違う瞳
気付いたら、オレは白い砂ではなく、緑色をしているであろう草の上に寝転がっていた。仰向けになって見れば、オレを囲むように並ぶ木立の輪の先で、青色が空を埋め尽くしている。昼間であるようだ。
右目はもう痛くない。両腕も問題なく動く。そして両脚にも、血が通う感覚があった。
「五体満足、なんて、オレが口にする日が来るなんてな」
「お目覚めか? 動けるか?」ツクヨミが語り掛けてくる。
「お前はどうなったんだ?」「私は常にお前と共に在る」
草むらからゆっくり体を起こす。まだうまく立ち上がれないが、それでもしばらく脚を動かせば体に馴染んできた。
「脚が動くのってツクヨミのおかげか? ありがとう」
「礼には及ばない。役に立つ体が必要だっただけだ」
「感謝するよ。脚を治してくれて、オレに“役に立つ”っていう役割をくれて」
「まだ働いてもないのにそれを言うのか?」
「それはそうなんだけど、でも言いたかったんだ。……それで? “魂を集める”って、具体的にどうすれば?」
「ふむ、しばし待て」
ツクヨミがそう言うと、周りの草が、その先の木々が、ざわりとした。
「ふむ、此方か」体が勝手にその方向へ一歩動いた。
「よし、この先へ向かえ。林を抜けるのだ」
言われるまま、その方向へ歩いていく。少しずつ、囂々とした声が聴こえてきた。オレは、その音を聴いたことはなかった。そして林を抜けた、その先に繰り広げられていた景色は――
鎧甲冑を着込んだ骸骨達の合戦だった。
「……は?」
「見ての通りだ。この世界は、互いを殺し合うような、愚かな魑魅魍魎が蔓延る世界だ」
骸骨の鎧武者が、刀で斬り合い、槍で突き合い、矢を射かけ合い、殺し合っている。
「私は、このような魑魅魍魎どもの、怨嗟や無念、憎悪や悲嘆を吸い上げたいのだ。それこそが魂だからな」
「なんでそんなものが……」
「私は天の使いの如く、心が広いからな。世界から愚かな者どもを消し去り、負の感情を集めることが使命なのだ」
オレは戦場となっている平原の端、林から顔を覗かせていた。
「だけどそのためにはオレという肉体が必要だった」
「然り。さぁ、私の役に立ってもらおうか」
「え? なに、つまりその……戦えってことか?」
「そうだ。ここにいる魑魅魍魎どもを殺し尽くし、血を浴びるのだ」
骸骨達は此方に気付くことなく、あるかどうかさえ定かではない命を奪い合っている。
「いやいや、待ってくれ。オレは丸腰で武装もしてないんだが?」
「そのようなもの、必要がない。そうだな、試しに其処の木を折ってみろ」
ごく普通の、切り倒せば丸太になりそうな木に視線が誘導された。
「『其処の木を折ってみろ』?」
「折れるはずだ。いとも簡単に、な」
幹に右手の掌で触れ、少し力を入れて押してみる。
メリともグシャッとも取れる音とともに、右手が幹に埋まった。木が豆腐で出来ていたかのように。
「へ?」驚きのあまり、情けない声が出た。
「そう、お前はすでに剛力無双。契約の駄賃だ」
「この力で、あの骸骨達を薙ぎ倒せってか……。でもやっぱり得物はあった方が良い」
オレは右足を後ろに引いて、一気に横に振り抜いた。回し蹴りだ。
「痛ぅ……!」
なにも考えず蹴りを繰り出したせいで、オレは脛を強かに打って悶絶したが、木は一蹴のもと切断され、轟音とともに幹は大地に寝そべった。
流石に片手では扱えず、両手で抱える格好になったが、それでも得物にはなるだろう。
「それじゃあこれで……ん?」
木を構えて、あらためて戦場に向き直ると、無数の黒い眼窩もまた此方に向いていた。どうやら木を蹴り倒した時の轟音で注目を集めてしまったらしい。
「否、これは好都合だ。まとめて狩り尽くせ」
「そうだね」
端的に返事をして、オレは木を右から左へ振り抜いた。わらわらと集まっていた甲冑が、吹っ飛ぶ、木の枝葉に絡みつく、地に力なく倒れ伏す。振り抜いた勢いそのままに、オレが木を地面に叩きつけると、幾千の骨が幹に潰され砕ける音がした。
「へぇ……これは、楽しいじゃないか」
「その調子で、魑魅魍魎をすべて叩き潰せ」
目に映るすべての骸骨を割り砕いた頃、日はわずかに黄色を呈していた。
すべてを薙ぎ払うのは意外に容易く、木をそのまま振り回していたはずなのに、オレに疲労は無かった。
「よくやった」
「ありがとう。それで、ツクヨミ」
「なんだ?」
「次は何処に行けば良い?」
「そうこなくてはな」
「ほ、報告ーーーー!」
「なんだ」
「な、なにやら……ゼェッ、木をそのまま振り回す、子供が!戦場にッ!ハアッ……兵がすでに、少なからず叩き潰されております!」
「お前はなにを申しておる?」
「本当ですッ」
「……矢を射れば良かろう」
「それが……弓兵いわく、『背中に射掛け確かに命中したはずが矢が弾かれた』と」
「そんな莫迦なことがあるか!!」
「しかs」
これが私の最後の会話。
次の瞬間、左手から樹の幹が。
陣幕を破り、部下たちを磨り潰しながら。
私が立っている場所に迫ってきた。
これが私の最後の記憶。