第3話「戌の日詣り(前編)」
妊娠16週!5ヶ月突入!
まさか自分の身体がこんな日を迎えるだなんて。
5ヶ月からは「妊娠中期」というカテゴリーに入ってくる。
世間一般でいう「安定期」ってやつだ。
でも、実は「安定期」という言葉は、医学的に保障された言葉でないことは、あまり知られてない。
私だってネットで見てなかったら、知らないまま過ごすことになってたかもしれない。
あくまで「5ヶ月からは流産のリスクが減って、つわりも治まってくる」から、というだけで、
「もう産まれてくるまでは何も起きませんよ」という意味ではない。
だいたい、妊娠出産なんてマジでブラックボックスなのよ。
普通に臨月まで過ごして、あとは産むだけってなっても、お腹の中で赤ちゃんが・・・ってことだってあるし、
逆にママさんのほうが・・・ってこともある。本当に最後まで何があってもおかしくないわけよ。
ていうか、私が妊娠してる時点で、ブラックボックスにも程がありすぎるでしょ。
そう、お腹に赤ちゃんがいると分かってから7週間。
その7週間前まで、私はれっきとした「男」だったのだ。どこから見ても「男」。
その私が、「神を欺いた報い」で女の身体になって、そしてお腹に赤ちゃんを宿すことになって、気がついたら
「ユウカさーーーん!」
マタ友だってできちゃった。
「ごめんね、ちょっと遅れちゃったかな?」
「ううん、全然そんなことないよ。じゃ、行こ?」
「うん!」
私を待っててくれたのは、マタ友の桜ノ宮真衣さん。
前回の健診のとき、産婦人科の待合ロビーで転びそうになった私を助けてくれた、
言ってみたら、私と赤ちゃんの命の恩人・・・私の、までは言い過ぎか。
でも、お腹の赤ちゃんの命の恩人なのは間違ってない。
助けてもらってすぐは、診察室に呼ばれていたこともあって、その場でお礼ができなかった。
「同じ産婦人科にいたってことは、いつかまた会えるだろう」と思っていたら、
たまたま雨が降ってきたおかげで、病院の入口ですぐに再会することができた。サンキュー雨雲。
それで、お礼も兼ねてお茶をご馳走させてもらったんだけど、
私もマイちゃんも同じ妊娠週数ということもあって、そこから一気に仲良くなって、
今ではLINEは毎日するし、たまにはランチも行くようになった。
で、今日は一緒に健診に行くことになってるわけ。
「今日は暑いね、マイちゃん、ちゃんと水分摂れてる?」
「もう水分摂らないとやっていけないですよー。ユウカさんは?」
「私もねー、摂ってるんだけど、飲んだ分が全部体重になってる気がしちゃって。」
「あー!分かるー!」
こんな感じで取り止めもない話をしながら、待ち合わせてた駅から病院まで歩いていった。
駅から病院までは歩いて20分くらいってところ。
ちょっと離れてるけど、病院までの途中は商店街みたいになってて、
ちょっとしたギャラリーみたいなお店とか、輸入雑貨屋さんとか、おしゃれな古着屋さんとかがある。
マイちゃんにお礼したときに行ったカフェも、ここの通りにあるお店だ。
おしゃれな古着屋さんも気になるけど、当分は無理かな。
なんて話してるうちに、病院に着いた。
3回目ともなると、もう慣れたもので、診察券のセットを受付に出して、待合ロビーで呼ばれるのを待つ。
「91番の番号札でお待ちの方、1番の診察室へお入りください。」
「あ、先に呼ばれたみたい。じゃあ行ってくるね。」
「今度は転ばないでくださいね。」
「何言ってんのよ。」
いたずらっ子みたいな顔をしたマイちゃんにそう言われながら、私は診察室に入った。
今日は転ばないで歩き出せた。やーい!
