三章 追撃者(3)
俺が戻ると、黄色ジャージの死体を前に呆然と立ち尽くす孝道の姿が目に入った。さすがに途方に暮れるしかないのだろう。
取り敢えず、この死体を何とかするか。しかし、処理業者に頼む分の金額がコイツに出せるかどうか。
「で、どうする? 此処もいつ人が通り掛ってもおかしくはないが。言っておくが此処に車を回して広島まで運ぶのなら別料金にさせてもらうぞ」
「……いくらだ」
「リスクの高い荷物だから危険輸送料金となるな。一時間一〇万プラス必要経費だ」
「必要経費?」
「ビニールシートを買って敷くのならその代金。あと車内のクリーニング料金、これが高い。血の匂いは簡単に消えるものではないし、人間は死んだ途端に免疫系が機能を停止するので雑菌は垂れ流し状態、クリーニング専門の業者に頼まないと後々厄介な事になる。だから最低でも五〇万円は吹き飛ぶぞ」
「う」
「死体処理業者を呼ぶのもありだが、かなりの高額を覚悟した方がいい」
嫌がらせを言っているわけでなく、本当の事だから仕方ない。
孝道は忌々しそうにかって弟分であった、もの言わぬ黄色ジャージの脇腹に蹴りを入れた。
「たいぎい奴っちゃの。ちっとは役に立てや」
そう吐き捨てると孝道は俺に向けて卑屈な笑みを浮かべた。
「なあ、もうちと安く済む方法があるじゃろ。何とかしろや」
て、言われてもな。
「まあ、二〇万程度の時間稼ぎなら、今出来ない事は無いが」
「本当か、悪いな!」
孝道の表情が明るくなる。
如何やら弟分を弔おうとする気持ちより、儲けの少なくなる方がこの金髪のあんちゃんにとっては大事らしい。
ただ、死体を積んで広島まで移動するリスクを考えた場合、この場で時間稼ぎ程度の処理をする方が得策かもしれない。
この世界は死んだらそれまで。死者の尊厳など問う方がおかしいのだろう。
俺は両手を叩いて着けた黒手袋の汚れを取り除いた後、黄色ジャージの前にしゃがみ込みジャージのポケットを探ると携帯電話やパスケースが出てきた。
パスケースを開くと保険証と【二級小型船舶免許合格のお知らせ】と印刷された紙が挿入していたので、携帯電話共々背広のポケットに突っ込んでおく。
両足のエアジョーダンを脱がして孝道に放り投げた。
「くたびれてない。中古で売り払ったらどうだ」
靴下も脱がした後、コンバットフォルダーで黄色ジャージの身に付けた衣服を切り裂き身体から剥がしていく。胸に刺さった手斧周辺の部分は流れ出た血液の付着が目立つのでジャージで包んで内側に隠す。
防犯カメラにはこいつの黄色ジャージ姿は鮮明に映って判別し易い上に、衣服のラベルからメーカーと購入先が割り出されるのを防ぐ為だ。
素っ裸になった黄色ジャージではなくなった巨漢は、腹部に脂肪が付いているものの胸筋や両手足は筋肉質でトレーニングではない自然に引き締まった形状をしていた。ジャージに隠れて解らなかったが太い二の腕の肌は赤く焼けており、それが俺に、ある疑問を浮かばせる。
「なあ、此奴、よく海に出ていたのか。祖父の代まで漁師をしていたって聞いたが」
「ん、ああ、地元のみかじめを受け取るついでに漁を手伝っているって聞いたな。はした金を受け取るのにそんな苦労して、ぽんすじゃないか」
「……」
ひょっとしたら、後藤との取引が成立して喜んだのは孝道でもなく、この名も知らぬ青年かもしれない。
俺は青年の手を取って、愛用のバーナーライターで指先の皮膚を焼き潰しておく。指先の肉が焼けて指紋の溶ける不快な臭気に、孝道の喉がけくっと音を立てる。
「おい、吐くなよ。胃液や吐瀉物から割り出される」
俺は元黄色ジャージの胸から生えた手斧に手を掛ける。
「うえ」
孝道が声を漏らすのを無視して手斧を抜き取ろうと力を込めた。
独特の音と共に赤黒とピンクの体組織と肋骨の断面が覗く。
高架下の出口へ目をやるが少女の姿は無い。
「出口で誰も来ないか見張っていてくれないか。ちょっと時間が掛るし五月蠅いんだ」
「はあ?」
死体を見ない様にしている孝道が声を上げる。
人目に付きたくないんだろうが、これ以上、作業を見学しているとお前は絶対吐くぞ。
俺は手斧を振り上げると横たわった青年の首に振り下ろした。
「うおっ!」
足元に転がった生首に驚いた孝道が慌てて跳び退く。
俺は生首の髪を掴んで持ち上げると、後の作業が容易い様に切断面を下にしてタイルの上に置いた。
「な、何をするんだ」
「いや、此奴の喰った昼飯と同じこと」
孝道が眉を寄せる。
「昼は秋刀魚のなめろうパテを作ったんだ」
俺の言葉に孝道は暫く何か考えていたが、ようやく俺の言葉の意味が理解出来たのか夜目にも彼の顔面から血の気が引いて行くのが解った。
「待て。見張りに行くから待て!」
あたふたと出口に向かう孝道を背に、俺は鎮座した生首に手斧を振り下ろす。
得物が手斧だった事もあり、作業はそれ程時間を掛けず終了した。
骨や歯、眼球すら細かく砕かれて出来上がった赤黒い絨毯を俺は満足して見下ろした。これで発見されても多少は時間が稼げるだろう。
多少の返り血があったが黒の背広だとそう目立つ事は無い。
俺は使用した手斧もジャージに包んで脇に抱えると、俺の使っていない二本の手斧はそのままに足早にそこを離れる。残した手斧に注目が行き、それで俺達から捜査の眼が反れるなら大歓迎だ。
「待たせたな」
孝道の背後から声を掛けて足早に追い抜く。
「とっとと此処を離れよう。相手が何者か解らん以上、此処に留まるのは得策と言えない」
意外といる通行人の注意を引いた風も無く花隈駐車場へ辿り着いた俺と孝道は、すぐさま207SWに乗り込みエンジンをかけた。