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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第五話 運び屋の季節 1年目 秋 十一月
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四章 慈悲深き手【ドーヴルィ ルーキ】(4)

 そう言う事か。俺は携帯電話の向こうから味わった、冷酷無情の女性幹部を思い出す。

「失敗すれば、粛清(しゅくせい)か?」

「本来、慈悲深き手の掟に従うなら、そうなるわ。でも、オーリャに出来る筈が無いの」

「そうなのか?」

 俺は階段をすれ違いざまに感じた戦慄を覚えている。あれはそういう生き物で、後藤に対しての行為は彼女の雰囲気を裏切らないものだった。

「オーリャは日本に来る前、ずっと私を守ってくれた。どんなに傷ついても大丈夫だと無理矢理笑った。オーリャがああなったのは私や妹達を守る為だわ。小さい時、オーリャは私より泣き虫だったの」

 もう一人のセルゲイの娘はどこか悲しげな苦笑を浮かべた。

「今、オーリャは妹達だけでなく組織全てを守らなければならない。だから、私は姉妹達に寄り添って守っていく。そう大事な姉さんと妹達、そして私に誓った」

 騎手はその青い瞳を俺に向ける。真っ直ぐな迷いの無い視線に、俺は身近な少女を思い出す。

「私は真珠を守れなかった。その事は私の魂に刻む。私は真珠が、妹達が安心して生きていけるように、辛い事を思い出して泣いている時にも、傍に居て大丈夫だと言ってあげられるように、貴方の守る男をこの世から消し去らなければならない。それが私が、私自身に課した罰」

 彼女の左手が自分自身の魂を守るように胸前で握り締められる。

「私は、この程度の事で引く事は出来ない。いつか姉妹達が笑顔で城を去る、その背中を見送るまで、私は守り続ける」

 俺は誇りある女戦士を静かに見つめた。

「……良ければ君の名前を教えてくれないか」

「アリョーナ。【城】の仲間からは騎手(バイケル)と名付けられたわ」

「……アリョーナ、君に対して引けと失礼なことを言った件は詫びさせてもらう。すまなかった」

 俺は軽く頭を下げてから、両掌を開いて左側を突き出した半身の姿勢を取った。

「だが理解して欲しい。俺が君達に対して余計な怪我を負わせずに戦っているのは、決して君達を見縊(みくび)っている訳でなく、全力で傷付けないように戦っている事を」

 アリョーナもダガーを構えて俺と同じように半身の姿勢を取る。

「解った、信じる」

 アリョーナ、いや今はバイケルと呼ぶべきか。彼女の口元が綻んだ。

「妹達に余計な怪我を負わせないようにしてくれて有難う」

 俺の口元も綻んだ。

「最後に頼みがある。君と同じような眼をした子が二人居る。一人は自分の苦境に膝を屈せず、人の苦しみを、そんなのは駄目だと言って助けようとする()だ」

 俺の前を毅然と顔を上げて歩いて行く黒髪ポニーテールの少女。

「もう一人は、一度自分以外の何もかも失くして孤独を抱えながらも、友人や新しい家族の為に自分自身を演じ続ける娘だ」

 ポニーテールの少女の隣で同じ方向を向いて歩いている金髪をサイドテールに纏めた少女。その深緑の瞳が悪戯っぽく俺を振り返る。

「もし街中で会うことがあれば友達になってくれないか。きっと彼女達も君を気に入る筈だ」

 バイケルは眼を細めた。ひょっとしたら微笑んだのかもしれない。

「じゃあ」

「ああ、仕切り直しだ」

 バイケルが滑る様に距離をつめる。

 俺が一歩を踏み出す。

 全く、俺が守らなければならない荷物より、それを奪おうとする相手を気に入るなんて運び屋失格だな。

 突きから横薙ぎに変化したダガーの刃をバックステップでやり過ごす。

 ダガーの一撃は急所に当たらない限り致命傷になることは無いが、それにより動きが止まり、続けて突きや斬撃を何度も喰らう方が危ない。

 今度はトリッキーなフリッカーではなく、スタンダードなジャブを繰り返し放ってくるので弾く事も受ける事も出来ず、ただ隙が出来るのを待つしかない。

 更に厄介な事がある。

 いきなり、ジャブを放っていた彼女が姿勢を低くして俺の膝に手を伸ばした。

 俺は片足で跳ねるようにさらに背後に下がる。

 コマンドサンボでも習得しているのか、足を狙って関節技を掛ける素振りさえ見せている。足を壊されたりすると、動けなくなったところをめった刺しされる事は明白だ。

 俺はどうかと言えば、今迄ヘルメットを被っていてくれたので、ヘルメットに衝撃を咥えて視線をぶらせようという手段が使えたのだが、それが出来なくなった以上、非常に攻め難くなっている。

 ナイフのジャブの間隙を縫う様に、左フックが視界の外から襲い掛かってくるのを感じた。その左手を取ろうと俺の右掌が伸びる動きに合わせて、彼女のダガーを握った右手が肘が伸びきる前に内側へ曲げられる。

 狙いは最初から俺の右手。

 だが俺の動きは彼女の予想外であっただろう。

 俺は右掌で彼女の左前腕を押さえて流すだけに留めると、押しのける動作のままバスケットボール選手の様に身体を回転させてバイケルの脇を背後へ通り抜ける。

 俺の姿が視界から消えた事に戸惑うバイケルの背に俺は背中を向けたまま体当たりをした。

 いきなり背中から衝撃を受けて前のめりになり咳き込む彼女へ、俺は背後から裸締め(スリーパーホールド)に捉えようと手を伸ばす。

 再びダガーが横薙ぎに振られるの俺は寸前で手を引っ込めて躱した。

 右側から振り返るのが間に合わないと判断した彼女は、左尻ポケットのダガーを抜いて背後へ振り抜いたのだ。

 振り抜いた勢いを利用して背後へ振り返ったバイケルの両腕から繰り出される連続した突きに、防戦一方となる。

 両手突き!

