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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
番外編 夏 七月 野島湖乃波の夏休み
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四章 スイート・ビター・チョコレート(3)

「……」

「……」

 工藤さんと佳代さんは、映像の途切れた車のナビの画面を見つめたまま微動だにしなかった。

「……佳代さん。これでも陽子さんの、貴方の娘さんの人生は無駄だったと言えますか?」

 狗狼からの問い掛けに、佳代さんは人差し指で涙を拭ってから静かに首を振った。

「いいえ。むしろ、良くやったと褒めるべきでしょうね。あの子と、その国の元少年兵が育てた木が実を付けて、その木を、その国を救う希望の木をその国の子供たちが自分達で育てて広げていく。あの子はその一歩を残したんですね」

「そうだね、僕はあの子が向こうで何をしていたかは知らなかったけど、今迄、全然経験の無かったカカオの栽培を手伝うのは大変だったと思う。よく頑張ったよ」

 二人の表情から何か張りつめていたモノが抜けているように見えた。

「そうね、私は陽子に生きて帰ってきて欲しかった。でもあの子の残したものから目を逸らし続けるのは母親として失格だったわ。私はあの子によく頑張ったねって、今は、そう伝えたい。日本に帰って来て日本の子供たちにそれを伝える事は叶わなかったけど、よく、貴方は頑張ったから、今はゆっくりしなさいって言って上げたい」

「いいえ、伝わってますよ」

 私の言葉に工藤さんと佳代さんは振り返って後部座席の私を見た。

「あの、私は工藤さんに会って、陽子さんの事について聞くまで、海外で発生する内戦や少年兵、それにより生み出される難民等の問題を、ニュース画面の向こう側の出来事としかとらえておらず、関心を抱いてなかったんです」

 画面の向こうの出来事は現実感が無く、日本が島国だという事もあり別の次元の出来事という錯覚を起こしていた。

 本当はそうではなく、それは何処でも起こるのだ。

 貧困、宗教、人種、疫病。その全てが内乱や暴動の要因となりうる危険をはらんでいる。他国の資源に頼る日本も無関係とは言えない。

「工藤さんと会った次の日に、私は図書館から難民問題と武装解除組織関連の本を借りました。その本を読んで、私は、それらのことを何も知らずにいた事を痛感しました。そしてその二冊の本には、無関心と見ないふりこそが、その問題の解決を遅らせている最大の原因だと書かれていました。多分、陽子さんは、それを知っているからこそ海外の子供たちを取り巻く環境について、日本の子供達に伝えようとしたと思うんです」

 話すのが苦手な私だけど、何とか私の思いを佳代さんと工藤さんに語った。陽子さんの意思は間接的だけど私に伝わった。そう教えてあげたかった。

「……あの、名前を聞いてもいいかしら」

「野島 湖乃波といいます。今年で中学三年になります」

「……そう」

 佳代さんは目を細めて微笑んだ後、運転席から身を乗り出して私の頭を両手で抱きしめる。

「ちょ、佳代さ――」

「……有難う。本当に、あの子の思いを受け取ってくれて、有難う」

 そのまま泣きじゃくる佳代さんにつられて私も泣きそうになる。

 仕方のない事だけど、子供達を救おうとした陽子さんと二度と会えなくなった二人を襲った悲劇が理不尽で悲しかった。

 彼女が泣き止んで皆が車の外に出ると、もうそろそろ日は傾こうとする時間だった。

「あの、有り難う御座いました」

 頭を下げる工藤さん達に狗狼は「依頼を果たしただけだ」と素っ気なく言った。

「でも、料金は」

「それは、もう、貰っている」

 そう言って狗狼は一瞬だけ、私にサングラスの奥から視線を向ける。

「奥田、湖乃波君、帰ろう」

 狗狼は用は済んだとばかりにさっさと二人に背を向けて、プジョー207SWに向かって歩き出す。

「あの、有り難う御座いました」

 私も一礼して狗狼の後を追い掛ける。別れの挨拶に「有り難う御座いました」は変かもしれないけど、その言葉が今の私の工藤さんや佳代さんに対する素直な気持ちなのだ。

 私が乗り込むとキーが捻られ、エンジンが掛かる。

 駐車場を横切り工藤さんの前を通ると、二人とも笑顔で手を振ってくれた。

「さようなら」

 聞こえないかもしれないけど別れの挨拶を口にする。

 ずっと、あの二人の笑顔が続きますように。 


 帰り道は行きとは別のルート、27号線から303号線を通り、367号線を南下して帰ることに決まった。

 夕暮れ時の赤く染まった熊川宿付近の空や山々、街の景色は一見の価値があると狗狼が言っていたので自動車道ではなくこちらを通ることにしたのだ。

 また小浜から367号線を通って京都まで南下するルートは、若狭でとれた塩漬けの(さば)が京都へ着く頃には丁度良い塩加減になっていると言われるほど鯖を中心とする海産物がこの道を通って京都へ運ばれたことから通称【鯖街道】と呼ばれている。

 303号線に入り、207SWが古めかしい木造建築の並ぶ通りへ差し掛かった時、私はその風景に目を見張った。

「……きれい」

「ほんと」

 私と奥田さんが同時に声を上げる。

 夕暮れの赤く染まった空と黄金色の日差しが降り注ぎ、時代劇で見る様な瓦屋根の商家が立ち並び、その白い壁も日差しを反射している。それらの背後に控える山々は、新緑の木々を日差しに光らせながら、その街の風景から浮かび上がらせていた。

「狗狼」

 私は助手席に差し込む夏の夕暮れ特有の黄色い日差しに目を細めながら狗狼に呼び掛ける。

「ん、何だ」

 運転中なので前を向いたまま答えた。ぶっきら棒で、彼の事を知らなければ怒っている様にも聞こえてしまう。

 私は運転席の彼のサングラスをした何時も不機嫌そうに見える横顔を見て言った。

「ありがとう」

「……」

 私一人ではどうしようもなかったと思う。狗狼が奥田さんやスピーシズ・オブ・ホープの千種さんに連絡を取ってくれたからこそ、あの元夫婦は和解出来たのだから。

「……礼を言われることは何もしていないが?」

 暫く沈黙した後に狗狼は口調を変えずに答える。

「そう? 私は嬉しかったよ」

「君の為じゃない。佳代さんが美人だったから仲良くしたかった。それだけだ」

 話題を切り上げようとするように言い切る狗狼に、後部座席から揶揄(やゆ)するような声が駆けられる。奥田さんだ。

「湖乃波君、此奴は昔からこうだから、放っておいてもいいよ」

 そう言う奥田さんも、朝早くからわざわざついて来たのはどういう事だろうか。

「お前、此処で降りるか?」

「何だと」

 奥田さんと狗狼、二人の口喧嘩を聞きながら、私は笑みを浮かべる。このどこか不器用な人達の存在が嬉しかったのだ。

「二人とも有難う。今日は楽しかったよ」

 お互いを貶しあっている二人には聞こえなかっただろうけど、私はもう一度お礼を口にした。

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