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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第四話 運び屋の季節 1年目 秋 九月
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三章 ツバメではなく人間なのだから(4)

 このまま人形を引き渡さずに踵を返して、とっとと此処からオサラバすることも出来る。むしろ依頼人の青年はそれを望むだろう。

 携帯電話で青年に連絡を取り、依頼の遂行についての判断を仰げばいい。例え依頼がキャンセルされても違約金を払うのは青年だ。俺は痛くも痒くもない。


 だが、それでいいのか。


 仮に人形を渡さなかったとしよう。

 海外の金持ちは人形を手に入れられず。

 仲介役の男は、その仲介料が手に入らない。

 俺は依頼のキャンセル料しか手に入らず、収入の大幅減。

 青年は資金不足に陥り、研究を諦めざるを得ない。


 そう、この選択肢は誰も得をしない。

 この選択肢を選んで唯一得られるのは、青年の己の信念を貫いた満足感だけだ。


 運び屋は荷を運び渡すことに徹して、それ以外の物事には干渉しない。

 俺が運び屋の役目に徹することで、この厄介ごとは解決出来る。

 仲介役の男の言葉を聞いたが、報酬さえ手に入れば男は契約を遵守した事に成り、運び屋としては全く問題無いのだ。

 青年を騙す事に間違いないが、俺が黙っていれば青年は気づかずに少なくない代金で研究を継続出来る。

 青年の青臭い信念など、大人になれば生きる為に若造の戯言(ざれごと)だったと苦笑して自ら忘れる事になるのだ。大人とはそういうものだ。

 生きる為に忘れ続けることが罪ならば、忘れずに何もかも失くす事の正当性を誰か教えてくれ。


 俺は抱えた人形の、()じないで俺を見上げる瞳を見返す。

 唯一、俺を責める権利があるのは、この魂が無く、言葉を話せず、自ら歩く事のない人形だろう。

「ベッドを貸してくれ。人形を寝かせたい」

「え、床じゃ駄目なのか?」

 俺の言葉に仲介役の男は顔を歪めて抗議するが、俺は意に介さず人形をベッドに横たえる。

「残念ながら、君よりこの人形の方が価値はある」

 人形の乱れた髪を直して俺は立ち上がった。

「報酬」

 俺が手を出すと、男は引き出しから分厚い紙袋を出して手渡す。ズシリと重い。

「勘定は信用させてもらうぞ。後、契約書にサインを」

 男に受取のサインを書かせると、引っ手繰る様にそれを受け取って背広のポケットにねじ込む。

「毎度あり」

 背を向けて三和土に下りた俺に、男が慌てて声を掛ける。

「なあ、人形はずっとベッドに置いたままにするのか?」

「金持ちが取りに来るまで床で寝ろ。傷でも付けようものなら、あんたの命が失くなるかもな」

「……」

 あながち冗談に聞こえなかったようで、男の顔が一瞬にして蒼白になった。

 ざまあみろ。床に寝るぐらい大した罰じゃないだろう。

 俺はドアノブに手を掛けて人形を肩越しに振り替える。

「……」

 俺が人形に掛ける言葉など思いつかず、人形が俺に掛ける言葉も無い。

 俺はドアを肩で押すようにして出て行き、もう振り返らなかった。


 俺は姫路SA(サービスエリア)の駐車スペースにゴルフを止める。別にトイレに寄るわけでなく、煙草を吸う為だ。

 背広の右内ポケットからバーナーライターと愛飲する煙草、ワイルドカードの箱を取り出す。箱の底を叩いて突き出た一本の尻を口で咥えると、引っ張り出してバーナーライターで火をつけた。

 口腔内に満ちるコーヒーフレーバーを味わいながら煙を吐き出す。

「ふう」

 いきなり携帯電話から呪いの黒電話の着信音が鳴り、俺は煙草を咥えたまま電話に応対する。

「ブレードだ」

「あ、狗狼(くろう)

 携帯電話の向こう側から軽い息遣いと共に、小さな澄んだ声が俺の名を読んだ。

湖乃波(このは)君か。どうした?」

「今日、帰って来るまで、まだ時間が掛かるのかな?」

 俺はハルミトンの腕時計に目を落とした。

 現在、〇時二十三分。

 この後、西神中央に寄って青年に人形の代金を渡してから家路につく。約一時間半ぐらいだろうか。

「帰りは二時を回るかもしれない。先に寝ていてくれ」

「うん。それとね、何かあったのかな?」

「何かって、何?」

「えと、ね。私のブラジャー」

 ああ、忘れていたよ。

 恥ずかしいのか、消え入りそうな声で答える湖乃波君。

「いや、うん、その件はもう、いいんだ。解決した。湖乃波君が気にすることは無い」

「本当に?」

「本当だ、信じろ」

 疑わしそうな湖乃波君の声。俺はそんなに信用無いのだろうか。

「うん、解ったけど、狗狼」

「何?」

「何かあったら、私じゃ聞く事しか出来ないけど、相談して」

「……湖乃波君に相談するような厄介ごとは抱えてないよ。保護者を信用しなさい」

「いつも信用してるよ」

 うーん、普段は小言ばかり聞いているので信用されていない気がするんだが、それは俺の気のせいだったか。

「なら、お小遣いアップをお願いします」

「却下」

 あまりの潔さに、つい笑みが漏れてしまう。携帯電話の向こう側からも小さく笑い声が響いた。

「じゃ、もうそろそろ寝ろ。朝が辛くなるぞ」

「あ、狗狼、それとね、土曜日にカテリーナが高等部の受験対策に(フランス)語を教えてくれるって。それでね、土曜日の晩はカテリーナを泊めてもいい?」

「え?」

久美(くみ)さんは了承してくれているってカテリーナが。だから、あと狗狼から許可を貰えたらOKなんだ」

「別に俺は問題無いが」

「うん、有難う。じゃあ、明日、カテリーナに伝えるね」

「ああ、じゃあ御休み」

「おやすみなさい」

 携帯電話を切って紫煙を吐く。

 全く、カテ公の奴、早速行動しやがって。

 まだ、湖乃波君やカテリーナが何処に向かおうとしているのかは解らないし、本人たちも決まっていないのだろう。

 例え躓いてもあの二人なら支え合って立ち上がりそうな気がするのだ。

 無理だよ、と弱音を吐くが諦めず足掻く事を続けるのだろう。

 俺は吸い殻入れに吸い終わったワイルドカードを放り込み、ゴルフの運転席に戻った。アクセルを踏み込む。

 今日受け取った報酬で土曜日は少し豪華な食事にしよう。付けるデザートは秋の食材から考えて三人で作るのも良い。

 そうだな、後は、一寸(ちょっと)値の張ったブランドランジェリーで、控えめな純白のものを購入しよう。

 瞳の大きな、あの店員さんにプレゼントすると、きっとびっくりするだろうな、とその光景を思い浮かべつつ、俺はゴルフのアクセルを踏み続けた。


                         

                         運び屋の季節 一年目 秋 九月 完

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