二章 ドールハウス(2)
「君の職業を訊いて良いか? 答えれるなら、だが」
青年は苦笑を浮かべて肩をすくめる。
「実は無職なんです。前は大学と企業の合同研究室に居たのですが、そんな機関は金を喰って時間の掛かる研究は予算が中々降りてこないんです。結局、辞めさせられちゃいました」
青年は力無く首を振る。
「あー、悪い。言い難い事を訊いてしまった」
「いいえ、いいですよ。僕も研究を披露出来て嬉しいですから」
「しかし、これだけのものを作れるって凄いな。辞めたけどスポンサーが付いてくれたんだろ」
俺の言葉に青年は再び苦笑を浮かべる。
「それも、その、実家を売っちゃいまして」
「……」
俺は青年の顔を見返した。
「つまり、辞めてから収入ゼロか」
「……はい」
ああ、何となしに合点がいったよ。つまり、だ。
「研究資金の為、全身バージョンを売ったのか。それで、俺が運ぶと」
「そうです」
俺は、つい、胸中で「俺は高いぞ」と呟いた。黒猫さんなら確実に相手先まで安く運んでくれるだろう。
まあ、届け先の都合もあるのだろう。しかし、人形を届けるのに指定時間が二十三時から二十四時と遅い時間帯だ。人目に触れたくないのか?
「で、荷物が」
「コレです」
台車に乗ったプラスチック製の箱が俺の前に持って来られる。
幅一メートル、奥行きも同じぐらい、高さは七〇センチを超える程度か。後部座席は倒さないとな。
「中身は人形か。まあ、医療用機器の方が響きは良くないか?」
台車を外に出してゴルフの側に止める。
人ひとり分の燃料消費と見積もるか、いや、それより重いかも知れない。とにかく精密機器だから安全運転にしよう。
「行先は兵庫県赤穂群、二時間もあれば安全運転でも着くか。今、二十時三十分だから、もう少し後で出発だな」
契約書に記入する俺の背中に、青年の遠慮がちな声が駆けられる。
「あの、ちょっと違うんです」
「時間変更か? 今なら間に合うが」
「いえ、人形は人形ですが、その、特別な用途で」
「……中身はサイバー〇イン社の最新型とか?」
「それなら、いいんですが」
よくねえよ! 怖いよ! そんなもの。俺は大男のフルヌードなんか見たくもないぞ、と胸中で突っ込んだ。
「荷物に対する情報は依頼主の義務だ。ハッキリ聞かせてもらおう」
俺は契約書を青年に渡すと荷の種類を記載する欄をボールペンで指し示した。
「……」
青年は欄に「人形(」と記載した後、暫く躊躇ったが続けて記入して俺に契約書を渡す。
「どれ」
俺が荷物の記載欄に目を通すと、青年がその荷物の名を読んだ。
「ええと、ダッ〇・〇イフなんです」
人形(ダッ〇・〇イフ)。そう記載してあった。
つい俺は苦笑する。
あの研究室内で見た頭部と同じレベルで全身の作られた人形。
もし、人形の好事家がこれを手に入れたなら、その出来の良さに道を踏み外そうとする輩もいるかもしれない。
いや、最初からそれが目的で制作されたか。
「安心しろ。契約した以上は必ず届ける」
俺は納得すると共に、青年に対して僅かな落胆を自覚した。
「あの、ただ、これも将来的には避けては通れない問題なんです」
青年の言葉に俺は彼へ視線を向ける。青年はそれを説明を求めているように感じたのか、言葉を選ぶように話し出す。
「生まれながらに障害を持った人、または病気や事故などで後天的に障害を持った人、彼等も人としてどうしても性欲は避けられないものです。しかし、日本人は性に対して厳格な思想の方々も多くて」
「彼らの性欲や行為を、恥として捉える人がいる」
「その通りです」
それについてはデルヘリドライバーの知人から聞いたことがある。毎月、同じ日に連絡してくる一組の母子がいることを。
五〇過ぎの年配の女性に連れられた小太りの男性は、一見普通だが視線が定まらず、何となく他の男性と反応が異なるのだと相手をした嬢が言ったそうだ。
