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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第五話 運び屋の季節 1年目 秋 十一月
120/196

一章 広島からの客人(4)

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 西元町から旧居留地へは、目と鼻の先で徒歩でもそう時間は掛からない。一旦栄町通りへ出て、店のある大西明石町ビルの前で客を降ろすことにした。

 その間も金髪は苛立たしそうに革靴の爪先で床を叩いているが、さて、この後の買い物でその機嫌が直ればいいのだが。

 旧居留地と呼ばれている地域は山側と比べると車通りが少なく目的地前で停車し易い。また旧居留地の異国情緒溢れる建築物を目にすることが出来るので、俺は車両でも徒歩でも散策することがよくある。

 玄関前に207SWを横付けして後藤とお客には降りて先に店内へ入って貰う。俺は神戸大丸の立体駐車場に車を停めた後で彼等と合流するのだ。

 神戸大丸の立体駐車場「神戸大丸カーポート」内の螺旋状の通路を走り抜け乍ら空きスペースを探す。昼過ぎなので上側の階まで昇らなければ場所が開いていないのかもしれない。

 この駐車場の一台あたりに割り当てられる駐車スペースは狭く、長さ五メートル、幅一・九メートル、高さ二・一メートル迄という制限がある。よって大型のヴァンや高級セダン、アメ車などの大型スポーツカー等は駐車不可能で、それらの車は地下の元町駐車場や三宮駐車場を使う事になる。

 幸い三階で空きスペースが有り207SWを滑り込ませる。

 時間があれば駐車場内をのんびりと歩いてレアな車でも探すのだが、今日は客を待たせているのでとっとと一階まで降りていった。

 ヴァレンティノ神戸は神戸大丸カーポートと同じブロックにあり、観光案内で車を多用する俺としては大いに助かっている。またこのブロックにはロレックスやエンボリオ・アルマーニ、バリーといった男の遊び心くすぐる店が連なっているので、大丸本店で女性の買物に付き合わされて辟易としている男性が良く避難してくるのだ。

 俺も先日、エンボリオ・アルマーニで掛けもしないのにサングラスを購入してしまい、湖乃波君にソファーに正座させられて説教を食らったばかりだった。

 いや、実用性第一の道具を選んでいる俺としても、時々遊び心が必要なんだよ。

 普段のハードボイルド的な仕事を続けていると、どんどん殺伐としてくるし、それに、まあ、普段使いとして進められたアントニオ・ドゥカティの革靴には手を出さなかったからいいんじゃないかな。

 店内に入ると既に革靴の試着を始めていたのか、金髪が革のソファーに腰掛けて女性店員に靴紐を結んでもらっていた。

 しかし、当の金髪は革靴ではなく自分の前でしゃがみ込んで作業をしている女性店員の、艶のある黒髪の間から覗く項に目を奪われているのだから男ってつくづく単純なんだなと自嘲してしまう。

「どうぞ、履き心地はどうですか?」

 女性店員が立ち上がり金髪に問い掛けた。

 俺がいることに気が付いたのか、彼女の怜悧で知的な口元が僅かに笑みを浮かべる。

「おお、窮屈(きゅうくつ)さがねえな。いい靴じゃねーか」

 いい靴も何も、払いは後藤持ちなんだよな。

 後藤を横目で観察すると、後藤も俺の言いたいことを察したのか「まあ、必要経費だ」とネクタイを緩め乍ら言った。

 ご愁傷様。あの革靴は先程から後藤が気にしているブロンズのネクタイピンより値段が高いのだが。

 支払いの時、それが解った時の後藤がどんな顔をするのか、少々気の毒ではある。

 茶髪は立ち上がり靴で二、三度床を蹴って履き心地を調整すると店内をぐるりと見回した。

 視線が上下揃った桔梗の花の色をした上下のスーツで停まった時、後藤の唇から「待て、勘弁してくれよ」と呟きが漏れる。

「なあ、後藤さん」

「何でしょうか」

 俺は視線を宙へ向けて後藤から視線を逸らす。

「もうちと、サービスしてくれるといいんじゃがのぉ」

「……」

 俺の隣にさり気なく女性店員が寄って「大丈夫? あれ、それなりの値段が付けられてるわ」と耳打ちする。

「……決めるのは後藤だ」

 俺は素っ気なく答えたが、もしその分、俺への報酬が減らされた場合はどうするか、そんな怖れを抱かない訳にはいかなかった。

「……済みません」

 俺の背後でジャージ姿の巨漢が小声で詫びて来る。

「君のせいじゃないさ」

 取り敢えず、あと一〇分ほどしたら店の前に車を回して来る事にした。これ以上長居して後藤が散財するのを防いだ方が良いだろう。

「じゃあ、明日、寄らせてもらうよ」

 女性店員に挨拶して207SWを取りに行く間際、元気付ける為に後藤の肩を軽く叩いたが、後藤は僅かに前のめりになったまま姿勢を戻そうとはしなかった。


 数時間後、滅多に出入り出来ない予約のみ受付の寿司屋(すしや)で夕食を取ったのだが、新鮮な食材を提供するべく店内に備え付けられた水槽を覗き見た金髪が、張り付いた(あわび)を見て普通は寿司屋で口に出来ない冗談を口にして寿司屋の親爺の視線を険しくした。

 その寿司屋は午前、午後で四人ずつの客しか受け入れておらず、ねたも上級のものしか出ない予約の取れない店だったのだが、俺は何とか頼み込んで席を開けてもらっていたのだ。

「……」

「……」

 後藤と俺は、普段は寿司を出す合間の気風(きっぷ)の良い喋りが評判の親爺が、むっつりと黙って黙々と寿司を握っていることに冷や汗を掻きつつ、こちらも黙々と寿司を口に運ぶしかなかった。

 黄色ジャージの巨漢はその雰囲気に耐えられないのか、盛んにお茶で寿司を喉に流し込み続ける。

 そして金額は豪勢だが気分は(わび)しい夕食を終えた後、茶髪は何処で知ったのか、あるクラブの名前を口にして後藤を困惑させ、俺の顔を顰めさせた。

 そのクラブは神戸北野坂の外れにある瀟洒(しょうしゃ)な白磁の洋館の主が営んでおり、彼の眼鏡に適った者だけが会員に成ることを許される。

 そのメンバーにはこの街の裏表を代表する名士が名を連ねており、会員からの要請があれば洋館の主からある目的の人材が派遣される仕組みだ。

 俺は洋館の主からの依頼で会員を洋館に送り届ける、または逆の人材を会員に送り届ける仕事を請け負った事があり、その存在を知っていた。

「知ってるのか?」

 後藤の質問に俺は短く「ああ」とだけ答えた。

 この時、俺は「知らない」としらを切っておくべきだった。そうすれば、今回のトラブルは防げたのだから。

「クラブ(クリェームリ)はセルゲイ・セレズニョフの直轄だ」

「……」

 後藤は額に手を当てて宙を仰ぐ。

 いま、後藤は胸中で「まじかー」と年甲斐もなく叫んだに違いない。

 そりゃそうだろう。

 ロシアがソ連であった頃からこの神戸で活動しているロシア系非合法組織「聖なる泥棒」の重鎮である老人で、出来れば事を構えたくない人物のひとりだ。

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