健診の結果はこれといって可もなく不可もなく。
私が診察を受けている間にマイちゃんも呼ばれたみたいで、
終わってロビーで待ってると、5分くらいしてからマイちゃんも出てきた。
「ユウカさんユウカさん。今日って、超音波ありました?」
「もちろん!マイちゃんもでしょ?」
「うん!」
病院を出て、カフェでお茶をしているときの私たちの話題は、それで持ち切りになった。
そう、私たちは今週から妊娠16週。
今回からの超音波検査は、お腹の上に機械を当てるタイプに変わった。
最初のがどういう風だったかは、各自調べてください。言えるか、恥ずかしくて。
「本当に・・・私たちのお腹の中に赤ちゃんがいるんだね・・・」
「ホント・・・素敵なことですよね、ユウカさん。」
素敵なこと。
言われるまでもない。本当に素敵なことだ。
素敵なことだけど私にとっては、これ以上の衝撃なんてあるのか、って感じだ。
見る人によっては、それを「奇跡」だとか言うんだろうけど、
実際にその目に遭っている私からしたら、衝撃でしかないし、ぶっちゃけて言えば「悲劇」だ。
もちろん、私の身に起こったことなんて、マイちゃんは知るはずもない。別に話すようなことじゃないし。
そういう意味では、マイちゃんとお友達になれたことのほうが、私には「素敵なこと」だ。
「・・・で、ユウカさん、どうします?」
「えっ。あぁ、ごめん。ちょっとボーっとしちゃってたみたい。」
「大丈夫ですか?でも、私も妊娠してからボーっとしちゃうことが増えたので、仕方ないですよね。」
「ごめんね。で、何の話だっけ?」
「戌の日詣り、どうしましょうね?って話ですよ。」
「戌の日詣り」!
古くから、妊娠5ヶ月に入って最初の「戌の日」に腹帯を巻くと安産になる、という言い伝えがある。
犬は一度の妊娠でたくさん子供を産む割に、すごい安産をする。
その犬にあやかってのことだけど、「戌の日詣り」はその日に合わせて行く安産祈願のことだ。
そうだった。私たちはめでたく妊娠5ヶ月に入ったんだった。
マイちゃんと仲良くなってからずっと、この話はしてきてた。
そしてとうとう、実際に「戌の日詣り」をする日が近付いてきていた。
「そうね、やっぱりこの辺なら、ここのお寺がいいんじゃないかな?」
「やっぱりそこですよね!ネット見てても、この辺の人はみんなそこに行ってるみたいだし!」
私とマイちゃんが住んでるこの街から、電車で少し乗っていったところに、
妊婦さんにご利益があることで有名なお寺があった。
元々神社やお寺を巡る趣味があった私も、男だったころにそこには行ったことがある。
その日は戌の日じゃなかったけど、話を聞いてお参りに来た妊婦さんがちらほらいたのを覚えている。
だったら、私たちも行くならそこじゃない?と前から話してはいたけど、これで完全に決まった形だ。
「ちょっとしたおでかけになるね。」
「そうですね!ちゃんと準備していかないと!」
今日が月曜日で、戌の日は来週の木曜日。
「戌の日は混みますので、事前にご予約いただくとスムーズにご祈祷できます。」と、お寺のホームページに案内があったので、
その場でホームページから安産祈願の予約を入れた。すると、5分くらいで返事が来て、時間が決まった。これで大丈夫だ。
「11時からのでやってもらえるみたいね。予約完了・・・っと。」
「ユウカさん、ありがと!」
「時間が時間だし、終わったらランチでも行かない?あと、よかったらお買い物も。」
「いいですね!行きましょう行きましょう!」
そう、買い物もする必要が出てきた。
元々妊婦女装をしていたから、ある程度は揃えていたとはいっても、
実際に妊娠してみると、持ってるものでは間に合わなくなってきたのだ。
16週ともなると、結構お腹の下のほうがぽっこりと出始めて、分かる人には分かるようになってくる。
それまではなんとか普通の服も着られてはいたけど、これからはどんどん苦しくなる。
妊婦女装だったころは、揃えていたマタニティも、着回しでなんとかなっていた。
でも、こうして結構な頻度で会うお友達ができたとなると、いつも同じ服ってわけにもいかない。
