四章 慈悲深き手【ドーヴルィ ルーキ】(2)
山陽自動車道で兵庫県を抜ける。
平日は深夜とはいえ日本の物流を担う大型トラックが数多く走行しており、吉備SA辺りまで片側二車線の続く山陽自動車道では、目的地までの所要時間を短縮させることは容易ではない。
現に前を走行していた中型トラックは走行速度の大形トラックを追い越そうと、追い越し車線に出て来て速度を上げたが、こちらの車列も左側同様ひたすら続いている為に中型トラックは追い越し車線の車両の流れを悪くしただけに留まった。
このような状況では後続の車両が前方を走る車両に追い付くことは不可能であり、今、セルゲイが俺達に追っ手を差し向けていたとしても、別手段で目的地に先回りされていない限りは俺達は安全と言える。
四輪に限っては、だが。
俺が危惧しているのは城の駐車場で目撃した二台の二輪、ヤマハFZ250とIMZウラルの存在だ。
FZ250なら走行するトラックの間や路側帯を走り抜ける事も可能なうえ、二百五十cc四十五馬力のレッドゾーンが16000rpmから始まる超高回転のエンジンは、最高時速百八十六キロを叩き出す為、道路が空いた状態で207SWのアクセルを踏み込めたとしても確実に207SWに追い縋って来る事だろう。
ウラルはサイドカーという事もありFZ250の様な車両間をすり抜けるような芸当は出来ないが、750cc水平対向空冷エンジンと二輪駆動機構を生かした不整地突破能力は、田舎の荒れた道路や軽トラックしか通れないような狭い山道を力強く通り抜けられる能力を持つ。人気の無い深夜の一般道や山間部の狭い谷道を最短距離で来られれば先回りされている怖れがある。
「これは、選択を誤ったかな」
時速八〇キロ以下で進む車列の中で俺はぼやいた。
ようやく大型トラックと並走していたタンクローリが追い抜きを終わらせて大型トラックの前、左側走行車線に出て速度を上げる。
福石PAをそのまま通り過ぎる。
そう言えば湖乃波君と福石PAに立ち寄った時、湖乃波君が注文した岡山ラーメンの海苔にラーメンを食べる猫の絵がプリントしてあった。
湖乃波君は可愛いと嬉しがっており、あの海苔のプリントは数種類あるらしい。帰りにでも寄って岡山ラーメンを注文して確かめてみよう。
バックミラーに左右の車列に挟まれた白色の光点が大きくなって来るのが映され、俺は弛緩した精神を引き締めた。
かなり高速で接近するそれは、俺が機種を特定するより早く運転席側の窓に甲高い音を立てて並び、何気なく握手をするように手を上げる。
FZ250、シルキーホワイトと呼ばれる青と白の車体に同色のヘルメットとライダースーツを身に付けた女性は、黒光りするイスラエルのウージー短機関銃とよく似た凶器の銃口を俺に向けた。
背後で急ブレーキ音。
咄嗟にRレンジに入れてステアリングを切り左後方へ銃弾を躱した俺の動きに、慌てた背後のミニバンが速度を急激に落とした。
207SWはバック走行のまま、高速道路の左側路肩を逆走して行く。
FZ250とその騎手も走行する車の隙を縫う様に路側帯へ出ると、207SWの正面から猛然と追撃を開始する。
「孝道、頭下げろ!」
俺も背後に怒鳴ると同時にステアリングに覆い被さるように頭を低くすると、フロントガラスに弾痕が生じて視界が遮断された。
「くそったれ」
黒手袋を履いた右手でフロントガラスを殴りつけて落とす。
せっかくレアな機種であるFZ250に遭遇しているのに、あの有名なジェットエンジンの咆哮を堪能する事も出来ない。こんな不幸な事があっていいのか。
サブマシンガンの銃弾は容赦なく207SWの鼻面にも突き刺さっており、プジョーの象徴たるシルバーライオンのエンブレムが砕けて地面に堕ちて行くのを目撃する。
背後に非常駐車帯。
俺はブレーキを一瞬だけ踏み込みんでハンドルを切った。車体が回り始めるとギアをニュートラルへ移動させる。
「おおおおおおお」
