二章 危険な受取人(5)
俺はわずかに顔を傾け、背後の少女の様子を伺った。
少女は気丈にも顔を上げて男達の話を聞いていた。おびえた様子もなく前を向いているのは、単に子供で彼らの怖さを知らないからだろうか。それとも、その小さな両手が震えながら制服のスカートの握り締めているように、じっと不安と恐怖に耐えているのだろうか。
彼女に待つ未来を無視して引き渡せば、俺は厄介払いが出来て面倒ごとから開放される。
そもそも差し押さえたとしても、彼女の叔父が戻ってきて報酬を支払ってくれることは、これまでの経緯からありえないと判断して間違いないだろう。
「さあ、その餓鬼をさっさと渡せ」
俺は赤シャツパンチの要求に、迷い込んでいた思考の森から抜け出した。
渡すべきだ。百害あって一利無し。わざわざ厄ネタを背負い込むことも無いだろう。
そうと決まれば、後はあいつ等に懸念事項を確認するだけだ。
「当然だ、俺は荷物を運んで渡すだけだからな」
俺は振り返って少女の背中に手をやり前に押しやった。何故か急に不安そうな目をして、俺を見上げてきた少女については気づかないふりをする。
「で、輸送料は着払いでいいのかな」
少女の両肩に手を置き、彼女がこれ以上前に行かないよう押し留めた。
赤シャツパンチは俺の言葉に「何だ」とつぶやき眉を寄せる。
「報酬だ。俺は此処まで荷物を運んできた以上、運び賃を受け取る権利があるんでね。ただ二人減っているから、一人分の料金で構わない。先に報酬を支払ってもらおうか」
赤シャツパンチは、俺の顔を睨みつけ激昂した。やや突き出た小太りの腹が小気味よく震えだす。
「ふざけるな。奴を探し出して払ってもらえ! 馬鹿野郎」
「俺にそんな義理は無いね。俺は運んだ以上、その荷を欲しがる奴から金を受け取り、荷を渡すだけだ。それに今回は途中で姿を眩ますって契約違反も働いているからな、ルールとして倍額となるぜ」
赤シャツパンチどころか、その他の奴らからもひしひしと怒りが伝わって来る。俺はあえてその危険を無視して言葉を繋げた。
「途中でカーチェイスもあったから危険輸送として一時間四万円。それから昨日の晩二十時から今日十時まで十四時間。これだけでも五十六万だ。それ以外にガソリン代がリッター十キロで此処まで百五十キロだから十五リッターで千八百円。合計五十六万千八百円。契約違反の倍額だから百十二万三千六百円になるな」
少女は目を丸くして携帯電話の電卓で計算を終えた俺を見た。
いきなり何を言い出したと思っているだろうが、君の叔父さんは契約書に拇印を押しているのだよ。
「まあ、いきなりだから百十二万でいい。現金払いで頼む。払えなければ荷物の引渡しは無しだ。このまま引き取らせてもらうよ」
どう見ても払いそうにない方々が、じりっと数歩前進して、俺と少女の距離をつめて来る。特に赤シャツパンチなんか掌を握ったり開いたり、かなりイラついている模様。
君等も理不尽に思ってるかもしれないが、これは俺が昔から貫き通しているルールだから、最後の仕事だからといって今回だけサービスする訳にはいかないんだ。
赤シャツパンチは俺の態度に業が湧いたのか、俺を罵り乍ら体重の乗った右フックを俺の左頬を目がけて放ってきた。
こらこら暴力はいかんよ。世界はラヴアンドピース。落ち着いて報酬について話し合いましょう。
頭をわずかに後ろにずらし、赤シャツパンチの右拳をぎりぎりで躱す。
赤シャツパンチは右手を振り貫いた勢いで引き絞った左腕を、今度は真っ直ぐ俺の顔面に突き刺すように突き出してくる。
俺はその左腕が伸びてくる前に、右手で赤シャツパンチの左手首を捕えながら、左掌を開いた状態で、手の甲を相手の猪首目掛けてスナップを効かせて打った。
「うげ」
鍛えていない喉仏を撃たれた赤シャツパンチは、一瞬、呼吸が出来なくなったのか、自由な右手を喉にあてて低く呻いた。体勢が前屈みとなりバランスを崩す。
