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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第五話 運び屋の季節 1年目 秋 十一月
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四章 慈悲深き手【ドーヴルィ ルーキ】(7)

 俺が次の行動を決めかねていると、再び三原へ続く道路の向こうからヘッドライトらしき光点が複数点りこちらへ向かって来た。

 闇の中に浮かび上がったそれは、先頭が軍用バイクでそれにベンツのSクラスが追随している。

 ダークオリーブのサイドカー付きバイク、ウラルに(またが)っているのは長身の女性で、サイドカーの荷台には銃身の折りたたまれた巨大なライフルが無造作に突っ込まれているが、その凶悪さはこの道路上の惨状が物語っていた。

 黒の開襟シャツとパンツルックに赤いネクタイ。それに黒のジャケットを羽織った彼女はヘルメットを被るのが面倒臭かったのか、赤色の長髪を風になびかせながら長いブーツを履いたすらりとしたシルエットの右足を、優雅にウラルの後方へ回して地面に降り立つ。

運転手(ヴァディーチリ)。出てきなさい。それとも、まだ私達と一戦交えるのかしら」

 力強いアーモンド形の両眼と青い瞳、すらりとした鼻筋の整った顔立ちは福石PAで出会ったバイケルの数年後を想像させるものであり、彼女の異父姉妹であるのも(うなず)ける。

「もう俺の仕事は終わっているんでね。仕事以外で一戦交えるのなら構わないが」

「先程十人ほど相手にウオーミングアップを済ませてきたけど物足りなかったわ。貴方はどうかしら、ね」

 ボブカットの少女を伴って207SWから出て来た俺に、オリガは口角を吊り上げた凶暴な笑みを見せる。

 ジャケットを持ち上げる双丘とくびれた腰から続くラインに「喜んで相手をしよう」と答えそうになるが、誰も蟷螂(かまきり)女郎蜘蛛(じょうろうぐも)の雄にはなりたくないだろう。

 オリガの背後に止まったベンツのSクラスから濃紺や焦げ茶色のスーツを纏った男達が降りると、その男たちの一人が恭しく頭を垂れて後部座席のドアを開いた。

 後部座席から降りた着物姿の杖をついているが背筋の伸びた老人が、オリガの前に進み出て孝道を見下ろし杖の先端で地面をひとつ叩く。

「そ、相談役」

「孝道、おどれはワシ等を殺す気か! しゃけらもねえ事しくさって」

 呆然と見上げる視線に、老人は大音声で怒鳴りつける。

 老人は背は低いが小太りのがっしりした体格をしており、赤く焼けた肌から肉体労働で鍛えられた事は容易に想像出来た。

(かしら)に樺太の船長から連絡が来ての、もうワシ等の中古車を運ぶのは終わりにしたいと。訊けばワレにロシアのお偉いさんとの商談を持ちかけた奴が、殺されよったと」

 そう言えば、孝道は組に出入りしている中古車のブローカーから【(クリェームリ)】について聞いたと語っていたが、如何やらそいつにも類が及んだらしい。

「両頬を刃物で耳まで裂かれて、腹も割られた逆さ吊りのむごい死体じゃったらしい」

 沈黙を守れない袋、確かそんな意味を持たされた殺し方だったか。

 いや、考えようによっては、孝道を紹介した俺にも当てはまるんじゃないか。

「おまけに今回の神戸の店との取引も、先方が条件が悪いと断ってきおった。ワシ等はかなり譲歩したにもかかわらず、な」

「……」

 孝道の顔色は青色を通り越し、血の気を失った白ちゃけた肌色をしている。

「だがな、そんなワシ等にこのお方が、情けを掛けて下さり先方と話を付けてくれた。樺太の船長にも顔が利くから問題は無いと請け負って下さる。貴様が迷惑を掛けたのも関わらずだ」

 老人はオリガへ視線を向けるが、彼女と目が合う前に視線を下方へずらした。

 相談役と呼ばれた老人はオリガを恐れている。

 彼女は一体何をしたのか。

 老人はいらだたしげに数度杖を握り直すと、忌々しげに孝道を見下ろす。

「じゃがワシ等にも面子がある。ワレは今日限り破門、おどれの面など二度と見とうない」

 踵を返す老人の背中を追う様に孝道は腰を浮かせ掛けたが、何かを諦めたかのようにぺたんと尻餅を付いた。

「あと、ワレのツレな。誰一人として生きとらんぞ」

 わずか数時間で全てを失った哀れな若いやくざ者は、その事実にのろのろを顔を上げた。

 おそらく、この先孝道が何をしようとも、彼に関わろうとする者は皆無だろう。後はこの地を離れて、誰も知らない日陰の様な場所で這いずって生きていくしかない。

 それが嫌なら、

「慈悲深き手、か」

 それは俺を含めた底辺で生きる者最後の選択肢だ。少なくとも生きる苦痛からは逃れることが出来る。

 オリガは孝道に対して興味を失ったのか、それとも手を下す必要性が無くなったのか、踵を返すと再びウラルに跨った。

日向葵(パトソールニチニク)。警察が来る前に此処を離れましょう」

はい(ダー)

