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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第五話 運び屋の季節 1年目 秋 十一月
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一章 広島からの客人(5)

 俺と後藤の浮かべる表情に不穏なものを感じたのか、茶髪のアンちゃんは俺と後藤を途惑った様に見返した。

「すまないが、そのクラブの名前は誰から聞いたのか教えてほしいのだが」

 質問する俺の表情に気圧されたのか、金髪は唾を飲み込んでから頷く。

「確か組に出入りするロシア人の中古車ブローカーが話題にしていたんだ。奴も又聞きで入ったことはないが、こっちに特殊なサービスを提供するクラブがあるって」

 余計な事を喋ったものだ。俺は胸中で毒づいてから後藤を振り返った。

 勿論、彼を案内するべきかどうか判断を仰ぐためだ。

「後藤、これは過剰サービスだ。案内が必要なら俺への報酬を吊り上げてもらうぞ」

 正直、紹介しても彼奴(あいつ)があの老人の信用を得られるとは思えない。逆に不快な思いをさせて勘気を(こうむ)った場合、誰が責任取るんだ。

「……孝道(こうどう)さん、すまないがクラブの紹介は諦めてくれるか。案内人の裁量を超えているんだ」

 金髪、孝道と呼ばれた青年は俺を一瞥すると「のーたくれとる案内人じゃな」と地面に唾を吐いた。

 何とでも言え。雇い主は後藤だ。

 俺の態度が変わらない事を察したのか、孝道は後藤の傍らに寄って肩を叩いた。

「後藤さん。俺は此処で実績を作って広島にシマを作りたいんだ。それは後藤さんにとっても悪い話じゃなかろう。それに後藤さんだってクラブにツテを作るチャンスじゃないか」

「残念ながら、私はあの店で充分です。そこまで大物とは付き合いたくはないですよ」

 はっ、そう呆れたように息を吐いた孝道は、芝居が掛かった仕草で両手を広げた。

「きばれや。あの程度の店で満足するんか。なら、わしらはその程度の儲けしかださんさえん奴とは話を進められん」

「な!」

「兄貴、それは組の意向じゃないです」

「われ、こーへえげなこと言うなや」

 激昂したのか孝道の右拳が巨漢の鼻を一撃して尻餅をつかせる。

 俺は孝道の振り切った右手首を捕らえて捻り上げ、がら空きになった右わき腹に肘打ちを叩き込もうとした。

「待て!」

 後藤の制止に肘が触れる寸前で止める。

「ブレード。いや、狗狼(くろう)、連絡を取ってやってくれ。それで駄目なら諦めもつくはずだ。それでいいですね?」

「ああ、かばちたれへん」

 孝道は乱暴に俺の手から手首をもぎ取ると、憎々しげに俺を睨み付けて後藤に答えた。

「大丈夫か?」

 巨漢の手をとり助け起こすと、巨漢の鼻腔から赤い液体が飛び散る。

 鼻は曲がっておらず、中の血管が破れただけなのは不幸中の幸いだろう。

 全く、面倒なことになった。

「連絡を取れる場所に行くぞ。近いから車は此処に置いて行く」

 俺は三人にそう告げると寿司屋の駐車場から歩いて連絡の取れるロシア料理店へ向かう。

 俺達が駐車場を出る直前、寿司屋の引き戸が開くと何かが振り撒かれるのを目にした。塩を撒いたのかもしれない。

 クリェームリの主であるセルゲイに連絡を取るには中山手通りのビル三階にあるレストランに寄る必要がある。

 一九五三年から営業しているこのロシア料理店は若い頃のセルゲイが何度も足を運んでおり、彼の信頼する人物が今も料理を作り続けていた。

 この店で出されるロシア料理はロシアの家庭料理を中心にしており、昔からこの界隈で働くロシアや東欧諸国の労働者達が通い胃袋を満たしながら談笑し、日々の疲れを癒しているのだ。

 特にボルシとピロシキを組み合わせたボルシセットは価格も手頃で、柔らかく煮られたラム肉のボルシと大きく具の詰まったピロシキが寒い冬を越すロシアの家庭の温かさを連想させる。

