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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第五話 運び屋の季節 1年目 秋 十一月
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一章 広島からの客人(3)

「待たせたな、昼飯だ」

 俺は207SWの運転席に戻って、右手に持ったピタパンサンドと左手の缶コーヒーを後部座席の巨漢に突き出した。

「あの、これは?」

「気にするな、サービスだ」

 済みませんと巨漢は受け取ると、本当に腹を空かせていたらしく直ぐにピタパンのラップを解いて齧り付いた。

 車内飲食禁止なんだが、まあ、いいか。

「話し合いはもう暫く掛かりそうだ」

「そうですか。……これ、美味しいですね」

 巨漢は暫く手に持ったピタパンサンドを名残惜しそうに眺めて、最後に一口を口腔内に放り込んだ。

「ご馳走様。あの缶用のゴミ箱は?」

「……」

「何か?」

「……いや、何でもない」

 面白い奴だ。所々に育ちに良さが現われている。

「渡せ。後で捨てて来る」

「あ、済みません」

 空き缶を運転席横のカップホルダーに放り込むと、車内に沈黙が落ちる。

 俺は沈黙は嫌いで無いので、路地奥の店のドアへ注意を払ったまま背もたれに深くもたれ掛かる。

 街路樹が彩りを鮮やかにして、通りを巡る風は冷たさを増している。

 それは毎年繰り返されている風景なのだが、今年は何故か感慨深いものがあった。

 きっと、街中で足を止めて見上げる機会が増え、その行為をするときは俺だけでなくもう一人いるからだろう。

 今年の四月から俺と共に生活する羽目になった少女、湖乃波(このは)君は買い物からの帰りに足を停めて街の風景や、夕暮れ前の金色の空に見惚れていることがある。

 その時の湖乃波君は風景に対して微笑み掛けているように見えるのだ。

 貴方が、そこに居るだけで嬉しい。

 そう街に語り掛けているような彼女にとって、この街で過ごす一日一日が繰り返される事の無い貴重な日常なのだろうか。

 静かに街底で腐り果てていった俺達には見飽きた風景だが、今を力強く生きようとする少女の眼には別の風景が写っているのかもしれない。

 そんな事を考えていたからだろうか、俺は後部座席からの呟きに、つい、聞き返してしまったのだ。

「ここ、海が近いんですね」

「え?」

 訊き返されることを前提としない独り言だったらしく、巨漢は慌てたように片手を振った。

「いや、此処からは海が見えないけど、神戸は港町って聞いたものですから」

「まあ、此処から徒歩一〇分で港に出るからな」

 そこのポートタワーを越えたらすぐ港だぞ。

 ちなみに我が住宅兼事務所はポートピアランドの中ふ頭にあり、海なんて毎日見飽きている。

 夏暑いし。

 冬寒いし。

 台風は煩いし。

 倉庫街なんで海はちょっと汚いし。

「べつに俺にとっては当たり前の風景で、感動する事も無いんだが。君は海が好きなのか?」

「好きというか、海の傍で育ったので落ち着くんです」

 そうか。

 俺は今日の運びの目的地を思い出した。

「広島の三原だったか。君の所の事務所は」

「育ったのも三原なんです。ずっと地元ですよ」

 巨漢の声が弾んでいるような気がするのは俺の気のせいか。

 なぜ、裏稼業寸前の職業に身を置いているのか気になるところだ。

「三原っていうと、今の季節はカレイとアナゴか」

「太刀魚もあります。夏はマダコとスズキ、ネブト、エビ」

「夏は明石と淡路の特産と重なっているな。同じ瀬戸内だから仕方ないか。今日の商談は確か」

「カキとカレイです。マダコは明石に劣ります。明石海峡の潮流に鍛えられた蛸は身が引き締まっていますから」

「詳しいな。本業は漁師か」

「祖父までは。親爺の頃になると網本が借金で潰れてから、一気に共倒れしました」

 詳しいワケだ。

「それで、船も売った。で、借金した相手が組関係だった?」

「……はい。街には大手の工場もありますが、借金を返す為に組に入りました」

 それで組の手伝いをしているのか。

 となると、あくまであの金髪は交渉役で魚の目利きはこの巨漢がすることになるのだろう。

「君は、いま何歳(いくつ)なんだ?」

「……十九です」

「……」

 老けて見える。いや、それだけ苦労しているのか。

「正直、うちの組も弱小じゃけぇ、広島の上部からは上納金についてやねこい事言われとります。けど兄貴は広島でシノギを持ちたいって、この話には乗り気じゃありません」

「……前途多難?」

「組は地元を儲けさせたいんで、兄貴にはナシ付けて来いと。俺にはいずれはこっちで勉強して来いと」

 後藤も相手も、後が無くて商談を成功させたい。後はお互い何処まで譲歩し合えるかだろう。

 俺の観光案内で相手の機嫌を損なうと、とんでもない事に成るんだな。やれやれ、面倒な依頼を引き受けたよ。

「お互い、面倒な仕事に巻き込まれたな」

 俺の苦笑につられるように巨漢も同じように苦笑を浮かべた時、後藤の店のドアが開き、中から金髪のあんちゃんと後藤が姿を現した。

「あがにーいいんさんなや。うちでは決められへん!」

「そこを何とか出来ませんか? 今日が無理なら日を改めてでも」

「こいつはほんま、いちがいじゃけぇ」

 金髪のアンちゃんの言葉が分からず、俺は巨漢を振り返る。

「通訳頼む」

「お前は本当に頑固者だ、そう言ってます」

「ご機嫌斜めってとこか」

 俺と巨漢は二人を迎えるため207SWを降りて、俺は助手席のドアを、巨漢は後部座席の右側のドアを開けた。

 金髪は乱暴に車に乗り込むと勢いよく後部座席に座り込んだ。

 後藤はバックミラーでその様子を盗み見ると軽く息を吐いてから「次へやってくれ」と俺に指示を出した。

 慣れない交渉ごとを続けたためだろうか、眉間の皺を人差し指と中指で揉み解す。

「了解」

 俺はアクセルを踏み込み、ヴァレンティノ神戸大丸店のある旧居留地へ向けて車を走らせた。

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