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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
番外編 夏 七月 野島湖乃波の夏休み
103/196

四章 スイート・ビター・チョコレート(6)

                       3


 食事と風呂を終えてパジャマに着替えた私は、自室で机の前に座って一枚の用紙と睨めっこをしている。

 この用紙は本来、夏休みが始まる前に担任である川田先生に提出されているもので、今だ進路に決まらない私は特別に休み明けの二学期まで提出を延期して貰っていた。

「……よし」

 意を決して用紙を手に立ち上がり、隣の事務所兼台所兼狗狼の自室へ繋がるドアを開ける。

「狗狼、ゴメン、ちょっといい?」

「ん?」

 ショットグラスを片手にソファーに腰掛け、広告の裏に黒マジックの手書きで金額と【閑古堂(かんこどう)探偵事務所】が書かれた請求書を睨み付けていた狗狼は、一息でショットグラスの中身を飲み干すと私を見上げた。

「何かな」

「うん、これについて相談があって」

 私ガラステーブルの上に「進路希望」と表記された用紙を置くと、狗狼は其れに目をやって「そんな時期か」と呟いた。

「うん、休み明けに提出しないといけないの」

 狗狼は手書きの請求書をゴミ箱へ放り込むと(!)、進路希望の用紙を手に取る。

「湖乃波君の希望は進学じゃなく就職だったな」

「うん、そのことだけど……」

 私が言い淀むと「何? 問題でもあったか?」と眉を寄せて訊いて来た。

「ええと、私、今更だけど、進学したい」

「……」

 狗狼の顔を正視出来ずに足下に視線を落とす。

 以前、狗狼に進学を勧められた時は迷惑を掛けられないと働くことを選んだのに、掌を返した様に進学を口にするのは狗狼にとって迷惑だろう。

 そもそも、狗狼の偽りの保護者である契約は来年の三月迄となっている。

 つまり彼は私の進学に関しては一切関わりが無いのだ。

「だから、その、三者面談に出て欲しいの」

「……」

 狗狼は何時もの様に何を考えているか解らない仏頂面で私を見ている。

「駄目かな」

 遠慮がちに問い掛ける私に、狗狼はやれやれと苦笑を浮かべる。

「いや、就職しようと進学しようと、契約期間中は保護者の務めを果たす心算だから遠慮しなくてもいいよ」

「う、うん。でも狗狼には関係が無いんだよ」

「仕事、仕事。契約は全うする。これは俺のルールでね」

「あ、有り難う」

 あっさりと狗狼に言われて私は拍子抜けした。てっきり何時もの口調で「俺には関係が無い」と言われたらどうしようかと思ってたから。

「そうか、進学か。でも、どうして急に進学したくなったんだ?」

「うん、やってみようかなって、思ったから。その勉強で」

「へえ、何?」

「うん、運び屋」

「何!」

 狗狼が珍しく驚愕の表情を露わにして私を見上げる。

 こういったら狗狼がびっくりするかなと思っていたけど、此処まで驚くとは思わなかった。

「冗談」

 狗狼は脱力したようにソファーの背もたれに身体を預けて宙を仰いだ。

「勘弁してくれ。寿命が縮んだ」

「ご、ゴメン」

 でも嘘じゃないよ。もし私が運び屋になるんだったら、狗狼みたいな運び屋になりたい。

 最後には人を笑顔にする。そんな運び屋になりたい。

 でも、そんな事は駄目なんだよね、狗狼。

「で、本当の理由は?」

「うん、うまく言えないけど、工藤さんや佳代さんに会って話を聞いてから、陽子さん達の活動や少年兵や紛争、それによって増え続ける難民問題について調べたの」

 図書館で関連する書籍を片っ端から読み漁った。宗教、経済、人種。様々な理由で争いが起こり少年兵や難民は増え続ける。

「私は今迄、そのことについて関心を抱いていなかったけど、陽子さんの活動を知って、それを生み出す世界の仕組みと解決策について知りたくなったんだ」

 私は狗狼に助けられた。だから誰かを助ける仕事に付きたい。

「だから高等部に上がって、もう少し勉強してみたいと思ったの」

 高等部に上がったら英語と仏語が必須で、選択で独語と中国語のどちらかが選べるから、海外の現地での仕事に就く役に立つと思う。

「ふむ、俺は別に構わんよ。君の人生だから、君が決めればいい。契約期間中は出来るだけの手助けはするよ」

 狗狼はそれから腕組みをして、何かを考える様にうーんと斜め上を見上げる。私には彼の心配事が何となく解った。

「授業料は奨学金とアルバイトで何とかするから」

「いや、前もって言われると困るんだが。俺ってそんな甲斐性無しなのか?」

「え? ええと」

「返答に迷わんで欲しいな」

 狗狼は苦笑を浮かべる。

「中等部を卒業するまでは違約金の支払いの代わりに面倒を見る。そんな契約だった」

「う、うん」

「が、困ったことに君は事務所の掃除から洗濯、食事の用意まで家事をを引き受けてくれている。正直、ハウスメイド並みの働きをしていると言っても過言ではない」

「そ、そんな事は無いよ。私は自分がやりたいか――」

 私の抗議に狗狼は右手を軽く振って言葉を止めた。

「湖乃波君がどう思っているか知らないが、俺としてはかなり助かっている。微々たるお小遣いしか渡していないのが心苦しいほどだ」

 そんなことないよ。狗狼は手が空いたときは手伝ってくれているし、料理も教えてくれたのに。

「おまけに俺は怠け者で、こうやっ一杯やって怠けてばかりいる。これは困ったものだ。本当に困ったものだ」

 解っているなら働いてほしい。

 ワザとらしく両掌を肩の高さまで上げて首をかしげる狗狼へ、私は本気で突っ込みたくなった。

「このままでは、何時まで経っても違約金の支払いは出来そうにない。そこでだ」

 狗狼は表情を引き締めて私を見上げる。彼の口から出た言葉は私の予想しない一言だった。

「契約を延長させてもらえないか」

「……え?」

「あくまで雇い主の湖乃波君が良ければ、だが。そうだな高校卒業までなら何とか払い終えられるかもしれない」

 いや、それって結局、狗狼が損する事にならないの?

 狗狼がそれに気づいていないとは考えられなかった。

「本当に、いいの、狗狼?」

「いいも、何も、俺からお願いしているんだが」

「――」

 私は決めた。狗狼の不器用な思いやりに何も気づかない振りをして乗ってみよう。

 お互い不器用で意地っ張りなのだと思う。

「仕方がないなぁ、狗狼は」

「そうだな」

 私は右手を差し出した。

「じゃあ、あわせて四年間」

「契約更新ってことで」

 狗狼の右手が私の手に重なる。

「長いのかな?」

「長いかもしれないし、短いかもしれないし、まだ三ヵ月が過ぎたばかりだ」

「……うん」

 まだ三ヵ月過ぎただけなんだ。

 本当に色々な事があって、あっという間に過ぎた密度の濃い三ヵ月だったよ。

 そして、その毎日が残り四十四ヵ月続くのだ。

 私は狗狼の右手を離す。

「じゃあ、狗狼、私、もう寝るね」

「ああ、お休み」

 私が踵を返すと狗狼は再びショットグラスにポンペイサファイアを注ぐ。まあ、今日は深酒をしても許してあげよう。

 私の部屋のドアノブに手を掛けて狗狼を振り返る。

「狗狼」

「ん」

 振り向かずに彼は返事をする。

「……ありがとう」

 それだけ言って部屋に入った。

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