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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第五話 運び屋の季節 1年目 秋 十一月
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三章 追撃者(8)

「それだけではないぞ、ブレード。君の隣人は私の城でのルールだけでなく、我々聖なる泥棒のシベリアの掟すら破っている。我々、シベリアの民は先天的、後天的問わず障害を負ったものを神からの贈り物として敬わなければならない。そしてそれを傷付ける者には、この世界の理を聞き損なった者として、慈悲を持って断罪する。これは我々シベリアの民が五〇年代半ばに障害者、精神病患者を家に置くことを禁じた政府の法律に憤り、自然と作り上げられた掟なのだ」

「奴はシベリアの民ではないが、それでも、なのか?」

「奴が、では無いよブレード。真珠がシベリアの民であり、我々が己の魂と組織、神への信仰を誇る為に守らねばならない掟なのだよ。それを守らねば我々組織は成り立たない」

 セルゲイの【聖なる泥棒】には【シベリアの掟】があり、マオの【紅龍(レッド・ドラゴン)】には【(ツァイ)】、フランカやオストリコの属するシシリアンマフィア「仮面舞踏会(ラ・マスケーラ)】には【沈黙の掟(オメルタ)】等、親兄弟以上に守らねばならない組織毎の掟があり、それは世間一般の法律から逸脱した者達を律する為の彼等自身の法律なのだ。それは絶対であり、それを破る者には厳罰が下される。

「シベリアの掟を破った者は、その共同体では地位や名誉、神に与えられた名すら失い放逐され、生きて行くことは出来ない。だからこそ、慈悲を持った断罪があるのだ。ブレード、君がその男を引き渡さなければ断罪者たる、【慈悲深き手(ドーヴルィ ルーキ)】達を送り出さねばならん。よく考えることだ」

 セルゲイの言葉は孝道のみならず、俺や現在囚われの身である後藤にとっても処刑宣告である事に間違いない。

 どうする。俺の中のもう一人の俺が問い掛ける。どんな馬鹿でも、このような事態に陥ればやる事は解るだろう。当然、俺もその選択が正しいと思う。無抵抗の女性や少女に手をあげる腐れ外道など、どうなろうと俺の責任では無い。むしろ、とっとと殺ってくれと応援したくなる。

 しかし、俺は【運び屋】で既に依頼されているのだ。

 運び屋が、自ら荷を放棄するのか。

 依頼人である後藤は、契約違反をしているわけでもないのに。

 セルゲイには【シベリアの掟】があるように俺にも運び屋としてのルールがある。

「ブレード、解ったかしら」

 再び、携帯電話の向こうからオリガの声が響いてくる。

「真珠は私がロシアから連れてきた娘のひとりなの。セルゲイではなく、私が守ってきたのよ。殺伐としたロシアでの組織活動で、私や他の妹達がどれだけあの娘の存在に励まされたかなんて、貴方には解らないでしょうね」

 いや、解る。彼女にはそんな強さがあった。

 だが、俺はそう答えることを許されていない。

「あの子は歯をほとんど折られて鼻と頬骨は骨折。左目は網膜剥離を引き起こしているわ。それに下腹部の内部出血。子供の産めない体にされているかも。だから、私にはこうする権利があるの」

