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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第五話 運び屋の季節 1年目 秋 十一月
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一章 広島からの客人(2)

 俺は携帯電話を手に取り、携帯電話の電話帳を見なくとも、脳内で既に永久保存されている彼女の携帯電話番号をプッシュすると耳に当てる。

「はい」

 数度の呼び出し音の後、落ち着いた深い湖を思わせる女性の声が携帯電話の向こうから響いて来る。

「ブレードだ。あと一時間ほど後にそちらへ向かう。君に会うのが楽しみだ」

「あら、靴を買いに来る以外、寄る事も無いクセに」

「それは有能な君の仕事を邪魔したくないからだ。君が別の男性と会話するだけで俺は嫉妬(しっと)で不整脈を起こしている」

「本当かしら。不整脈は別の綺麗な女性に見惚れているからじゃないの?」

「君以外の女性ならな。君と二人だけでいると落ち着くのさ。こんな殺伐(さつばつ)とした日常でも平穏をもたらしてくれる存在がいるんだと、神に感謝してしまう」

「私はマリア様ってこと?」

「今、この瞬間にも天に召されそうだ」

 携帯電話の向こうからのくすぐったそうな含み笑いに、俺はいつも毅然と接客をしている彼女がふと見せることのある悪戯っぽい笑顔を思い出して苦笑を浮かべた。

「私がマリア様なら、お布施をはずんでほしいわね」

「足りないと天罰が下る? 君の与えてくれる試練ならいくらでも受け止めてあげたいが」

「丁度、秋の新作アクセサリーが今日、うちの店に届いたの。誰かに買われるのなら、ブレードが私にプレゼントしてくれないかしら」

「……」

 さて、今日の報酬で(まかな)える金額ならよいのだが。

「駄目かしら?」

「全く、君はマリア様じゃなく、俺を堕落させる堕天使だったか」

「今頃気付いた?」

「気付いても、気付かなくとも結果は変わらん。解ったよ。君に魂を捧げるさ」

「ありがとう、じゃ、また後で」

「ああ、しばらく待っていてくれ」

 さて、一時間後が楽しみだ。

 男は常に女に堕落させられるものだと神は知っているに決まっている。さもなければ、何故、俺はこのように女性に惑わされ続けるのか説明が付かないからだ。

「……」

 しかし、何かを忘れているように感じられるのは気のせいだろうか。

 まあいい。俺は目を閉じて運転席にもたれ掛かった。後藤達が店を出てくるまでしばしの休息だ。

「……あの」

 後部座席からの遠慮がちな声に俺はバックミラーへ視線を向けた。

 黄色のジャージ姿の巨漢が申し訳なさそうに一礼するのが目に入る。彼の声は意外と若くひょっとすると二〇代前半かも知れない。

「あの、済みません。ここら辺でコンビニはありますか」

 印象とは正反対に、申し訳なさそうな問い掛けに俺は僅かにこの巨漢へ興味を抱いた。

「コンビニって、あっちの元町商店街の中に入ればあるんだが、少し遠いぞ」

「そうですか。困ったな」

「……」

 明らかに意気消沈している相手を放っておくのも、後々トラブルの種にならないとも限らない。俺は半ば面倒に思いつつも義務で一応聞いておくこととした。

「どうした? トイレなら店のを借りればいい」

 車内に携帯トイレを常備しているが、こんな車内で使うぐらいなら商店街のどこかの店で借りるべきだろう。

「いえ、新幹線で昼食を取り損ねて。兄貴から、ほんにほーけまつよーのう、って車内で適当に食べろと言われたんで」

「……ほんにほーけまつよーのう?」

 何だ、何かの呪文か? 意味が解らん。

「あの、広島弁で鈍い奴とか、抜けている奴って意味なんです」

「……そうか」

 広島弁、恐るべし。

 俺の知っているのは「じゃけん」ぐらいか。

「勝手にそこら辺の店に入って食べるってのは、拙いか?」

「何時、兄貴が店から出てくるか解らないので、ちょっと」

 さて、どうしたものか。

 俺も車を離れる事は出来ないしな。

「……」

 仕方ないか。

「少し待ってろ」

 俺は207SWに巨漢の若者を残して、後藤の店のドアを開けた。

「済みません、まだ準備、あっ!」

 俺を開店時間前に入店した客と間違えたようで、厨房でまな板の手入れをしてた店員が慌てて頭を下げる。

「いや、済まない」

 別に気にしていないと俺は手を振って、店の奥のテーブルで商談を続けている後藤と広島からのお客の背中を眺める。

 後藤の話を聞いているのかいないのか、広島から来たあんちゃん風の青年は薄ら笑いを浮かべて首を振る。如何やら商談は難航しており、予定より長引くかもしれない。

「ちょっと小腹が空いてな。食材を借りてもいいか?」

「ああ、いいですよ。私も一区切りついたので、厨房を使ってもらっても構いませんよ」

 今日の一品だろうか、白身魚の身に薄く桂向きにした大根を巻き付けて皿に並べられていた。

秋刀魚(さんま)の大根巻のお吸い物だな。どうアレンジするんだ」

「白ワインビネガーを出汁で割って、微量のクレソンを添えようかなと。この季節の秋刀魚の甘味をキリッとしたクレソンと大根で引き締められると思うんです。大根の辛みは秋刀魚の油を吸って丁度いい感じに出来そうですから」

