない大きさの胸が、そう胸が窮屈そうに収められているのよ。
ライダーズジャケットのシルエットはカープで見惚れて事故を起こしそうになる程、素晴らしいものなの。特に体重移動時のお尻のクイッが!
そんなアリョーナが先程から、運転手を気にしているのは何か面白くない。
「あ、ええ、オーリャ姉さん。何?」
「あの運転手がどうかした?」
「ん、彼、車で一晩過ごすのかなって。バイクの後ろに乗せて送ってあげてもいいんじゃないかって」
な、何言ってるのよ。
後ろに乗せるって、腰に手を回されるのよ。貴女の細腰はそんなに安いもので無いの。
もしあの運転手が、バランスを崩したとか言ってワザと貴方の胸を掴んだらどうするのよ。
そんな羨ましい事、お姉ちゃんは許しません。
あの運転手、プジョーごとOSV96でぶち抜いてやればよかった。
OSV96はロシア軍に採用されている五〇口径の遠距離狙撃ライフルで箱型弾倉には五発の12.7mm弾が収められているうえ、半自動射撃で連射も可能。私の愛用する武器のひとつだ。
本来は運転手に対して使うつもりだったが、金髪馬鹿との諍いに日向葵が巻き込まれるおそれがあり彼等の殲滅を優先した。その為、残念な事に弾切れとなっている。
「それに今日、私達は神戸に帰らないわよ」
「ええ!」
アリョーナと日向葵が目を丸くして私を見上げる。
ふふふっ、いいか、驚け、私の愛しい妹達。
「私は地元の有力者に頼んで、尾道の旅館を二泊、予約を取って貰いました。今日一日は観光が出来ます!」
この為に、腐れ金髪のアジトを急襲して、その組の偉い人、確か相談役だっけ、まあどうでもいいけど恐怖を植え付けて旅館の予約を取って貰ったのです。セルゲイの了承付きです。凄いでしょう!
明日は旅館の朝食に舌鼓をうって、
鶏の砂肝の混ざった広島焼きを食べて、
道の駅で、はっさく大福とレモンケーキを食べて、
猫の細道で血と硝煙に彩られたこの心の渇きを癒してもらう。
二人共、猫は大好きでしょう。
さあ、この完璧なオリガ姉さんを、姉ェ! と崇め奉るのだ。
私はエヘン、と腰に手を当てて豊かな胸を張る。
しかし、暫く待っても妹達から称賛の声は届かず、私は右目を半眼にして妹達を盗み見た。
「……」
二人共、形の良い眉を寄せて揃って腕組みをしている。
あ、今、アリョーナが宙を仰いだ。
何、二人共、私をポンコツ姉さんって目で見ないでよ。
「二人共、どうしたのかしら?」
「オーリャ姉さん、私、今日、学校」
アリョーナが呆れた様に冷え冷えと答える。
「あ、私も学校、です」
日向葵もおずおずと手を上げて答えてきた。
「|嘘でしょう《ニ モージット ブイッチ》!」
そ、そんな、今日が平日だったなんて。
私はよろめいて額に手を当てた。
どうして神様は一日で世界を作って、六日を休みにしなかったのかしら。神様なら出来るでしょう!
「もうすぐ期末テストだから休みたくない」
「私はレポートがあるし、ちょっと無理かなぁ」
そ、そんな。
常日頃、妹達には都合が着けば必ず学校には行きなさい、と口煩く言っている。特に腕利きのアリョーナと日向葵は会員の依頼をこなす傍らの学業なので、出席日数が少なくなりがちだ。
どうする!
このままでは高級旅館でひとり寂しくズブロッカを呑む事となってしまう。
お姉ちゃんは、そんなことに耐えられない。
でも、お姉ちゃんは妹達の為、非情な決断を下さなければならないのだ。
そして、それが新しい慈悲深き手の束ねる者の務めでもある。
「駄目よ、二人とも今日は学校を休みなさい!」
「ええっ!」
私の勇気ある決断に、妹達二人は大きく目を見開く。
「アリョーナ、貴女は足を痛めているでしょう。それでFZに乗って帰ると余計に痛めるかも知れないわ。今日一日はバイクを止めて様子を見なさい。観光はタクシーを用意して貰うわ。明日になれば少しはマシになってFZで帰れるかも知れないし、貴方も愛車を置いて帰りたくないでしょう?」
「……う、うん」
アリョーナは一応納得したように頷いた。
私は日向葵の黒のボブカットに、ピンクのダウンジャケットとベージュチェックの膝上丈スカート、黒のストッキングでコーディネイトされた姿を見下ろした。薄いピンクのディバックがとても似合っている。
「それに日向葵、貴女みたいな中学生が、真夜中に街を歩いていて何かあったらどうするの。警官が心配して声を掛けて来たら皆に迷惑掛かるわよ」
「大学生だよ!」
身長、百四十九センチの日向葵が両手を振り上げて抗議してくる。あ、可愛い。
「アリョーナ、貴女の妹が精一杯背伸びしているの、年頃なのね」
「無理しなくていいよ、日向葵。私がいつでも見守ってあげるから」
「私がお姉ちゃん!」
「だって、貴女のディバック」
私は日向葵の背後に回ってディバックの背当ての隙間に手を差し込む。
その隙間から、雨避けとして縫い付けて折り畳んでおいたピンクのフードを取り出して日向葵の黒髪に被せる。ちょっとだけ、へにょっ、と曲がった二本の立った耳がストライクに似合っていた。
「ウサミミフードが付いているのよ」
「私のディバックを改造しないで!」
「オーリャ姉さん、ナイス」
「アリョーナもスマホで写さないで―っ!」
いや、これは写すでしょう。
抗議するのに疲れたのか、日向葵は数度肩で息をする。
「もう、二人共、平均よりもスタイルが良くて、背が高いからって酷いよ」
頬を膨らましてそっぽを向く日向葵の前に私はしゃがみ込んだ。
「そうね、御免なさい。確かに貴女は十九歳だわ」
私は日向葵のダウンジャケットを押し上げる胸の膨らみに眼をやった。
「いいえ、これは、それ以上ね。その背丈でこれは神様の与えた奇跡だわ」
私は頭を垂れて神に感謝する。
「神よ、この奇跡に感謝致します」
「わ、私の胸に十字を切らないで」
む、それなら。
「グルーチ、ソースキ、グルーチ、ソースキ」
もみもみもみもみ。
「変な呪文を唱えながら胸を揉まないでよ!」