Fry me to the ……?
「アポロ(Apollo)」
ローマ神話における、太陽神の名。
「アポロ計画(Apollo program)」
人類初の有人月面着陸を成功させた宇宙飛行計画。
「こりゃぁ……だいぶ可哀想ね」
車椅子に腰掛けて、行儀悪く足で椅子を前後させながら、書類に目を通している女がひとり。
「まぁ、知らぬが仏、かしらね」
車椅子から立ち上がり、服の構造上曝け出されたお腹まわり、その背中に両手をついて上体を反らしながら、逆さの視界で庭に転がる少年を視界に収める。
「ん~~~っ、とと……さぁ、“調律”を始めるわよ」
闇に溶けていた意識が、浮かび上がる感覚。
オレの右の瞼を、何者かが指で撫でたのがわかった。
「【純粋渇望のアポロ】くん、起きて頂戴」
(【純粋渇望の、あぽろ】?)
知らない言葉だ。
しかしそれが、オレの名前である、と直感で理解した。
だから、家族に名前を呼ばれたように、自然な反応として、瞼を開いた。
「うん、右目の復元おっけー!」
また骸骨が映るのかもしれない、と、どこか構えた気持ちだったが、オレの眼前に居たのは、奇妙な女だった。
「……誰、だぅ、すか?」
その女の言う通り、失くした右目が有ることに反応する間も無くして、あまりにも近い距離にあった、その……端整な顔立ちに、当然の疑問すら詰まってしまう様相だった。それを見透かしてか、女は笑いをこぼしながら答えてくれた。
「アタシは【調律師】。アナタを迎えに来たの」
「……ちょうりつ?」
またしても聞き慣れない単語に戸惑いながら、上体を起こす。
「あー……深刻に考えるとお腹を壊すわよ」
コホン、と彼女は咳払いをした。
「ひとつ訊くわ。――アナタは、何が欲しい?」
「え?」
「いいから」
「……オレは、」
“承認”と答えるのは、違っているような気がする。
では、何が欲しかったんだろう?
「オレは、兄上たちのように、武功を讃えられたかったはずで……」
だけどそれで得られるものは、承認と称賛。そんなものは欲しいわけじゃなかったと気付けた。
「……………………。」
(いったい、なんのために……)
欲しいものは手に入らないどころか見失い、失いたくないものはオレのせいで無くなった。
光のない、曇った夜空を見上げた。答えが無いようだ。
「今はまだ、ぼんやりでも。なんなら、わかんなくたって良いよ? でも、いつか必ず、自分で見つけるのよ」
俄かに、風が吹いた。
「いつか?」
「アナタのその問への答えは、これから探すことだってできる。ていうか、今即答できなくても無理ないわ。ちょっと急ぎ過ぎたかしらね」
「……オレに、この先なんて、無いよ。全部失ったんだから」
「だからこそ、迎えに来たのよ。アナタは、またここから始める必要がある。――ツクヨミが飛び立ったみたいにね」
雲が途切れ、月が覗いた。
「ここから? オレが?」
オレは驚きながら【調律師】に顔を向けた。
「そ。まだアナタはまだ、終わってないのよ」
彼女はオレのそばに歩み寄り、少し屈んで手を差し伸べてきた。
「現実に立ち向かうための場所に、連れて行ってあげる」
月光が、辺りを照らし出す。
ツクヨミが言った言葉が、脳裏によみがえる。
『お前は現実から逃げ果せることに成功したのだ』
『これより夢となる』
(現実から逃げたから、夢になり、そして醒めてしまった)
(それなら)
オレは、差し出された手を握った。そのまま握り返されて引っ張られ、立ち上がる。
「上出来! よし、行くわよ」
そのまま池にツカツカと歩いていく。
「こういうタイプの“扉”は管理がめんどくさいのよね~」とよくわからない事をぼやきながら。
オレは引っ張られながら、後ろを振り返る。
事切れた父上、その兵達が散らばる庭を月光が照らす。
車輪が付いた空の椅子は、部屋の奥の暗がりでオレに背を向けていた。
池に飛び込んだオレと【調律師】は、白い空間へ落ちて来た。
床に激突する前に、ふわりと体が浮いて、激突はしなかった。
「うん。華麗な着地ね」
例によって体は濡れていない。
見上げれば、池の水面が宙に広がっている。いや違う、これは――
「屏風?」
オレ達の頭上に、池の絵が描かれた屏風が床と平行して浮いていた。しかし池の面は揺らめいて、水が張っている。
「おおー、こりゃ便利な! 考えてくれてるわね【アイツ】も」
彼女が屏風に手を伸ばすと、屏風は見る間にパタパタとひとりでに畳まれ、彼女の腕に収まった。【調律師】はそれを立て掛けるでもなく、ぽいっと投げ捨てるように放ってしまったが、屏風はそのままふよふよと漂って行ってしまった。
(なにがなんだか)
それを呆然と見ていたオレの背中に、何かが当たった。
振り返ると、扉がそびえていた。
急き立てられるように、取っ手に手を伸ばした――
「あーっとストップストップ!! 開けちゃダメよ!」
大声にびっくりして、手を引っ込める。
「アナタはここで決着を付けないといけないんだから」
オレのなかの、扉をくぐりたくなる本能のようなものが、その一声で和らいでいく。
「ぁあ、そう、か……」
(そうだ、オレはここで)
「そう、その調子で。いい子にして待ってるのよ」
「え? どこへ!?」
「アタシはアナタだけに構ってあげられないの、残念だけど」
一方的に言い残して、彼女は駆け足で去って行った。
「えぇ……」
あらためて、この空間を見上げる。
壁も、天井もない、白い空間に、扉が無数に点在し、漂っている。
(上の方にある扉はどうやって入るのだろうか)
そんなことを考えながら、オレはここで待たなければならないのだった。
問に決着をつけるために。
Title:ツクヨミ・ユースフル
Theme:承認要求の暴走
Type1:悲劇
Type2:怪奇譚