 それは美味そうだ。

 ん、秋刀魚の料理が出されるなら、冷蔵庫にはアレがあるか。

 俺は勝手知ったる他人の家ならぬ、勝手知ったる他人の店とばかりに店の冷蔵庫を開いて目的のものを探した。

「……あった」

 透明のタッパーに収められたそれは見た目はグロテスクで、人によっては見るだけで貧血を起こすらしいが、料理人にとっては大切な食材だ。

「なあ、品治(しなじ)君。昼食は済んだのか?」

「いえ、仕込が終わったばかりでこれからですが」

 品治君以外の他の三人のスタッフも昼食はこれかららしい。

「ご飯かパン、それとワタ、それからちょっとばかり食材を貰えるなら賄いを作るんだが、どうだ?」

「いいですよ。何を作るか興味ありますし」

「期待するなよ。時間も掛けられないんだ」

 俺は紫玉葱とブラックオリーヴ、ニンニク一片、タイムを拝借。

 最初にワタは白ワインに付けておく。

 紫玉葱とニンニクは粗みじん切り、種を抜いたブラックオリーヴは輪切りにする。

 オリーヴオイルとバターを引いたフライパンで紫玉葱、ニンニク、タイムを紫玉葱が半透明になるまで炒める。茶色く色が着くまで炒めると玉葱の味がしつこくなるので注意する事。

 炒め終るとブラックオリーヴと白ワインで一煮立ちさせる。

 その間に白ワインにつけて生臭さを消したワタを、なめろうのごとく包丁の背で叩いて細かく潰す。ワタを長時間白ワインに漬け過ぎると、ワタの脂分が流れ出すので注意しよう。

「凄いっ、包丁の残像が見える」

 俺の料理を携帯電話の動画で撮影していたスタッフが感嘆する。

 ひと煮立ちして火を止めた材料にワタを加えて、予熱のみで軽く加熱する。

「塩と黒胡椒を加えて出来上がり。パン寄こせ!」

「バケットとフォカッチャどっちにします?」

「君達の好きな方で」

「じゃあ両方ですね」

 ふっ、贅沢者。

 俺は渡されたバケットの半切りやフォカッチャの上に料理を乗せる。一人だけピタパンを持ってきたので、中には千切ったフリルレタスを一緒に入れて手渡した。

「美味っ、これ美味い。ワイン飲みたい」

 バケットを齧ったスタッフの評価は良かったようなので安心する。

「ピタパンはまだあるか?」

 スティック人参も追加しよう。

「品治君、少し気にはなるんだが」

「はい、何です」

 口腔内のフォカッチャを呑み込んだ後、品治君はナプキンで口元を拭った。

「後藤の奴、どうして広島まで取引するんだ。明石とか赤穂のルートがあったんじゃないのか」

「……在ったんですけどね。このご時世で金になりそうな美味しい仕事は兄貴分が手を出してくるんです。ひとつ、赤穂のルートを潰されましてね。このままでは冬を乗り切れないってことで広島の海産物に手を出そうとしてるんです」

「……経営が拙いってことか」

「後藤さんは裏の仕事には見切りをつけて、表の店で勝負を掛けたいんです。俺等も安定した収入が確保出来てるんで大賛成なんですけどね」

 品治君は厨房の奥で、携帯電話の動画を見乍ら談笑するスタッフを振り返った。

「後藤さんと俺以外はカタギですから、苦労は掛けさせたくないのが後藤さんの本音です」

「……なる程ね」

 店の奥で、まだ奮戦している後藤へ目を移す。

 彼奴、プライドが高いのによくやるよ。

「すみません、この余りを今日の一品に加えていいですか」

「すまん、あと一個ピタパンサンドを作らせてくれ。残りは好きにしていい」

 元気のいいそばかすの残る幼い顔のスタッフの問い掛けに、俺は貰ったピタパンに作った具材とフリルレタス、スティック人参を放り込んでラップで包んだ。

「じゃあ、御馳走様」

「後藤さんの事、お願いします」

 品治君の声に、ドアをくぐる間際に俺は片手を上げて了解の合図とした。

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