二章 ドールハウス(3)
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「うーむ」
俺は腕組みをして製品を見比べた。
正直、俺がこの場に居るのは酷く場違いの様な気がしないでもない。実際場違いなのだろう。
先程からレジに向こうに居る店員も俺の事が気になるのか何度も盗み見している。
そりゃそうだろう。
閉店十五分前に黒スーツに黒ネクタイのサングラス男が売り場に駆け込んできて、売り場の製品を前にして顎に手を当てて考え込んでいたら、誰でも「此奴は怪しい」と思うに違いない。
普通はこんな男は来るわけないのである。
ここは西神中央駅傍のショッピングモール内にある女性用下着売り場。
当然、それを購入しに来たのだ。
何故それが必要になったのか、その理由は数分前に遡る。
「何でしょうか」
俺の言葉に、青年は緊張したように唾を呑み込んで喉を鳴らした。
「この箱の中にある人形は、当然、平均的な人間サイズだな」
「ええ、そうですけど」
「なら、箱から出して後部座席に乗せても問題は無いな」
「まあ、運ぶ事だけ考えるなら。体重は七十二キロと見かけより重いですけど」
「そんな体重の女性は、この世にいくらでもいるさ。すまないが、問題ないなら梱包を開けさせてもらうぞ。シートベルトをして安全運転に徹すれば大丈夫だ」
「……僕はお奨めしないなぁ」
プラスチックケースの蓋を固定する金具を取り外して蓋をずらすと、アルミ製の内蓋が俺と青年の顔を写し出していた。
プラスチックケースと内蓋の隙間が狭く指が掛け難い事に苦労しつつ、アルミ製の内蓋を引き上げる。
そして中身を見た。
「……」
いや、こいつは拙いでしょう。
俺はキリキリと首を回転させて青年を睨み付ける。
青年も俺が何を言いたいかは解っているらしい。困った様に自分のこめかみを掻く。しかし、俺は口に出さずにはいられなかった。
「すっぽんぽんじゃねーか!」
後部座席にすら積めねーぞ、例え目的地に運べたとして、どうやって受取人に渡すんだ。
「だから、お奨めしないと」
肩を落とす俺。どうしようかと箱内に胎児の様に膝を抱えて横たわる人形を見下ろす。
しかし、この出来は凄まじいな。
セミロングに切り揃えられた黒髪の下にある顔立ちは、それが人工の美である為か均整が取れており、すらりとした鼻筋と、瑞々しい軽く開いた唇の桃色が生きている人間と錯覚させそうだ。
開かれた目の虹彩は黒一色では無く、複数の濃さの異なる茶色が組み合わされてそれだけで精緻な芸術といえよう。
正確な背丈は解らないが一五〇センチ代後半であろう。胸囲は80センチ在るか無いか判断は難しいところだ。
驚くべきところは肘等の関節部で、パーツとパーツを組み合わせた球状関節ではなく、どう見ても普通の人間の腕としか見えない。
「関節、凄いな」
「内部は関節部が膨れて大きくならない様に複数のベアリングで構成しています。そこを伸縮性の強いノンラテックスの樹脂と人工皮膚、人工皮膚の改良スプレーで覆いました」
しかし、こいつがコレクターの目に留まったら、こいつを巡って殺し合いでも起きかねないぞ。正直、街中に服を着せてベンチに座らせても誰も人形と気付かず、逆に良家のお嬢様然とした容貌は、スカウトマンから声を掛けられてもおかしくはない。
「……とんだフランケンシュタイン博士が居たものだ」
「はい?」
いや、何でもない。俺はそう答えてから時計を見た。
二〇時四十一分。確か西神中央駅傍の、あの大型ショッピングモールは二十一時まで営業だったはず。
「ちょっと待て、服を買って来る」
そうしてこの下着売り場に居るのだが、さて、此処で売っている下着は若干、俺の記憶の中にある下着と異なっている。
ラペルラ。
ビクトリアズ・シークレット。
シャンタルトーマス。
エージェント・プロヴォケーター。
オーバドゥ。
グースベリー。
グッチ。
……デザインそのものが違う様な気がする。
正直、俺の記憶の中にある下着は、あの人形の雰囲気に合ってない気がするのだ。
かといって、前述のランジェリーを身に付けていた女性達にはよく似合っていたので、間違いではないと思う。
「ふむ」
お、ワコールがある。サルートシリーズは在るかな? む、無いか。
さて、こうして悩んでいても時間は過ぎていくばかりだ。早く決断しなくては。
その時、俺は重要な選択を見逃していることに気が付いて、ぽん、と手を打った。
いや、居たじゃないか。雰囲気の似た清純な女性が、いや女性というにはまだまだまだ早いが。
携帯電話を取り出して、慣れ親しんだ番号をプッシュした。
すぐさま、受話器が取られて澄んだ声が響いて来る。
「はい、乾です!」
電話の応対には不慣れなのか、必要以上に堰切って応対していることに苦笑した。
「ああ、湖乃波君。少し訊きたいことがあるんだ。いいかな?」
