三章 ツバメではなく人間なのだから(1)
三章 ツバメではなく人間なのだから
1
第二神明道路は二十二時を過ぎてもある程度の通行量がある。
主に輸送業務のトラックで、高速料金の掛かる山陽自動車道を通らずに、無料区間の明石西ICから上り岡山方面に向かって行く。
ただ路面状態は山陽自動車道と比べると起伏が有り、時々路面整備中の凹凸に引っかかるときもある。
軽くゴルフに上下の振動が加わったのも、そんな道路事情のもたらしたものだ。
時速八十キロ程度ではモータースポーツの様な飛び跳ねた挙句の一回転など起こる筈も無く、せいぜい人形が上下に揺れた事と首が前後に揺さぶられたことだ。
俺はバックミラーから人形の様子を観察して、様子に代わりの無いことを確認した。
「ふう」
それでも多少は緊張する。
暫くは断続的に襲う上下の振動に耐えなければならない。
ゴルフの足回りは硬く、路面からの振動を伝えやすいのでタイヤを緩衝性の高いレグノに変えているが、それでも振動は伝わるものだ。
プジョー207SWだと、それまでのモデルと比較して足回りは硬いが、それでも全体で沈み込むようにして多少は衝撃を和らげてくれる。
「クッションも変えたほうがいいか」
ようやく振動地帯から脱して肩の力を緩めた。
ボスン!
「なんだーっつ!」
いきなり助手席を襲う衝撃に俺は本気で飛び上がりそうになり、慌ててバックミラーに目を移す。
頭を上下に振る人形の頭突きであり、シートベルトを限界まで伸ばして背骨を彎曲させる姿は昔の古い怪奇映画に見えない事も無い。
「何だ、本当に悪霊でも中に入ったのか?」
人形は頭突きを繰り返しており、助手席より人形の首が非常に危険じゃなかろうか。
走行中で他の者の目に振れない事は幸いだが、市街地に入るととんでもない事態に発展する。正直言って、誘拐で逃げ出そうとする被害者と勘違いされて警察に通報されかねない。
仕方ない。
俺はハザードランプと方向指示器を左に転倒させて安全帯にゴルフを停車させる。
人形は停車と同時に黙り込み、俺は何があったのかと困惑した。
「……何なんだ、全く」
携帯電話を取り出し、依頼人で製作者でもある青年へ連絡を入れる。
「はい、もしもし」
彼の茫洋とした応対も、こんな時は腹立たしいものだ。
「緊急事態だ。いきなり君の人形が、モーターヘッド並みの首振りを始めた。心当たりは無いか」
この世代に、この例えは通用するのかと思いながらも俺は状態を報告した。シャウトがあれば、もう完璧ですよ、奥さん。
ちなみに四十五度以上の激しい首振りを繰り返せば健康障害を引き起こす可能性があると、英国の医学誌「ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル」に掲載されたらしい。
しばらく沈黙する携帯の向こう側。
「……ああ、思い出しました」
「何をだ」
「時間が無かったので、背骨のパーツを流用しました」
限られた時間と資金の副産物か。
「実は筋ジストロフィーの研究で、骨格筋が委縮して使えなくなら骨をインナーフレームとして稼働出来ないか、そんな研究がありまして」
俺は研究室に入った時、上からぶら下がっていた黒光りする背骨の模型を思い出した。
「ただ、それを稼働させるバッテリーと小型モーターの限界、あと移植の際の人間の神経や血管を傷付けずに交換する、それがネックで頓挫しているのです」
筋ジストロフィー症は身体の筋組織が脆く再生が劣っていく病気で指定難病となっている。原因は遺伝子の変異箇所の発現とされており、発病時期、症状の進行度合いは患者によって異なり対処は難しい。
「多分、何かの拍子のに誤動作したのでしょう。バッテリーと内部ワイヤ、モーターはまだ生きていますから」
この人形、取扱説明書がいるぞ。
「で、どうやって黙らせればいい?」
「動力を切って下さい」
「は?」
何だそれは。そんなもの何処にある。
「本当はプログラムを書き換えたいのですが、強制的に動力をカットすれば勝手に動くことは無くなります」
俺は人形を振り返った。
「何処を弄れば良いんだ。頭の中か?」
「全然簡単ですよ。背中の肩甲骨の間にある小さい突起を下に押し下げれば良いだけです」
「……」
「上半身だけ服を脱がせればすぐ解りますから」
「……」
此処で、か? 俺は天を仰いで嘆息した。
とにかく一旦運転席から車外に出て、それから後部座席側のドアを開ける。
覚悟を決めるか。
何で人形の服を脱がすだけでこんなに緊張しなければならないのか、俺は自問自答しつつ人形に背を向けさせ、ワンピースのジッパーに指を掛けて肩甲骨の下まで引き下ろした。
人形の華奢な両肩と白い肌の目立つ背中、白いブラジャーが露わになる。
「ん?」
スイッチが見当たらない。どうやらブラジャーのホックの下にスイッチがあるのか。
ホックを人差し指で上下させると、ブラはワンピースに引っかかり背中のみ晒された。中央にヘアピン直径程度の小さい突起が見つかる。
「フロントホックじゃないのが幸いか」
と、いきなり赤い横長の光点が回転しながらゴルフの車内に飛び込み、聴き慣れたくないサイレンが俺の鼓膜を震わす。
クッションをぶんなぐりてぇ。