 身を乗り出してリーチを長くした両手の突きに、片膝を着くほど身を低くして何とか躱した俺だったが、そのおかげで動きが止まってしまった。

 右側からの何かが迫って来る気配に、俺は右(ひじ)を立てて防御の姿勢を取り衝撃に備える。

「!」

 弾ける様な音と共に俺の上体が左側へ投げ出されそうになる。

 バイケルは痛む左足を軸にするより蹴り足にする方が負担が少ないと判断したのか、強烈な左回し蹴りを叩き込んで来たのだ。

 盾に使った俺の右前腕にしびれが生じ感覚が無くなるのを感じたのだが、バイケルの味わった苦痛はどんなものなのか、歯を食いしばって左足首からの衝撃に耐えていることが彼女の表情から見てとれた。

 蹴り足が離れ地面に着くと、それを軸足として回転させた事に、俺は驚きを隠せなかった。

 辛うじて立てた左手に渾身の右回し蹴りが激突する。

「くうっ」

 前腕が俺の顔面へ押しつけられ三半規管が揺さぶられる。

 立ち眩みを覚えながらも俺は立ち上がり、バイケルに組み付いて両股(りょうもも)に手を掛けて押し倒した。

 俺がバイケルの足首に手を伸ばした事で、足首を固められることを警戒したのだろう。彼女は膝を曲げ亀の子の様に自分に引き付けて関節技へ備える。

「外れ!」

 俺はバイケルのダガーを握った左手首を捕えると、足を振った遠心力を利用しながら彼女の左肘を伸ばしつつ両足で細い首を挿んで顎の下で交差させる。

 【首4の字固め(ヘッドシザース)】。

 男が男にされたくない絞め技ナンバー1の技だ。理由は技を掛けられた側の後頭部へ当たるモノと、その両頬にあたる股毛の感触を想像してくれるといい。

 ちなみに男が女性にこの技を極められると名称が、【幸せ固め】に変更される。

 ただこの技の問題は相手の頸骨(けいこつ)に負担を与える事で、相手が気道を塞がれて失神するより先に首の骨が折れる危険性を伴う。

 くそ、早く落ちてくれ。

 俺はそう願うしかない。正直言って今、技を掛ける方も痛いんだ。

 バイケルは俺にダガーを突き刺すつもりか右手を伸ばそうとしたが、俺は固めたまま身体を横向きへ寝かせて、右腕を彼女自身の身体の下敷きにして自由を奪う。

 俺に捉えられたバイケルの左手のダガーが掌から滑り落ちるが、左腕からは俺の手から逃れようと左右にねじる力を感じた。

 まだ失神(おち)ないか、しかしこれ以上両足に力を込めると彼女の身が危うい。

 俺からは、俺の両足に挟まれたバイケルの苦悶する表情が見て取れて、俺はそれに耐え切れず(まぶた)を閉じた。ただ両手両足に伝わる彼女の抵抗を、それが途絶えた時に拘束をすぐさま解除するする様に神経を集中する。

 少しずつ彼女の抵抗が弱まるのを感じ、それが長い時間に思えて俺は歯を食いしばり力を緩めようとする両足に締め付け続けろと鬼の様な命令を下す。

 少し俺の両手に伝わるバイケルの手の震えが一瞬大きくなり、次に不意に途絶える。

「くそったれ」

 両足を外して直ぐに彼女を自由にすると、俺はその首筋に指先を当てて脈があることを確認すると共に、軽く頭を揺さぶる。

 良かった、脈もあるし息をしている。首も折れていない。

 俺は息を吐いた。自分でも嫌になるほど長い溜息だった。

 取り合えずバイケルをこのままにはしておけない。

 俺は彼女を抱え上げると屋根のある電気自動車駐車場脇のベンチの下まで運び、そこに横たえた。出来れば室内で休ませてあげたいが、PAの施設は営業時間外、併設されたコンビニエンスストアは改装中の札が動かない自動ドアに貼り付けられている。

 エンジンがかけられたままのFZ250を駐車場まで運んでからエンジンを止めてキーを彼女の手に握らせた。

「うーん」

 俺は黒背広のジャケットから煙草やらナイフやら携帯ライトを取り出すと、スラックスのポケットに無理やり突っ込んで、ジャケットを彼女の上半身と鼻の下まで隠れる様に掛けておく。

 十一月の深夜は寒く、ライダースーツだけでは心もとない事と、夜露まみれになっては可哀そうだ。

「本当は、車で運んでやるべきなんだよな」

 俺の立場上それは出来ない。

 俺は207SWに歩み寄ると運転席側のドアを開けて、運転席に乗り込んだ。

 キーを捻ってエンジンを掛けると、そのエンジン音に重なる様に後部座席の孝道が笑みを浮かべて俺に声を掛けてきた。

「あんた、本当に腕利きなんだな。このまま俺を無事に運んでくれよ」

「……黙ってろ」

 俺には口の利けない少女を殴り続ける行為と、少女が意識を失うまで締め付け続ける行為に優劣があるとは思えなかった。

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