 ボブカットの少女はオリガに促されて孝道の側を何事も無かったように通り過ぎ、俺もも鞄を手に後に続く。

 孝道に相談役と呼ばれた老人は俺に視線を走らせると、感心したように頷いた。

「お主がブレードか。噂は聞いておるよ。必ず契約は守り、どんな障害でも車とナイフで立ち向かう奴だと。眉唾ものと思とったが、本当だったんじゃな」

「別に。感心される事でもない。俺は依頼をこなし報酬を貰う。それだけでいい」

「解っておる。その鞄の中身は迷惑料としては小額じゃが、それで収めてくれるとワシ等としても助かる」

「相談役、貴方の組が契約違反を犯したわけではないので、これ以上徴収する気はありません」

 俺はそれで面倒臭い会話を打ち切ろうとしたが、ふと思い立ってスラックスのポケットからパスケースを取り出す。

「此奴の身内はこの住所にいるのか」

 俺は神戸で命を落とした黄色ジャージのポケットから取り出したパスケースを開いて、保険証書を相談役に示した。

「おう、幸久とこのせがれじゃな。彼奴がどうした」

「俺が最期を看取った。奴の身内がいるならコイツと携帯電話を返したい」

「……そうか。彼奴はこの仕事に向いとらんかった。借金をある程度、返したらカタギになって貰うつもりじゃった。ワシから家族に渡そう。すまんかった」

「いや、俺の仕事でこうなった。自分で返すよ」

「……」

「渡世の仁義ってわけではないが」

 俺は一気に齢を取ったように見えた老人から離れる。四角い骨太の顔立ちと太く尻の下がった眉の形が黄色ジャージに似ている事に俺は気付いていた。

「……」

「どうかしたか?」

 傍らの【日向葵(パトソールニチニク)】と呼ばれた黒髪ボブカットの少女が俺を見上げていることに気付き、俺は彼女へ視線を見下ろす。

「……損な生き方だよね」

「そうでもないさ。君も大人になれば解る」

「……私、大人だよ」

「大人に見せたがるのが子供の証拠だ、ヒマワリちゃん」

 いきなりパトソールニチニクに弁慶の泣き所を爪先で蹴られて俺はしゃがみ込んだ。

「その鞄、置いて行け!」

 いきなり響き渡る怒声にその場に居た者達が、一斉にその声の主へ視線を移した。

 その声の主である孝道は左手に握った小型拳銃を俺の背に向けていたはずだろう。しかし俺がしゃがみ込んでいる為、その銃口は無防備に身を晒したパトソールニチニクへ向けられている。

 数瞬後の悲劇を回避するべく、オリガの右手がジャケットの左懐へ飛び込んだ。

 だが、彼女が銃口を向けるより早く孝道が仰け反り仰向けに地面に倒れ込む。

 割れた額から鮮血を溢れさせ事切れているのは一目瞭然だった。

「……」

 オリガはMP412REXリボルバーを右手に握ったまま俺に視線を向ける。

 彼女は俺が見えないナイフをアンダースローで投げつけた事に気が付いたのだろう。そして、何故、誰よりも早くそれが可能だったのか理由にも気が付いたはずだ。

 俺は鞄を手に立ち上がり、オリガの下へ歩みを進めた。

「本当に油断のならない男ね、貴方」

「美人には気を付けろってのが家訓でね」

 オリガが苦笑交じりにMP412をショルダーホルスターに納めるのに安堵しつつ俺は軽口を返す。

 オリガは俺が彼女を警戒して、鞄の影にガラス製の不可視のナイフを隠していた事に気が付いたのだ。

「……後藤は、どうした?」

「責任を取ったわ」

「……そうか」

 既に予想のついていたオリガの返答に、俺は息を吐いて宙を見上げた。

 ただそれだけ、これで奴への弔いはおしまいだ。

 俺は鞄を開くとその中から一束だけ現金を抜き出すと、再び鞄を閉じて地面に置いて一歩下がった。

「……どういうつもり?」

「俺なりのけじめだ。これを【真珠】の治療費と君達への迷惑料としたい」

 オリガの口が小さくOの字を形作る。

「元と言えば俺があそこの金髪を信用して、城へ案内したことに原因がある。他の二人が責任を取り、俺だけが御咎め無しというのもおかしいだろう」

 俺の言葉にオリガが苦笑を浮かべた。

「仕事だった、で治める心算は無いのかしら」

「仕事だったで、真珠の身体と心は治らないよな」

 オリガが肩をすくめる。

「解ったわ。これは受け取っておく」

 聞き覚えのある甲高いエンジン音と共に三度、光点が直線の続く道路の先から近付いて来た。

 シルキーホワイトと呼ばれる白地に青のラインの入ったFZ250と同色のライダースーツ。如何やらバイケルが目を覚まして追い付いてきたようだ。

 ウラルの側に寄せヘルメットを取る。

「如何やら、間に合った様ね」

 ヘルメットの下から覗いた上気した顔に、バイケルは何処か親しげのある笑みを浮かべて彼女はタンデムシートに袖を縛り付けた俺の黒ジャケットを手に取った。

「私が風邪をひかないように気を使ったんでしょうけど、本人が風邪を引いたら意味が無いでしょう」

 放られた黒ジャケットをキャッチして俺は袖を通す。

「ありがたい。本当はとても寒かったんだ」

 オリガの眉が僅かに上下する。

「もし、許されるなら、その金で俺を(クリェームリ)の会員にしてくれないか。それで真珠が治ったら最初の客を俺にして欲しい」

 俺は背を向けて動かなくなった207SWへ歩きながら、オリガ達へ我ながら厚かましい要求を告げた。

「彼女をドライヴに連れて行く約束をしているんだ」

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