 階段を上り、三階の店のドアを開けた。

 閉店間際の時間帯の為か店内に客の姿は無く、異色な孝道達の格好に驚く者がいないのは俺にとって大いに助かることだ。

「ドーブライ ヴェーチェル、マーシャ」

 俺が厨房に向かって声を掛けると、内から小柄で小太りの老女がエプロンで手を拭きながら顔を出してきた。

「あら、【運転手(ヴァディーチリ)】。ごめんなさいね、今日はもう店じまいなのよ」

「すみません、こちらこそ急に。花束のひとつでも持って来るべきでした」

「ナニこんなおばあちゃんを口説こうとしているの。それで今日は何の用?」

 俺は屈み込み、このレストランの主人を抱きしめた。

「実はセルゲイに連絡を取りたいのです」

 俺の言葉を聞くと、マーシャは表情を引き締めると俺をハグから開放して一歩下がる。

 彼女は肉付きのよい腰に左手を当てて、右人差し指を立てると前後に振り始めた。

「ヴァディーチリ、貴方の女好きは相当のものだと解っていたけど、とうとうあちら側に行くとは思ってもいなかったわ」

「……はあ」

 マーシャは何故か俺に説教を始めたので、俺は説明するタイミングを逃してしまった。

「貴方もそろそろいい年齢(トシ)なんだから若い子に相手にされなくなるのも当たり前でしょう。だからといってセルゲイの(ところ)に出入りするのは感心しません」

「あ、あのですね」

「片っ端から手をつけるから、信用を失くして振られるのですよ。今からでも遅くありませんから、今、付き合っている女性に手紙のひとつでも贈って謝るのです」

 駄目だ、何も聞いてくれない。

 俺は背後の三人に助けを求めようとしたが、そいつらも圧倒されたのか、其れとも事の成り行きに付いて行けないのか口を開けて馬鹿面を(さら)している。

「解りましたか!」

「はい」

 彼女は鷹揚(おうよう)に頷くと満足したのか厨房に戻ろうと踵を返そうとした。

「いや、待って下さい」

「?」

 首を傾げる老女に俺は背後の三人を手で示した。

「あの店に用があるのは真ん中の金髪で、俺は単なる案内人なんです」

「……」

 俺の説明に、マーシャは安心したように息を吐くと目を細めて破顔する。

「あら、まあ。貴方の事だから、つい勘違いしてしまったわ。でも、ああ、安心した」

 俺なのか、俺が全部悪いのか。

「つまり何時もの仕事なのね」

「そうです」

 少女のように老婆はころころと笑うとエプロンのポケットから携帯電話を取り出した。

「はい。セルゲイの電話番号しか入っていないから」

「はあ、どうも」

 やけに簡単に渡されるなあ。審査はどうしたんだろう。

 たった一件しかない電話帳の電話番号を選択する。

 暫く呼び出し音を聞きながら待つと、六度目のコールの後で携帯電話からバリトンボイスが流れてくる。

「ウ アパラータ」

「お久しぶりです、セルゲイ。ブレードです」

「君からこの電話で連絡が来るとは予想しなかった。まさか、君が会員になるのかね」

「残念ながら、マーシャに止められております。私の客人が【(クリェームリ)】に入りたいと仲介を依頼されました」

「ほう」

 電話の向こうから僅かに驚くような気配が感じられた。

「さて、ブレード。君は私の生業を快く思っていないと受け取っていたが、違うのかね」

「……そんなことはありません」

 ただ、俺の性に合わないだけなのだ。

 俺の回答の何が可笑しかったのだろうか。携帯電話から、低い含み笑いが帰ってくる。

「さて、君の客人は私の友人ではないから、そのひととなりをよく知らない。が、君と私の付き合いも古い。君のことは信用しているよ」

「それは、有り難う御座います」

「今晩、連れて来たまえ。特別に相手を見繕(みつくろ)っておこう。君も顔も出すといい」

「……感謝します、セルゲイ」

 通話が切られると俺は額に浮いた汗を拭った。

 携帯電話をマーシャに返すと、彼女は苦笑を浮かべてそれを受け取った。

「仕事だから仕方ないわね」

「そうですね。有り難う御座いました。また近いうちに食事に寄らせて貰います」

「ええ、楽しみにしているわ。気をつけてね」

 最後にマーシャをハグする俺に、彼女が労わるように背を二度叩いてくれた。

 マーシャに背を向けて歩き出す。

 後藤と巨漢が緊張した面持ちであるのに対して、孝道の期待した視線が俺には腹立たしかった。

「どうだった」

「特別に認められたよ。今晩来いとさ」

 孝道が口笛を吹いた。

 黙れよ、お前。

「そうか」

 後藤としては複雑な気分なのだろう。

 このまま何事もなければ取引は成功して店を持ち直すことが出来る。

 しかし、何かトラブルが起これば自分では治めることが出来ないかも知れない。

「行こう。迷う時間はもう無いぞ」

「ああ、そうだな」

 俺達は足早に店を出て寿司屋の駐車場へ向かった。

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