一章 衝撃! 猩々の潜む整備工場(1)
運び屋の季節 一年目 秋 九月
一章 衝撃! 猩々の潜む整備工場
1
九月半ばに差し掛かったとはいえ、まだ気温は三〇℃近くに上昇する日もあり、そんな日には俺は複数の人物に同一内容の質問を受ける事となる。
「あの、暑くないのですか?」
「お前、その服装、暑くないのか」
「その、車から出た途端、KILL ○ILLのテーマ曲が流れそうな服装、暑苦しいんだが」
それが毎年繰り返されているので、俺は既に答える事を放棄して無視を決め込む事としているのだ。男性に対しては。
女性に対しては、出来るだけ答える様にしている。
「貴女と会う為に、正装して来ました」
「貴女と会うと、癒されて涼しくなります」
「君の為なら灼熱地獄に落とされようとも、天国まで這い上がって行くさ」
そんな受け答えも数十年繰り返していると、時々、こんな返答も返される。
「あの、それ去年も聞きましたよ」
「……それは今年も君に対する情熱が変わらないからだよ」
去年に出会った事すら忘れている俺の背中には、冷や汗が伝わり涼しくなっているので、やはり年中黒背広は間違いではないのだ。
そんな俺を知人は女好きだと言う。
男として女性の質問や要望に出来るだけ答えるのが、この世界の理であり俺が自分自身に課したルールなだけで、別に女好きではないのだ。
その証拠にマオやフランカにはそんな言葉は一切掛けてはいない。
女好きでなくとも、美人やそう思わせる体躯に視線が引き寄せられるのは、男としてどうしようもない事だと俺は主張する。
そんなどうしようもない事を考えつつ目の前を歩く女性のスカートから伸びるすらりとした脹脛と細い足首をぼんやりと眺めながら、外より幾分か涼しく感じる三宮のセンター街を歩く俺の背中を誰かが呼び止めた。
「クロさーん」
「……」
俺の通り名である【ブレード】でも無く、名の乾 狗狼という名でもなく、クロさんと呼ぶ人物の心当たりが在り、それが苦手な人物である事に俺は疲労を覚える。
気付かなかった振りをしてそのまま歩き続けるか、それとも足を止めるか。
ある事情から後者を選ばざるを得ない俺の運命を呪いつつ振り返ると、小走りに近付いて来る少女が目に入った。
彼女は学校帰りなのか制服であるカッターシャツとチェック柄のスカート、夏用のベージュのチョッキの出で立ちで豊かな長い金髪もツインテールに纏めている。
その背後には彼女と同じ服装をした少女が二人並んで控えており、その内のセミロングの黒髪をした娘の手にはジュンク堂の紙袋が握られていた。
「クロさーん」
再び金髪の少女が俺を呼び、その右掌が軽く挙げられる。
これは、時々少女と湖乃波君が挨拶代わりにするハイタッチというやつか? 苦笑しつつ俺も左掌を上げて少女に向けた。
「ハイターッチ」
ズピシッツ!
「つっ」
何故、額にチョップを打ち込むのか? レイヴァンが落ちたらどうするんだ。
しゃがみ込む俺を見て、金髪の少女の背後にいる二人組から「と、富樫さん?」と戸惑ったような声が上がった。
「あ」
金髪の少女も、しまった、とでもいうかのように振り返る。
どうやら地が出てしまったようだ。
「あ、この人は中等部の野島さん、彼女のお父さんなの」
お父さん?
俺は聞き慣れない言葉に疑問を浮かべつつ立ち上がる。
「えっ?」
「そうなんですか?」
金髪の少女の説明に、少女達から驚愕した声が上がる。
そりゃそうだろう、俺も驚いているんだから。
俺はあくまで湖乃波君の保護者であって父親ではないぞ。
「正確には湖乃波君の父親代わりなんです」
情報を訂正する俺を、少女達は安堵するように見上げた。そうだろうな、赤の他人だから全然似てないのは当たり前だ。
「あの、乾さん。この後、少々時間を頂いてもよろしいでしょうか?」
金髪の少女の普段と違う言葉遣いに、俺は虫唾を堪えて眼前で手を振った。
「悪いが、この後用事がある。次の機会に――」
ズンッ!
「……少しなら都合できるが」
金髪の少女は背後の少女達に見えないように体の向きを入れ替えて、巧妙に人の足を踏んづけてきたのだ。
全く、何だっていうんだ。
「済みません、今日は急遽、用事が出来たので勉強会はまた次の機会に」
背後の少女達を振り返って恭しく一礼すると、金髪の少女は踵を返してセンター街をフラワーロード側へ歩き出す。
「乾さん、行きましょう」
俺は金髪の少女の後を不承不承ながら追うしかなかった。
この少女の名はカテリーナ・富樫。
ある事情から俺が面倒を見ている少女、野島 湖乃波の友人であり、彼女の通う私立校の理事である富樫 久美の娘である。
カテリーナとは以前に受けた依頼で顔を合わしていたが、俺が湖乃波君の三者面談に学校を訪れた際、富樫理事共々再会したのだ。
カテリーナは以前から湖乃波君が気になっていたらしく、人見知りな湖乃波君に話し掛け親しくなったのは喜ばしい事だが、少々困った事もある。
学校でのカテリーナはお嬢様然とした言葉遣いと態度で過ごしているが、学校から離れた彼女はとても活動的で悪戯好きということだ。
六月頃に元町で遭遇した時はタピオカ入りジェラートが美味しい店を探しているから一緒に探そうと持ち掛けてきたので断ると、「えー、パパ酷いーっ。今日は一緒に居るって言ったじゃないーっ」と俺の背中に身に覚えのない言葉を投げ掛けてきた。
ぎょっとしたように通行人の視線が俺とカテリーナに集中する。
制服を着た金髪の少女にパパと呼ばれる全然似てない男。
通行人が俺とカテリーナの関係をどのように誤解しているのか想像は容易く、俺は急いでカテリーナの手を取ってその場を離れ、結局、ジェラートを奢る羽目になってしまった。
八月には湖乃波君とカテリーナの買い物に付き合わされ、昼食に西ドイツの赤ソーセージと白ソーセージを食べることになったのだが、その際に売り子の女性、茶色に染めたショートカットに僅かに目尻の垂れた、笑うと八重歯の覗く魅力的な娘から「お嬢さんですか」と訊ねられた。
おそらく湖乃波君の事を訊かれたのだろうが、その時、俺の右側に居たカテリーナが俺の右腕を抱きかかえて「あ、恋人です」と水爆クラスの回答をしたのだ。
当時、湖乃波君もカテリーナも夏休みということもあり私服だった。湖乃波君はベージュのTシャツに水色のハーフパンツ。水色のパーカーを羽織った大人しめの服装だが、カテリーナは黒のショートタンクトップ(ギリギリ、ヘソが見えそう)にレザーのミニスカート、ショートブーツという結構過激な服装だった。
おまけにカテリーナは一七〇センチを超える長身でスタイルも出るところは出ているものだから、どう見ても彼女が高校一年生とは誰も気付くまい。
カテリーナの答えを聞いた売り子の女性の視線が、俺に対して女性全ての敵でも見るように冷たくなったことを、今でもハッキリと思い出せる。
そんな理由から、この少女に関しては何を考えているか分からず、少々苦手なのだ。
まあ、男にとって女は何時でも苦手なものかもしれないが。