それに何より・・・下着も間に合わなくなってきた。
ちょっとしたことで、その・・・出ちゃうようになってきちゃって。
妊娠するとよくあることらしいけど、私の場合はちょっと早めに出始めたみたい。
この先お腹が大きくなってくると、赤ちゃんで押されて、余計にちょっとしたことで出やすくなるらしい。
だから、それを対策するものも世の中には売っている。
話には聞いていたけど、まさかここまでとは思ってなかったから、どうしても買わなきゃいけない。
「じゃあ、来週の木曜日、9時半くらいに駅で待ち合わせかな?大丈夫そう?」
「大丈夫ですよ!最寄りの駅までここからだと30分くらいかかりますもんね。」
「そうね。それに、ちょっと余裕見ておいたほうがいいし。」
「完璧なプラン!助かります!」
「当たり前でしょ、せっかくのおでかけなんだから。そろそろ出ましょうか。」
「ですね!」
・・・よくよく考えてみたけど、私って、「安産祈願」って行っても大丈夫なのか?
神社とかお寺って、被ると神様仏様が喧嘩しちゃって、お参りのご利益がなくなるって聞くし。
それよりも何よりも、私のお腹にいるのは、曲がりなりにも「神の子」だ。
私が妊娠したこと自体が「お参りのご利益」みたいなもんなんだけど、マジで大丈夫?
と思って、改めて戌の日詣りに行くお寺のホームページを見直してみた。
「妊婦さんにご利益がある」というのは有名だから知っていたけど、どんな神様仏様が祀られているのか、そこまでは見てない。
こういうホームページには必ず「祭神」とか「本尊」とか書かれたところがある。
そこには「訶梨帝母」と書いてあった。「かりていも」と読むらしい。
訶梨帝母・・・かりていも・・・
んー、どっかで聞いた気があるようなないような・・・そういうときはネットだ。文明の力だ。
文字がややこしいからコピぺして・・・検索、っと。
・・・あぁ、これ、行っても大丈夫なやつだったわ。ていうか大丈夫も何もないわ。
検索して分かったのは、「訶梨帝母」はサンスクリット語に漢字を当てたものだ、ということ。
サンスクリット語では「ハーリティー」、日本で知られている名前は「鬼子母神」。
みんなもうご存知の通り、私をこうした張本人。私のお腹にいる赤ちゃんの「パパ」だ。いや、女神だから「ママ」になるのか?となると、私が「パパ」?
でも、実際に妊娠してるのは私で、てことは私が「ママ」で・・・いいや、これ以上はやめよう。絶対に終わらない。
とにもかくにも、行っても大丈夫だ。なんなら、順調に育ってるのを見せられるから、お互いにハッピーだ。
どっかで覚えがあるようなないような、で、お互いにハッピー、といえば、もう一つ引っ掛かってることがある。
これは正直どうでもいいことなんだけど、マイちゃんの顔って、元々タイプではあるんだけど、
どっかで見たことがあるような気もするんだよね。まぁ、「他人の空似」っていうし、気にしてもアレだけど。
マイちゃんとお友達になれて、こうして一緒に戌の日詣りに行くことになれただけでハッピーだから。
そうこうしているうちに、約束の木曜日がやってきた。
お天気もいいし、だんだん暑くなってくる季節だから日傘もちゃんと用意して、上も「下」も対策はバッチリ。
そう、「下」の対策もバッチリにしましたよ。
先週マイちゃんと別れたあと、急いで駅前のドラッグストアに駆け込んで、「尿漏れパッド」を買いました。
といっても、ドラッグストアにあったのは「介護用」のやつだけだったから、
ちゃんと「マタニティ用」ってなってるやつは、今日のお参りが終わったあとのお買い物で買うつもり。つもり、っていうか、買う。
9時半くらいに駅集合、って言ってあったから、それに合わせて向かったら、駅前広場のベンチにマイちゃんが座って待ってた。
縦にフリルのようなラインテープが入った白いロングワンピースが、木陰から射し込む太陽の光と溶け込んで。
あー、女神ってこんなところにいたんだな。めっちゃかわいい。
「ねぇ、カノジョ。一緒にお茶でもしない?」
「あっ、ユウカさん!何言ってるんですか、もう!」
えっ?私、なんか言ってた?
