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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第五話 運び屋の季節 1年目 秋 十一月
148/196

五章 シベリアの掟(4)

                      2


 十一月後半の十八時過ぎともなると宵闇が忍び寄り、辺りを覆い尽くし始める時間帯だ。それは北野町にあるセルゲイ・セレズニョフの屋敷であり、神戸市におけるロシアの非合法組織【聖なる泥棒】の活動拠点である【(クリェームリ)】も例外ではなく、近付いて来る昨晩見た鉄の門柱とその向こうにそびえ立つ建造物は暗闇の中、魔王の住む城と呼んでも差し支えがないだろう。

 そしてその門柱の前には二つの人影がオリガの到着を待ちわびていた。

 ウラルとラーダが門柱の前に停車するが、門柱の大扉は開かれる事なく二つの人影も門柱の前に佇んだまま沈黙している。

 ウラルを下りたオリガと、サイドカーから固まった関節をゆっくりと伸ばす様にして俺が立ち上がり抜け出すと、ようやく人影が身動ぎした。

 ひとりは百八十センチ近い恰幅(かっぷく)の良い体躯を杖で支えた、豊かな顎髭を蓄えた分厚いコート姿の老人で、もうひとりは更に背が高いが身体の面積は半分程度の、痩せた禿頭のガーゴイルタイプのサングラスを掛けて薄手のコートを羽織った老人だった。

【聖なる泥棒】の重鎮で【城】の主であるセルゲイ・セレズニョフと、この門の守り手で昔、セルゲイのボディーガードであった【剣】を呼び名とする男、メエーチ。

 セルゲイは小脇に金糸の刺繍が施された黒い布で包まれた箱を抱えている。

 俺とオリガ、アレクセイと店員の彼女が二人の前に並んでも彼等は挨拶(ハグ)する訳でもなく静かに視線を巡らせただけだった。

「御嬢さん、済まないが居合わせた事は運が悪かったと黙ってくれると有難い」

 セルゲイの言葉に女性店員はただ青ざめた表情のまま俺へ、救いを求めるように視線を向ける。

 俺が頷き返すと彼女は二度。セルゲイに頷いて返答した。彼女にも、今、この場所が自分達の属していた世界と異なることに薄々気付いているだろう。

 ……明日から会ってくれなくなるんだろうな。

 これまでに何度も繰り返し味わった苦い感慨を呑み込んで、俺はセルゲイに問い掛ける。

「セルゲイ。昨日の件に関しては信用出来ない人物を紹介した俺の落ち度だ。それは済まなかった。だが、その件に関しては結果的に俺の手で引導を渡した事と、少なくない慰謝料を渡した事で決着をつけた心算(つもり)だったが、それでは済まないのか?」

 セルゲイは重々しく沈鬱(ちんうつ)な吐息をついて俺を見返した。

「ブレード。君の立場と行動に関しては、我々に文句を付ける権利はない。君は運び屋故、依頼を引き受けてそれを成し遂げた。そして我々が経済的に引導を渡したとはいえ、最後に止めを刺し、我々に対する賠償を行ったのも君だ」

 なら、何故、俺は連れて来られたのか。

 俺の困惑する雰囲気を察したのか、セルゲイは更に言葉を続ける。

「問題は我々なのだ。シベリアの掟の名の下に懲罰部隊でもある【慈悲深き手(ドーヴルィ ルーキ)】を送り込み、全て君に撃退された我々のな」

「……抑止力か」

「そのとおりよ。基本的に慈悲深き手は外部へのカウンターではなく、内部への粛清を主な任務としているの。だからメンバーも幹部クラスしか知らないし、依頼も幹部クラスしか受け付けない。外部との抗争は別の若手でも事足りるのよ」

 オリガが苦笑を浮かべて俺の推測を裏付けてくれた。

 なるほど、俺も少女の殺し屋など想像もしていなかった。むしろ顔を知っていても普段、接していれば油断はするだろうな。

「ブレード、今回お前相手に慈悲深き手を送り込んだのは、お前が我々の構成員の内、要の数名を知っている事と、表立ってそのメンバーを動かした場合、お前の親しい別組織に知れる事を恐れたからだ」

 確かに、それに首を突っ込んできそうな心当たりも数名ある。フランカとかマオとか。マオは紅龍(レッド・ドラゴン)の支部長だから洒落じゃすまなくなる。

「だから我々は新しく本国から呼び寄せた幹部であるオリガにこの件を任せた。また、オリガには次の【慈悲深き手】のリーダーを任せる為に、そのメンバー選抜を任せたのだ」

「メエーチは現リーダーの自分を送り込むことを要請してきたけど、素人の標的と運び屋のひとりを相手にメエーチを送り込む事など、出来る訳がなかった」

 セルゲイの言葉をオリガが引き取った。

「実際、運び屋の依頼主は抑えた。相手の資金源は断った。秘密であるクラブの存在を漏らした者は、外部と連絡を取り合って粛清した。そして取引を自分達のものとした。貴方以外に関しては全て上手く行ったの」

