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第1話「私の決意」

私の名前は「ユウカ」。

女みたいな名前だけど、こう見えてもれっきとした男。

あまり人に言えないけど、女装が趣味。

中でも、お腹に詰め物をして、マタニティウェアを着て、妊婦さんになる「妊婦女装」が一番の趣味。


その日も、一日が終わって家に帰ってきて、いつも通り妊婦さんに変身した夜のこと。

ふと思い立って、久しぶりに外へ出てみることにした。

ちょっと自慢するわけじゃないけど、こう見えても見た目はかなりいいほう。

だから、普通に女装して外出することはあったけど、

大きなお腹でいるのはさすがに恥ずかしさがあって、妊婦女装して外に出るのは夜ばかりにしてた。

ここ最近は天気が悪かったり、一人暮らしなのをいいことに家の中で満足しちゃったりで、なかなか外には出てなかったけど、

その夜は本当に思い立ったかのように外に出てみることにした。


そう、まるで『何かに導かれる』かのように。


妊婦女装って、思った以上に厚着をしないといけないものだということは、多分本当に知られていない。

お腹に詰め物をして、その詰め物を支えるためにボディスーツを着て、

形を整えるためにマタニティサポーターやガードルを履いて、

さらにそこに下着類を着て、その上からようやくウェアを着る。

これだけ着込むと、夏場なんて暑すぎてとてもじゃないけど外には出られないし、

かといって冬場でもさすがに恥ずかしいので、人通りの少ない夜にしか出なくなったのは、当然かもしれない。

いや、妊婦女装なんてしてる時点で、当然ではないか。


外を出歩くといっても、何かあってもすぐ家に戻れるよう、あまり遠くまでは行かない。

せいぜい普段歩く路地をふらふらするくらい。

そんな中、普段歩いてるはずなのに、今まで印象になかったものに気付いた。


「アレ?こんなところに神社なんてあったんだ?」


本当に今まで気付いてなかった。

いや、「気付かされてなかった」のかもしれない。今となってはそんなことはどうだっていい。

とにかく、そこに神社があったのだ。そして私は鳥居をくぐった。


特にこれといって変わったところはなくて、本当によくある神社だった。

手水をするところがあって、絵馬を掛けるところがあって、社務所があって、そして本殿がある。

本当によくある神社だった。多分よくある神社すぎて、存在に気付いてなかったのかもしれない。


こういうのも何かの縁だし、お参りくらいはしていこう。

お参りするのであれば、当然お祈りすることは決まっている。

せっかくこの格好で来たんだから、もちろん安産祈願だ。


私は単に性癖だけで妊婦女装をしているわけではなかった。

気が付いたころから自分の心の中には、はっきりとした妊娠願望があった。

好きな人の赤ちゃんをこのお腹に育んで、産んで、育てる。

そうやって幸せを噛み締めたいという願望があった。


だけど、私は「男」だ。

恋愛感情だって、別に男性が好きというわけではなくて、普通に女性が好きだ。いわゆる「ノンケ」ってやつだ。

この身体でいる以上、その思いが叶うことはありえない。

せめて姿だけでも真似て、気持ちを味わってみようと、妊婦女装を始めたのだ。


だから、「安産祈願」をした、といっても、それは「私の」ではない。

世の中の、本物の妊婦さんたちへの祈りだ。

とはいえ、ついでに私のお願い事もしておいた。どうせ叶うことはないのだから。


『叶うのであれば、私のこの身体にも、赤ちゃんをお授けください』


その夜は久々の散歩を楽しんだ余韻と、明日は土曜日で休みなのもあって、妊婦女装したままで眠りに就いた。


思ってみれば、その神社に気付いたのは、本当に何かに導かれていたのかもしれない。

土曜日の朝、目が覚めた。身体が重い。まぁ女装したまま寝てたんだから当然か。

トイレに行こう。寝起きだから。


・・

・・・


「は?」


ないのだ。「アレ」が。いくら女装しているからって、むしろそれがあるからこそ女装になっていた「アレ」が。


寝ている間に溜まったものを出すのも忘れて、私は慌てて洗面所の鏡を見た。

そこにいたのは、もちろん私・・・私によく似た違う誰かだった。

くっきり二重で切れ長の目、すらっと通った鼻筋にツーブロック・・・ではなくセミロングの黒髪。