非常駐車帯でのいきなりのスピンに後部座席の行動から変な悲鳴が上がる。
207SWの尻が傍らのマークXの車体をかすめるが気にしない。
180度回頭する直前にハンドルを戻し、シフトをマニュアルモードの一速へ移動させる。
バックスピンターンで進行方向へ向きを変えた207SWは、今度は堂々と路側帯を猛スピードで逆走した。
今度はバックドアから響く着弾音にみるみる孝道の顔色が青ざめる。頭を抱えて後部座席に寝転び縮こまっている様は、「ざまあみろ」と言いたくもなるが、たとえ拳銃弾でもこのまましつこく撃たれ続けてはバックドアを貫通するのも時間の問題だ。
さて、どうやって追撃を躱すか、それより先に交通機動隊が来るかもしれん。
決め手が無いまま逆走を続けていると、遂に福石PAまで戻って来てしまった。
「!」
福石PAの出口からそろそろと、赤い日産マーチの小柄な車体が顔を出してくる。
マーチの運転手は己の右側、車両のやって来る方向の身注意を払っており、反対側から時速百キロ越えのライオンが突っ込んで来るなど、夢にも思っていないのだろう。
さて、どうする。このまま路側帯を走行していると確実にぶつかる。
しかし、停まるとFZ250に追い付かれてしまう。
マーチの向こう側は本線に進入するマーチを避ける為に車両が追い越し車線に移動しているが、次の迫って来るトラックまでの距離はそう遠くない。マーチを避けて通り過ぎた途端、トラックと正面衝突する恐れがある。
路側帯から走行車線に出ると共にレンジをDから2速に落とし、アクセルペダルから足を浮かしてステアリングを六分の一回転右に回す。
プジョー207SWの車体が福石PAの出口側へ頭を向けると共に、後輪が滑りオーバーステアの姿勢のまま道路を滑り出す。
マーチを運転する女性の驚きで目を見開いている表情と向かい合う様にして通り過ぎる。
本線へ出ようとするマーチをぎりぎりで躱すと共に、横転しそうになる車体を福石PAへ侵入するように、ステアリングを内側に切ってアクセルを踏み込む。
マーチとすれ違う様に道幅ぎりぎりで福石PAの駐車場に滑り込んだ。サイドブレーキを引きドリフト駐車で出口側へ車体を向ける。
問題はFZ250だ。マーチは確実に本線側へ出始めており、横っ面に激突する可能性が高い。
「お」
FZ250のライダーも福石PAに侵入してマーチとその向こう側のトラックを避ける心算なのだろうが、マーチは右寄りで本線側へ出ている為に車体を傾かせる角度も限られるはずだ。
FZ250がマーチに接触する寸前に向きを変える。
直角コーナーを曲がるより僅かにを機体を倒した姿勢で、ほぼ直角に曲がったFZ250はスピードを殺さずマーチの脇を走り抜けた。
いや、走り抜けようとした。
曲がり終える直前に起き上がった機体がライダー諸共、マーチの側へ倒れ込もうとしている。
あの体勢ではヘルメットからマーチに倒れこみ、首の骨を折りかねない。
しかし、FZ250とその騎手は急に姿勢を元に戻してスピードを殺さずに曲がり終えるとこちらへ向かってきた。
「これは、また」
姿勢が崩れる直前、FZ250の騎手はマーチの尻を足裏で蹴っ飛ばして、その反動を生かして強引に姿勢を立て直したのだ。
それに城の駐車場でFZ250を目にした時、ハンドルストッパーが切断されていた事から通常の機体より回転半径が小さく、あのスピードで曲がることが出来たのだろう。
俺は207SWから降りてこちらへ向かって来るFZ250とその騎手を、三度手を打って出迎えた。
「いい技量してるじゃないか。モトジムでもやっているのか?」
FZ250の騎手は俺の質問には答えずに腰の後ろへ手を回し、短機関銃の銃口を俺に晒す。
腰だめとはいえ重いサブマシンガンを片手で保持出来るのは、この女性騎手の肉体性能が高いからであり、先程のFZ250の扱いもそれによるところが大きいと思われた。