 オリガは自重するように答えるが、それを半日以下でやってのけた事は賞賛に値するはずだ。おまけに彼女は自ら追撃に出掛けている。

「だが、君相手に撃退された慈悲深き手の娘達は、無傷だったとはいえ実力に疑いがもたれている。その抑止の担い手に値せず、とな。これは若手の幹部数名が騒いでいるのだよ。そしてそれを指揮したオリガも責任を取って幹部の座を降りるべしとの声も上がっている」

 セルゲイとしては呼び寄せた義理の娘に跡を継がせたいのだろうが、他の幹部達からの反対意見が出た以上、それを無下にする事も出来ないのだろう。

 どの組織でも古参と新参の対立は深刻なようだ。

「失敗は粛清(しゅくせい)だが、シベリアの掟を破った不届き者は始末された以上、オリガと娘達は降格か追放が妥当なところと彼等は主張している」

 馬鹿な事を。

 行く所の無い少女達が、ようやく辿り着きどんな手を使ってでも生きていこうとしているのに、それを放りだそうとするのか。

 その幹部連中の親達も、この日本に辿り着いて生きていく為に組織を作ったのではないのか。

「シベリアの掟の本質は無慈悲な権力に頼らず、母なるシベリアで我らが同胞を守り律するものだ。若い者はそれを理解せずに、ただ政争の道具としているのだ。だがそれを処罰する為の慈悲深き手が存在の危機に晒されている」

「だがな、セルゲイ。それを俺に聞かせてどうする? 俺はただの運び屋だ。貴方の組織の内情に出来る事など何もないぞ。という訳ではないな」

「その通りだ、ブレード。我々は君に決闘を申し込みたいのだ」

 セルゲイの回答に俺は苦笑するしかなかった。

 そりゃそうだろう。組織に泥を塗った本人をそのまま放置するのは得策ではない。組織の面子(めんつ)が潰されるばかりか、他の組織に(あなど)られ余計な災いを招く恐れがある。

「俺に断る権利は、無いよな?」

 俺は女性店員を振り返った。人質だな。

「そうだ、断れば君や君の縁者、友人、君を庇護する組織へ【慈悲深き手】のみならず、【城】の全戦力を持って攻撃を開始する」

「やれやれ」

 俺は髪の毛を掻き上げて息を吐いた。

 俺の周りは殺しても死んでくれそうにない奴等ばかりだが、一人例外がいる。湖乃波(このは)君のみ見逃してもらうことは出来ないだろうな。

「仕方ないか。で、今からやるかい? 出来れば君とは、一晩酒でも酌み交わしたいのだが」

 俺はオリガへ向き直り、彼女の青い瞳を見つめた。

 オリガもそれに応え、不敵な笑みを浮かべる。

 正直、俺はオリガに対して殺意を抱くことが出来ていない。ただ、解るのはそんな状態で彼女と命のやり取りを行い、無事に此処を出て行く自信がこれっぽちも無い事だ。

「あら、私は別に構わないわよ。ねえ、メエーチ」

「私も齢なんでな、一晩飲み明かすのは勘弁して欲しいのだが」

 ジ、ジジイかよ。

「まあ、そんな顔をするなブレード。君がナイフを使って私の身体に触れられた事は一度も無い筈だぞ」

 その通りだ。

 模擬戦ではメエーチの長い手足と、取り回しのし易い割に刃渡りの長いAK47用の銃剣(バヨネット)に翻弄され、お互いナイフの刃を相手に当てられないまま時間切れとなった。

 だがそれも二〇年近く昔の話でお互い齢を取り体力が衰えたが、その度合いはメエーチの方が二〇年分激しい筈だ。

「メエーチ、年寄りの冷や水って言葉が日本にはあるんだ。戦いは若者に任せろよ」

「だから私が相手するんだが、間違っているかね」

 なんだと、俺はまだ四〇代だ!

 メエーチが薄手のコートを脱ぎ捨て、すらりとした体躯が露わになる。

 贅肉の無い執事の様な黒のベスト姿と、その左脇に吊られた6X2銃剣の細長い鞘が彼の持つ雰囲気と重なっており、彼のこれまでの生きてきた軌跡を物語っているようであった。

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