そこそこに形の整った、恐らくCカップくらいの胸は、私が女装するときに使っているシリコン製の偽乳と同じくらいだろうけど、

質感は完全にシリコンとは異なる、人間の脂肪の柔らかさと皮の質感。

昨日そのままにして眠りに就いたはずのお腹が大きくない。

そして何より、鏡の中にいる「誰か」は分からないが、「私」は「私」として「ここにいる」という自覚。ということは。


「私によく似た顔をしたそいつ」は、間違いなく「私」だ。


まさか。そんなことが本当にありえるだなんて。嘘だ。夢だ。非現実だ。

神様が本当にいるのなら、と願ったことはあっても、叶ったことは一度としてなかった。

だから神様なんていないと確信したし、願っても叶わないと信じてた。今までは。


間違いない。

どう考えても、昨日の夜にお参りした神社。あそこが元凶だ。

今のこの身体なら普通の女装と大して変わらない。

とにかくもう一度行ってみよう。今すぐ行こう。私は一通りの準備をして、朝の街に出た


・・・トイレを済ませてから。


女装していることもあって、女性モノの服を持っていたのが、まさかこういう形で役に立つとは思ってなかった。

それはともかくとして、昨日散歩した路地を丁寧に歩く。


ないのだ。

いくら今まで気付いてなかったにしても、一定の規模を持った神社だったのだ。

それを、ちゃんと意識して探しているのに、一向に見つからないのだ。

間違いなくそこにあったはずなのに、そこにあったのは件の神社ではなく、工事現場のフェンスだった。


そんな馬鹿なことがあるか。

そう考えると、急に身体に寒気がしてきた。そして


「うっ、ううっ・・げほっげほっ」


唐突な吐き気にも襲われて、その場で軽くえづいてしまった。


これはあまりよくないことに巻き込まれたのかもしれない。

そう思って私はひとまず家に帰ることにした。


家に帰った私を待っていたのは、テーブルの上に置かれた一通の手紙だった。

・・・いや、「テーブルの上に置かれた一通の手紙だった」ってなんだよ。

私は間違いなく、家を出るときには鍵をかけて出たはずだぞ。さっきも鍵を開けて入ったんだし。

ベランダの扉も普段開けないから鍵がかかったままだし、誰かが入る余地はないはずだ。


本当によくないことに巻き込まれたんだ。

だとしたら、この手紙は絶対に読まないと先には進めない。

まさかこういうところで、好きでやってるホラーゲームの経験が活きるなんて思わなかった。


『この手紙を読んでいるということは、君は昨日の夜の、あの神社を探しに行ったことだろう。』


えぇ、その通りですとも。

・・・いや、怖。その通りなんだよ。


『探したって見つかるわけはない、何故ならあの神社に導いたのは私だからだ。』


えぇ・・・誰ぇ・・・


『私の名はハーリティー。君たちの国では「鬼子母神」と呼ばれているようだが。』


鬼子母神!?

安産と子育ての神様として知られている存在だ。


『この街の妊婦に福音を授けるため、私はあの地に社を構えた。

 だが、あまり信心のない者を助けるつもりもない。

 だから、気付ける者だけが導かれるように細工をしていたのだが、導かれたのが君だったのだ。』


ははぁ。


『君の願い事は確かに素晴らしかった。

 自分の身を省みず、他者の幸せを願える、その心根の清さに私も感服した。

 だが、私は気付けていなかったのだ。私は欺かれていた、ということに。』


あっ、まさか。


『私もまさか、女性と男性の見分けがつかなくなっていたとは不覚だった。

 最初は怒りに震え、あの場で君を殺してしまおうかと思った。かつて幾多の子を食い殺した、あのころのように。

 だが、最初の祈りに心根の清さを見ていたし、何より次の願い事を聞いたのがすべてだった。』


あー、はいはいはい、そういうことですか。


『ならば、願い通りにしてやろう。私はそう思ったのだ。

 君の最初の願いに、清さを見出せたのが救いだったと思うがいい。

 これは、君が願ったことでもあるし、神である私を欺いた報いと知るがいい。』


ということは、さっきえづいた、あの吐き気は。


『君はこれから女性として生きるのだ。

 それもただ女性というわけではない。君のその身体はすでに子を宿している。

 とはいえ、安心するがいい。私の加護によって悪いようにはならぬ。

 これからは神を欺くことなく、心根の清さを保って、よき母として生きていくのだ。』


「これからは女性として生きる」・・・?