その胸の真ん中、心臓の少し上あたりに、俺はそっと軽く右掌を押し当てる。
両膝を曲げて体重を下方へ落としながら、肩甲骨と広背筋を伸ばすようにして右掌を体当たりするように突き出した。
ぱんっと乾いた音と共に、赤シャツパンチが体をくの字に曲げて膝を折った。そのまま崩れ落ちてうつぶせに倒れこむ。
他の男達が、何が起こったのか状況を理解しようと動きを止める中、俺は少女の手を掴み背後へ押しやった。
「先に走って車の傍で待ってろ。すぐ俺も行く」
戸惑いながらも走り出した少女の姿を見て我に返ったのか、皮ジャンの金髪ロン毛が右拳を振り上げ迫ってくる。右手を背後に振りかぶった姿と、大股で走ってくる足運びから、今まで気合いと勢いで何とかしてきた素人と予想出来た。
俺は金髪ロン毛の拳が届くか届かないかぎりぎりの位置で、金髪ロン毛が右足を一歩踏み出した瞬間、その膝頭目掛けて体重を乗せた左の前蹴りを放った。
金髪ロン毛は俺に一撃食らわそうと踏み出した右足に体重をかけていたから、俺の前蹴りに関節が限界以上に延ばされ押し潰される。
自分の体重を支えられなくなった金髪ロン毛が前のめりに倒れ込もうとしたところへ、俺は前蹴りを放った左足を戻さずに踏み出し、それを軸として右足を引き付けて膝蹴りを金髪ロン毛の顔面に突き上げる。
見事に金髪ロン毛の左頬を捕えた右膝には、口腔内の前歯が割れて抜けるような感覚が伝わった。やばいな、やりすぎたか?
地面に倒れ伏して動かなくなった金髪ロン毛の惨状に、残りの奴らは警戒したのかむやみに突っ込んで来ないで、三メートルほど手前で足を止めて俺を取り囲んだ。
いや三つ揃いの眼鏡君が退屈そうに俺を眺めているのだが、何の心算か一人、ぶらりと突っ立っている。まあ、いい。このまま手出ししてこなければ俺も幾分か楽だ。
暫く残りの四人は俺の顔を睨み付けていたが、焦れてきたのか額から頭頂に掛けて包帯を巻いた男が右手をジャケットの左胸に差し込んだ。
次に出て来る時、その手に握られているのは刃物か、拳銃か。
俺はそれよりも早く右手を黒背広の左懐のポケットへ差し込み、包帯男が武器を抜き取るより早く足を踏み出して、抜き取り様に展開した折り畳みナイフの刃で包帯男の右肩に斬り付ける。
銀光が一筋、包帯男の右肩に吸い込まれると共に、包帯男の口から苦鳴が辺りに響き渡った。
尻餅をついて包帯男は右肩に手を当てる。肩口から噴き出る己の血潮に慌てたのか、尻餅を俺から距離を取ろうと後退った。
他の男達が俺へ視線を戻すのを見計らい、俺はゆっくりと凶器の刃先を見せつける様に男達に向ける。
それは一見、短剣に似た刃渡り十一センチほどの折り畳みナイフだ。
アメリカの老舗ナイフメーカーであるガーバ―社製のこのナイフは、発売当初、世界初の折り畳み式コンバット・フォールディングナイフとして売り出されたものだ。発売以降、刃やグリップの材質を変えて再販されており、デザインの元になった軍用ナイフと共にコレクションしている者も多い。
「お前等、それ以上近づくと、その顔面にこのナイフを叩き込むぞ」
俺はナイフを空中で回転させて指の間に刃を挿み込み、ナイフを見せびらかす様に高々と上げて、その姿勢のまま少しずつ後ずさった。マイケル〇ャクソンの真似をしているのではなく、もちろん逃げるためだ。
奴等が近寄ろうとすると、俺は手首を前後に振りナイフを投げるそぶりで相手の動きを止め続ける。そうこうして互いの距離が十メートル近くまで離れたとき、俺は踵を返して脱兎のごとく駆け出した。
背後で、待てこらあ、とか、逃げんじゃねー、とか罵声が聞こえるが、それを聞いて止まったら彼等が許してくれると考える程、俺は楽天的でない。
しかし、四十過ぎて全力疾走すると、とっても肺にくるよな。煙草をやめるべきか? 等と、とても馬鹿げた考えが頭をよぎる。