 突然発生した携帯電話から轟音に俺は急いで耳から携帯電話を遠ざけたが、残念ながら山彦のような耳鳴りが俺の鼓膜を震わし続ける。

 携帯電話からは引き離しているのにもかかわらず、泣きそうな男の怒号と苦鳴、床をこする音が引っ切り無しに車内に響き渡っていた。

 急いで携帯電話を耳に近づける。

「あら、部屋の端まで足が吹き飛んだわ」

「……お前」

「怖いわね、貴方でもそんな声が出せるんだ」

 からかうような口調が終わらない内に、再び後藤のすすり泣きと太い悲鳴、木の椅子が床を打つ音が俺の耳に入り、俺は受話器に向けて怒鳴り声を上げる。

「やめろ、何をしている!」

「解らない? 散弾で吹き飛んだ傷口から出血しないように、傷口を焼き潰しているのよ。感謝して欲しいわね。医療器具が無いから銃口で代用してるけど」

 どこか高揚しているオリガの声に、俺は暴力を生業とした者の匂いを嗅ぎ取った。

「膝を打ち抜くのは昔、イギリスの対テロリストへの拷問で多用されたと聞いているが、君は軍隊だったのか。それとも警察?」

「どうかしら、今のその質問は何? 私の良心を呼び覚まそうとしているのかしら。最初からそんなもの無いけど」

 再び金属音。散弾銃の装填筒(フォアエンド)が前後して散弾が装填される音だ。

「そろそろ決めた方がいいわね。残りの一本を失わせたくないでしょう?」

「……後藤と話をさせてくれ」

「いいわよ」

 硬いブーツの踵が床を打つ音を響かせながらオリガが携帯電話を置くような硬い音と共に、後藤の途切れ途切れの荒い息遣いが伝わって来る。

「……後藤、聞こえるか」

「――ブ、ブレード」

 絞り出すような声は痛みで舌が回らない為か、意識を保っているだけでも瞠目すべきことだろう。

「あ、あし、俺の、足が」

「……ああ、解っている」

 声が途絶え、唸るような息継ぎが繰り返される。

「後藤、聞いてくれ。俺は孝道の引渡しを要求された。だが俺は運び屋だ。依頼人の許可無しで荷物を好き勝手出来ない」

「――」

「正直に言うと、孝道を渡しても俺やお前が生き残れる保証は無い。だが渡さなければ二人とも地獄行きだ。孝道と仲良く三途の川を同じ船に乗って渡ることになる」

 そうなったら、孝道を簀巻(すま)きにして船から三途の川へ放り出してやろう。

「今、危険に(さら)されているのは依頼人のお前だ、後藤。俺はお前がどちらを選択しても従うよ」

 言い終えて俺は自嘲した。

 囚われの身となった相手を心配する事も無く、ただ己のルールを優先して死にそうな目に合っている相手に選択を迫る。

 孝道に負けず劣らず外道じゃないか、狗狼さんよ。

「……へっ」

「……後藤?」

 携帯電話の向こうで身動ぎする気配と共に後藤が声を漏らした。

「へへっ、あ、ありがてえな、おい。契約を、打ち切られて、も、文句、言えねえ、のに、よ」

「お前が契約違反したわけでもないしな。まあ、契約内容が人畜輸送から危険輸送に切り替わったのは覚悟してくれ。料金は倍以上になるぞ」

「そ、そうか、くそ、痛えな。じゃあ、決まってる」

 後藤は無理して笑おうとしたのか、二、三度咳き込む。

「だったら、い、依頼は、継続だ」

「……いいのか?」

「勘違い、するな、よ。あの、馬鹿金髪のためじゃねえ。俺の、意地だ。あの店は、なあ、俺が世間様に、胸張って自慢出来る、たったひとつの、ものだ」

「……」

「あの店は小せえが、俺が、シノギに関係なく、一から作り上げたものだ。あれを失くせば、俺は何もない只の、やくざ者だ」

「店の奴等はそう思ってないだろ」

「当り前、だ。品治も、事務所に出入りするより、あの店の厨房に、居る時間の方が長くなっている。他のスタッフは俺がやくざ者なんて、知らねえんだ。俺は俺、で、若い、客が、料理や店をバックに携帯で写真を、撮っていると、嬉しいんだよ。この気分は、事務所の奴等には、絶対に解らねえだろうな」

 俺はため息を吐いた。

 全く、どうかしているよ、お前。

 今、後藤は痛みで脂汗を流しながらも、勝ち誇った笑みを浮かべているのだろう。

「解ったよ、だが、依頼料はとびきり高いぞ」

「へっ、言ってみな。きっちり、払って、やる、ぜ」

「ああ、この仕事が終わったら、お前の店のとびきり高いワインを一晩かけて二人で飲み明かすんだ。それで一緒に品治君に怒られよう」

「……」

「どうだ?」

「なに、言ってやが、る。ジンしか飲んでねえ奴が、ワインの味なんか、解るのかよ?」

「……解るさ」

「あ?」

「解るさ。お前の選んだ、お前の店のワインだ。美味いに決まってる」

「……ああ、美味いだろうな」

 暫く沈黙した後、携帯電話の向こうで痛みを堪えながらも後藤が馬鹿笑いを始めた。

 俺もそれに吊られる様に、大口を開けてステアリングに突っ伏して前のめりで馬鹿笑いを始める。

 あの店を開く前に、皆で色々馬鹿をしたよな。

 ああ、笑い過ぎて、泣いてしまいそうだ。

 長い時間を二人共笑い続けたので、遂に疲れて沈黙する。

「……ブレード、いや、狗狼」

「ん」

「後は、頼んだ」

「ああ、依頼は果たすさ」

 二度目の銃声。

 通話が切れた後も、俺は脳を震わす轟音に耐えて、その残響が治まるまで、ただただ携帯電話を耳に当て続けていた。

 ずっと、耳に当て続けていた。

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