あぁ、ごめん。抑え切れなかった感情が出ちゃってたみたい。
ホント、男だったころに会っていたかったよ。今から10週間戻れねぇかな。
「ごめんごめん、冗談よ。それじゃ、行きましょうか。」
「よろしくね!」
私たちは電車に乗った。
これから行くお寺の最寄駅はちょうど終点駅になっていて、この電車もそこへ行くやつだ。
通勤ラッシュは終わってるし、だとしても通勤路線ではないから、そこまで混んでない。
私とマイちゃんは空いてた座席に座ることができた。横に座席が長いやつ。
周りを見てみると、私たちもそうだけど、持ってるカバンにマタニティマークをつけてる女性がちらほらいる。
この人たちも私たちと同じで、戌の日詣りに行くんだろう。
旦那さんと一緒だったり、ベビーカーを押していたり、みんな幸せそう。
途中の駅で降りていく人もいた。
だいたいそういうのはお腹の大きい人で、恐らくその近くにあるショッピングモールへ行くんだろう。お買い物かな?お散歩かな?
ちなみにそのショッピングモールは、あとで私たちも行こうと思ってるところだ。
乗ってる車両の中がまばらになるころ、終点に着いた。10時を少し回ったところ。
お寺まではここから歩いて5分くらいだけど、境内までが参道になっていて、いろんなお店がある。
こういうお店をふらふら見ながら歩いていったら、10時半を回ったくらいで境内に入った。ちょうどいいタイミング。
受付に行って、安産祈願を受けることを伝えた。
予約はしてあったから、話は早かった。
「このたびはご懐妊、おめでとうございます。
また、当院にて安産ご祈祷を受けられますことをお祝いいたします。きっと訶梨帝母様のお導きで、ご加護もあることでしょう。」
そりゃないわけないよね。お導きもご加護も。
「ご祈祷に先立ちまして、こちらより授与品をお渡しさせていただきます。」
そう言われて受け取ったのは、お守りや祈願石といった一式。もちろん「安産祈願」のものだ。
「あと、腹帯がございますが、腹帯はご祈祷の際に訶梨帝母様に捧げましてからのお渡しとなります。
ご祈祷が終わりました際に住職よりお渡ししますので、そちらよりお受け取りください。」
「はい、ありがとうございます!」
「それでは、お上がりになられて、奥へお進みください。」
受付のお姉さんにすすめられて拝殿へ上がり、奥へと進む。
「あぁ、ここでご祈祷をするんだな」というところにはパイプ椅子が置かれていた。
やはり妊婦さんには正座はきついかもしれない、という配慮だろうか。
だけど、パイプ椅子は二脚しかない。
え?マジ?戌の日だよ?私とマイちゃんの2人だけでご祈祷してもらっちゃっていいの?
「ここで合ってるみたいですよ、「おかけになってお待ちください」って。」
マイちゃんがそう言う通り、柱に貼り紙がしてあって、
「ご祈祷の方は、椅子におかけになってお待ちください」と書いてあった。
あぁ、じゃあ、11時のご祈祷は、マジで私とマイちゃんだけなんだ。
「そうみたいね。じゃあ、椅子に座って待ってましょうか。」
私たちは用意されたパイプ椅子に座って、住職さんが来るのを待った。
・・・やっぱり、あの「女神様」は、私がここに来るのを待ってたみたいだ。
<後編に続く>