いや、ちょっと待ってくれ。普段は普通に仕事してるんだし、戸籍とかそういうのってどうなってるんだ。

そう思って私は、ひとまず自分の免許証やら保険証やらマイナンバーカードやらを確認してみた。


免許証は名前こそ変わってなかったが、顔写真が今の、女性である私の顔に変わっていた。

マイナンバーカードの性別は「女」になっていた。ということは戸籍も「女性」になっていると言える。

そして保険証も性別が「女」になっていた・・・おまけに国民健康保険証に変わっていた。


なんてことだ。

国民健康保険ということは、私は職を失った、ということじゃないか。

何が「悪いようにはならぬ」だ。最悪じゃないか。


一気に気力が失せていった。

私はベッドに大の字になって広がった。もうこのまま水のようになって流れてしまいたい。

いくら本物の妊婦さんになれたからって、職がないのはどうしようもないじゃないか。

確かに、本当に妊娠して、子供を産んで、育てたい、とは願ったけど、

生活の基盤になる職がないんだったら、どうしようもないじゃないか。


ふと目をテーブル上の手紙に移すと、さっき読んでいた手紙の下に、もう一通手紙があることに気付いた。


手紙は二通だったのだ。

一夜にして職を失ったショックが大きすぎて、正直読む気はなくなっていたが、

読まないと先に進めない気がしたので、ホラーゲームの経験に沿って、気力を振り絞って読むことにした。


『追伸』


神が律儀に「追伸」なんてするものか。


『いきなり君のすべてを女性に変えた上に身籠らせた都合上、職を失う目に遭わせることとなってしまった。

 そのことに対して、相応の補償はさせていただく。』


二通目の封筒の中には、ただこれだけ書かれた手紙と一緒に、冊子のようなものと何らかの一式が入っていた。

それは、私が普段使いしている銀行の通帳とキャッシュカード、暗証番号と思しき数字が書かれた紙に、印鑑ー恐らく銀行印だろう、だった。

恐る恐る通帳を開いて、中を見てみる。そこには


「マジか・・・」


私はこれでも、世間一般から見れば割といいほうの年収を得ていた。

具体的な金額は言えないが、半年ごとのボーナスを使って、キャッシュで新車のミニが買える程度には。

もちろん、実際にはそんな大きな買い物をすることはないので、その分は貯金していたが、

それでもそれだけの収入を得ていた職を一夜で失ったのは大きすぎる。


通帳に書かれていたのは、その年収30年分くらいの金額だった。

元々ある貯金と合わせたら、35年分に近いくらいにはなりそうだ。

いくらしっかりもらえていたとはいえ、使うべきところにしか使ってなかったから、

学生時代からのバイト代での貯金と合わせても、そこそこには持ってはいたのだ。


二通目の手紙には続きがあった。


『恐らく君は今ごろ、通帳の金額を見て驚いていることだろう。

 君から職を奪った償いというわけではないが、君が授かったのは私の加護によるところで、いわば私の子だ。

 神を欺いた報いではあるが、私の子を産み育ててもらう以上、その分の補償はせねばなるまい。

 よって、君の胎にいる子が産まれ、充分に育つまでに必要な金額として用意させてもらった。

 もちろん控除済みなので安心してほしい。』


神という割には、結構所帯じみてるものだ。

とはいえ、「控除済み」というのは確かに安心する。

神が「控除」なんて言葉を使うのも、なんか変なものだが。ていうか使うな。


とはいえ、これで一気に安心した。

生活の不安がなくなった、ってのは、本当に気持ちを穏やかにしてくれる。

それと同時に、またあの感覚に襲われた。


「うっ・・・うえっ・・・」


そうだ。不安が完全になくなったわけじゃない。

今日は疲れたし、明日は日曜だ。

この感覚には、この週末悩まされることになるけど、月曜は必ず病院に行こう。どうせ仕事はないし。


「あ、そうだ。せっかくだしやってみるか。」


せっかく女性の身体になったんだし、妊娠したっていうんなら、これを試してみたって罰は当たらないだろう。

