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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第一話 1年目 春 四月
13/196

二章 危険な受取人(6)

 美術館の傍らをよたよたと通り抜けても少女の姿は見えず、ひょっとしてあの子の足はとても速く、もう駐車場に着いているのではないか。俺は動かなくなってきた足を止め、両膝に手を置いて何とか呼吸を整えようとした。

 日頃の運動不足による衰えを、こんな形で思い知らされる。

 よし、決めた。この仕事を終えたら昔買ったまま放置してある、異様に白い歯をした黒人筋肉男がリズムに乗ってトレーニングをしているDVDを、今度こそやり遂げて見せよう。もう黒人筋肉男の両脇で同じようにトレーニングしている金髪グラマーの【乳揺れ】に気を取られないよう心を鬼にして己の肉体を鍛えて見せよう。決して、スパッツからはみ出した【太腿】や、汗の輝く【(うなじ)】なんか見ても何とも思わないぞ。

 俺が数年前に見た、汗の輝く金髪グラマーの項や太腿、上下左右運動をする二つの肉球に思いを馳せていると、俺の背後から複数の人間の駆ける音が響いて来た。

 ああ、まだ走らなけらばならないのか、と世の中の理不尽を嘆きつつ俺は再び走り出す。

 数分後、207SWの傍らで俺を待っていた少女に駆け寄って、直ぐに此処を出るぞと言いかけたが、呼吸が整わず満足にしゃべることが出来なかった。少女は平然と俺を見上げている。若いっていいな、と感心している場合ではない。

 俺はこの駐車場で見かけた隣り合わせで止まっているベンツとジャガーの傍へ力を振り絞って歩いて行った。

 背広のポケットからバーナーライターと専用のガスボンベをテープで組み合わせたものを取り出す。問題はこのベンツとジャガーが奴らの乗って来たものかどうか解らないことだ。もし奴らの車でないならその持ち主にはとても済まない事をしたと心の中で謝っておこう。

 決心した俺は駐車場に転がっていた石でベンツの運転席側のドアの窓ガラスを叩き割った。幸い防弾ガラスではなく大した抵抗もなく割れてくれたので、手に持ったバーナーライターを着火して、ロック機能を使ってライターの火が消えないようにした。携帯用ガスボンベが異音を立て始める。

「間違っていたら、ゴメン」

 ベンツの車内へそれを放り込んだ。後は一目散に207SWに向かって逃走する。

「よし、逃げるぞ。早く車に乗って」

 少女が乗り込みシートベルトを締めるより早く、俺はアクセルを踏み込み駐車場をロケットダッシュで横断。道路へ飛び出した。

 バックミラーを見るとようやく追いついて来たスタジアムジャンバーと辛子色のジャケットを着た男二人組、和歌山市で少女を攫おうとした奴等がメルセデスベンツS350へ近付くところだった。

 有り難う、心配事が一つ減ったよ。

 轟音と共にベンツの車内から噴き出した炎と衝撃に、乗り込もうとした男二人組が吹き飛ばされ駐車場へ転がる。さしものベンツも、小さいながらもガスボンベが爆発したのでは如何ともし難く、内部の機器はかなりのダメージを負って、運転に支障をきたしているに違いない。

 少女は駐車場を振り返って呆然とした後、俺の横顔を見て、ベンツを指差した。

「気にしない、気にしない」

 ジャガーが出てくる前に距離を稼ごうと元来た道を、猛スピードで駆け抜ける。当然、運転モードもラフなドライビングが可能なスポーツモードに切り替えての走行だ。

 欠点としては非常に燃費が悪くなり、個人経営の身としてはここ一番の時以外には使わないよう自重している。

 獅子のマークを頂いたフレンチコンパクトワゴンは、その売り文句のひとつであるスムーズなコーナーリング性能を見せびらかすかのようにカープの多い311号線を、スピードを殺さず走り抜けて行く。猫足と称されるのも伊達ではないというところか。

 しかし、奴らにはベンツの他にもう一台、平均的な国産車両を凌駕するスポーツセダンがあったのだ。

 バックミラーに一見してジャガーと解る低く重量感のある車体に四つ目のヘッドライトが入り込んで来た。ジャガーXJ8 3・5は力任せに三千五百四十四CCⅤ6エンジンを唸らせて距離をつめて来る。基本性能はあちらの方がはるかに上であることを痛感させられた。