「……ん、なに?」
「君のブラジャーってどこのメーカー」
「!」
ブツン! ツーツーツーツー。
「……」
何故、切られるのであろうか。
どこかの、電話相手からの反応を喜ぶ変態と間違われたに違いない。
首を傾げつつ、再びどうしたものかと考える。此処はひとつ専門家の意見を聞こうと、俺は売り場のレジ向こうに居る、先程から盗み見どころかレジ台下の警報ボタンに指を掛けているような女性店員に近付いた。
「失礼」
「は、はい」
ふんわりとした髪質のショートカットに黒目の大きな二十代後半らしき店員に声を掛けると、店員はびっくりしたように応対した。
怯えさせてはいけないとサングラスを外した俺は、彼女を安心させようと笑い掛ける。
「すみません。実は一緒に旅行に行く連れの者がまだ眠っておりまして、時間が無いので下着を購入しに来たのですが、こちらのブランドの下着で普段使いの出来る品はこの店に置いてあるのでしょうか」
そうして俺は前述のランジェリーブランド名を口にした。
店員は何故か、ブランド名をひとつ口にする毎に僅かに首が仰け反っていくのだ。
全て聞き終えた店員は仰け反った首を元に戻して俺をまじまじと見つめてくる。
「……随分とランジェリーブランドに詳しいのですね」
いや、脱がす時に、どうしても眼に入るじゃないか。とは口に出せない。
「少しは業界関係の人間と面識があってね。ただ、自分で買いに来たことは無い」
「でしょうね。私もそれほど詳しくありませんが、高いですよ、今挙げたブランドは。特別な日のプレゼントになるぐらいですから。この売り場には置いてませんよ」
「そうか。特別か」
「ええ、男性からのプレゼントに選ばれるぐらいですから」
「ああ、あまりそう言うのは好きじゃないんだ」
俺は理解出来ないなと拒否する様に手を振った。
「その下着選びもその女性の楽しみや好みがあるだろうから、男の好みの押し付けや願望で彼女等の権利を蔑ろにしている気がするんだ。俺はごめんだね」
まあ、そんなに高級なら、女性に連れられて「これが欲しい」と言われても手が出ない可能性もあるが。
「で、そんな主義だから、どんな下着を買えば失礼が無いか、悩んでいるんだ」
「あはは、そうですね。男の人には難しいかも知れません」
店員さんは明るい笑い声を浮かべて俺を見上げた。笑うと少し太めの眉が下がり、細められた両眼から覗く黒瞳が蛍光灯の光を反射する。
その仕草は、俺に裏表の無い娘だなと思わせるに十分なものだった。
「君の笑顔は魅力的だな」
「はい?」
「よし、君に頼もうか」
「え?」
「君の雰囲気にも似通った所もある。ひとつ助けてくれないか」
「ええ、あの、私はレジ任されているだけで、その専門じゃあないんです」
「それは気にしなくていい。多分間違いはないよ。時間も無いし」
閉店まで時間が無いのは事実だ。
「そ、そうですね。あの、サイズとかは」
「上から八〇、五七、八三。誤差プラスマイナス二センチだな」
店員さんはサイズを聞くと純白の下着が置いてある一角に足を進め、数点ひょいひょいと手に取るとレジ前まで持って来てくれる。
「セシールのブラ&ショーツセットなら純白で控えめな花柄レースも発売されているので御奨めですよ。私も普段使いしていますから」
「なるほど」
さりげなく重要な情報を本人が口にしてしまっているが、問題はないのであろうか。
彼女が選んだ商品は確かに派手でもなく、かといって安っぽさも皆無だ。
「確かに、じゃあこれを頼む」
レジで代金を渡すと、素早い手つきで下着をラッピングする店員さんに、ふと頭の中に湧いた疑問を彼女に訊く事にした。
「ところで、訊きたい事があるのだが」
「はい、何でしょうか?」
丁寧にラッピングされリボンまで掛けてくれた下着を受け取り、彼女の大きな目を見下ろした。
「君は、高級なランジェリーをプレゼントされたいと思うのか?」
「え、え、」
俺に質問に面喰いつつ。彼女顔を赤くする。
「あ、あの、私の好みに合うものなら、大人しめのモノを一着ぐらいは欲しいかなー、って思います」
「なる程」
俺はサングラス掛けて、ラッピングされた下着を軽く掲げる。
「有難う、この売り場に君の様な子がいて助かった。今度は時間があるときに伺わせてもらうよ」
「はい、お買い上げ有難うございました」
店員さんに見送られながら俺は下着売り場を後にした。
次に来たときには、彼女好みのブランドランジェリーをプレゼントして、あの大きな瞳を丸くさせたらどんなに可愛いだろうかと思い乍ら。
結局、次に寄った婦人服売り場でも売り子の如何にもブランドランジェリーに似合いそうウエーブの掛かった長髪の背の高い女性と話し込んだうえに靴選びまで付き合ってもらい、閉店から七分オーバーして出入り口を閉めようとした警備員に説教を食らってしまった。