私は隣駅の駅前にあるドラッグストアに行き、例のやつを買ってきた。

そしてそのまま駅のトイレに駆け込み、早速それを使ってみた。

結果は・・・待つまでもなかった。みるみるうちに濃い線がはっきりと出てきた。


そう、私が試してみたのは「妊娠検査薬」。

よくドラマとかで妊娠が発覚するシーンで使ってる、例のやつだ。

まさか、それを、昨日の夜まで間違いなく男性だった私が経験するだなんて。


「私、本当にデキちゃったんだ。」


そうこうして週末を過ごしてやってきた月曜日。

私は意を決して、病院の門をくぐった。もちろん診察を受けるところは一つしかない。


「おめでとうございます、おめでたですよ。」


「はぁ。」


「最終月経日が分からないということで、週数が確定できないので、いったんエコーで見てみましょうか。」


最終月経日なんて分かるか。

そんなもん、今までなかったんだから。


「じゃあ、そこに乗ってもらって、下着は脱いでおいてください。」


「は、はい。」


「ちょっと冷たいですけど、ビックリしないでくださいね。」


そう言われた瞬間に感じたのは、今まで経験したことのない感覚。

確かに最初は冷やっとしたけど、最初だけでだんだん慣れてきた。


「えーっと・・・あっ、あったあった。どうですか?見えますか?ここに袋があって、その中に赤ちゃんがいますよ。」


しっかり見えてる。

エコー越しに、私のお腹の中に赤ちゃんがいるのが。お腹の中で赤ちゃんが育っているのが。


「この大きさだと、そうですね・・・妊娠9週目くらいだと思います。」


しっかり見えてるはずのエコーの画面が、だんだんぼやけてきた。


「は・・・はい、ありがとうございます・・・ううっ・・・」


本当に妊娠したんだ。

そう思うと、一気に涙が溢れてきた。

流れた涙が頬伝いに落ちていって、シーツに染みた。


診察が終わったあとのことは、はっきりと覚えてない。

看護師さんの事務的な連絡事項と、病院でやる母親教室とかマタニティヨガ教室とかの案内。

あとは「役所に行って母子手帳をもらってきてくださいね」という念押しのような確認。


気がついたら私は家に帰ってきていた。

リュックの中に母子手帳があるから、恐らく病院を出たその足で、そのまま役所に行ったんだろう。

母子手帳と一緒に、役所からもらったらしいパンフレット類と、ボールチェーンのついたキーホルダーが一つ。


間違いない、マタニティマークだ。

赤ちゃんのいるお腹を抱える妊婦さんを模した図柄に「おなかに赤ちゃんがいます」の文言が書かれた、よく見るアレだ。


手元にあるそれらを見て、私はまた泣いていた。涙が溢れて止まらない。


先週まで男だった、妊婦さんに憧れて妊婦女装していた自分が、女性になって本当に妊娠した実感。

世の中には望んでいても妊娠できない女性がたくさんいる中で、自分が妊娠してしまった申し訳なさ。

望まない妊娠をして望まない出産をして望まない育児をしている母親がいる中で、自分が妊娠した怖さ。

望んで身籠り、幸せに赤ちゃんを産んで、子育てをしているママさんたちの仲間入りができる嬉しさ。

いろんな感情がごちゃごちゃになって、自分の中でうまく混ぜられなくて、涙が溢れて止まらない。

私はリュックを強く抱き締め、部屋で膝立ちになって、ただただ静かに泣いていた。啼いていた。


窓の外は夕焼けに染まり始めていた。


産もう。

そのためにはちゃんと育てよう。

産まれてきたら、思いっきり愛して育てよう。


「神を欺いた報い」がこれなら、いくらだって私は受けてやろう。

そもそも私が妊婦女装していたのは、本当に妊娠したかったからじゃないか。

これは最初から私が望んだことなんだ。


上等だ。

神を欺いたっていうんなら、最後まで貫いてやる。

きっちりと産んで、しっかり育てる。神を欺いたっていうんなら、しっかり欺いてやる。

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