 だが、車の性能が良くともドライバーの腕は悪いのか、カープごとにそのスピードにカウンターステアを当てて制御することが出来ず、リアが流れていることが見て取れた。カープの多い311号線では持ち前の性能が生かせず、たたらを踏んでいるようだ。おそらく今、運転している者と車の所有者が違うのではないだろうか。

 俺は207SWのアクセルを踏み込み、一度は狭まったジャガーとの距離を再び広げた。

 プジョーの直四2WDの完成度は高く、1990年代後半のラリーで、ターマックなら2WDのプジョー306がその他の4WDを抑えてレースを制することもあった。その後206から207へとその技術は引き継がれていく。

 しかし、いつまでも付いてこられても困るので、そろそろ勝負をつけようと俺は運転席側のガラスを下げて、腰の後ろから左懐へ収めたものと同じデザインの刃渡りの短いナイフを取り出す。こちらは刃渡りが八センチと少々小振りだ。

 刃を起こして口に咥える。

 219号線と交わる三叉路で一気にサイドブレーキを掛けて207SWのテールを流す。タイヤの滑る音を聞きながらすぐにアクセルを踏み込みリアを引き回し、反対車線側へ百八十度のサイドブレーキターンを行った。

 アクセルをさらに踏み込み、急ブレーキを踏んでフロントに荷重のかかったジャガーの横を通り抜け様に、右手で口に咥えたナイフを抜き取りジャガーの運転席めがけて投げ放った。

 小さくなるバックミラーのジャガーが蛇行して富田川へ姿を消したのを確認して、俺は小さくガッツポーズを取る。

「これでひと安心。ってどうした!」

 助手席の少女は青い顔をしたまま、目に涙を浮かべ口元を抑えている。これは、まさか、と俺は207SWのアクセルを緩め路肩に寄せる。

「待て、吐くなら外で吐いてくれ」

 脱兎のごとく少女が車外へ飛び出し、とても聞きたくない異音と共に屈み込む。

 見るも地獄、聞くも地獄とはこのことだろう。一応、車内にそれ用のビニール袋もあるが、車内を汚されても困るので、外で胃の中身が無くなるまで豪快に吐いてくれると、二度吐きの心配が無くなるので俺は嬉しい。

 ようやく吐き終えたのか、その整った顔の血の気が引いて青くなった状態で、少女はプジョーの助手席に近づき、バフッと倒れ込んだ。もう、精根尽き果ててどうしようもない状態ですな。

 俺もひと息つこうと車を下り、煙草を取出し火をつける。

 ワイルドカードの独特の風味が、先程カーチェイスを終えたばかりでささくれ立った俺を神経を落ち着かせてくれる。

 落ち着いてくると、近露王子での出来事を頭の中で反芻してみる。そこで一言、

「やっちまったよー」

 と、俺は頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。

 ただ働きどころかとっても重い荷物をしょい込んでるじゃないか。どうする、これから。

 俺はプジョーの助手席でぐったりとしている少女を振り返った。俺に払われるべき報酬は見事に彼女の叔父に踏み倒され、おまけにやくざ者と敵対までするという事態に落ちている。

 最後の仕事というのに、なぜ俺がこんな目に合わなければいけないのか。天で下界を睥睨(へいげい)する存在は俺の事が嫌いなんであろうか。

 携帯電話で仕事を斡旋(あっせん)してくれた情報屋に、今回の仕事が見事に失敗して、斡旋料が払えないことを連絡しようとダイヤルをプッシュしかけたが、ふとあることに気づき指を止めた。

 今ここで連絡すると、もし先程の奴らが俺の裏切りに対して情報屋に俺の居場所を尋ねた場合、彼奴は仕事柄、情報を奴等に与えるしかないだろう。もし今の時点に奴等が情報屋にコンタクトしている場合、俺がのこのこと神戸に帰ったりすると、待ち構えていた奴等に捕まって酷い事になるに違いない。うむ、困った。

 とりあえず落ち着ける場所へ移動して、今後の事を考えよう。俺はこの付近の知己で情報屋の知らない者たちを数人、頭の中で思い浮かべた。今後のこともあるし、その筋に秀でてることを条件に付け加えると該当者が一人に絞られる。

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