そしてその行為の最中、ホテルの廊下で待っている母親は行為が終わって嬢が部屋から出てくると、料金を渡しながら何度も何度も嬢に謝ってくるらしい。
仕事だけど、何かやりきれないスよね。
デリヘルドライバーの知人はそう言って、困ったように笑った。
「それに、本人の抱く劣等感故に、自らそういった問題から目を逸らし続ける件もあります」
僅かに青年の表情が曇ったことに俺は気が付いた。
「届け先は、その件か?」
「そう、聞いています」
それなら俺の様な運び屋が選ばれる理由も、指定時間が遅い理由も合点がいく。
俯いた青年の表情と握り締められた両拳を見ると、この青年が一番葛藤しているのではと思ってしまう。
自分の作品を役立たせたい製作者の願い。
自分の作品が汚される事への製作者の憤り。
なら俺は、速やかに俺の役目を全うしよう。
運び屋の仕事は荷を確実に届けること。それだけだ。
俺はゴルフの後部座席を倒して荷室を広くすると、台車に乗った荷物に手を掛けた。
「じゃ、持ち上げるのを手伝ってくれないか。天地無用割れ物注意だな。あと、箱入り娘ですので、丁重に取り扱いをお願いします、だな」
「そのままですね」
俺の軽口に青年の口元が綻んだ。
よっと。
カツッン。
プラスチック製の箱とゴルフの車体が接触する音に、俺は顔を顰める。
箱の上部が一〇ミリほどラゲッジルームの上端に当たり、それ以上前に進まない様になっている。
「……」
「……」
「取り敢えず箱の底を持ち上げて斜めに差し込んでみるか」
青年と二人で底を持ち上げて、強引に押し込むが、ほんの少し進んだ程度でまた引っ掛かってしまう。。
何てことだ。
俺は運び屋にあるまじき初歩的なミスに胸中で頭を抱えた。
VW ゴルフの全高は一五〇センチ、それに対してプジョー207SWのの全高は一五三・五センチ。その差は僅かだが、当然荷室もゴルフは低い。
207SWならギリギリ積める荷物が、ゴルフならギリギリ積めないのだ。
さあ、どうする。急いで源一の所に戻り、207SWとゴルフを換えて来るか。
俺は携帯電話を取出し、急ぎ源一の整備工場の電話番号をプッシュした。
電子音が暫く響いた後、野太い男の声が携帯電話から響いて来る。
「おう、どうした」
「あ、ああ、実はな207SWなんだが……」
「大丈夫、気にするな。もう作業に取り掛かってるぜ」
何だって? まだ仕事をしてるのか。
「ATFは定着するまで暫く待った方がいいから明日の仕上げになるが、エンジンオイルとオイルエレメントを交換するついでに、エンジン内の清掃をしているところだ。この作業はロハでいいぜ」
「……」
「あと無茶な走りをしたようだな。サスの調整とアライメントもやっといてやるよ」
「! い、いや、そこまで」
「気にするな。じゃあ、明日の夕方取りに来いよ」
ブツン。
無情にも切られる携帯電話を耳に当てたまま、俺は固まっていた。
どないすべや。
俺は振り返って困り顔の青年と、再び台車の上に戻った人形の入った箱へ視線を向ける。
このままでは依頼が達成出来ない。それはあってはならない事だ。
何せ、湖乃波君の学費とか日々の生活費とか飲み屋のツケとか、今回の報酬は既に使い道が決まっているのだ。
稼げませんでしたと、玄関先で腕を組んで仁王立ちする湖乃波君を前に、靴脱ぎ台に正座してあれこれ言い訳するのは何としてでも避けねばならない。あの娘が怒ると本当に怖いのだから。
俺は宙を仰いで唸った挙句、あまり気の進まない手段を取ることに決めた。
これなら目的地まで運べるのだが、本当に気が進まないのだ。
「すまないが、別の積み方を許可して欲しいのだが」
「何でしょうか」
俺の言葉に、青年は緊張したように唾を呑み込んで喉を鳴らした。




