替え玉騎士とアザレアの花
「英雄様!! 英雄様の凱旋だー!!」
色とりどりの花吹雪が舞散る街道を、銀の甲冑に見を包んだ騎士達が凱旋してゆく。その先頭で、目が覚めるような白馬に跨っているのは、黒竜を打倒した“稀代の英雄様”ハルト・ギデランその人――で、あるはず、だったのだが。
民衆の大歓声に身を震わせながら、“英雄様”はため息を飲み込んだ。
「英雄様! バンザーイッ!!」
「英雄様ぁあー! こっち見てー!」
黒竜殺しの英雄様を一目見ようと詰めかけた街の人々が、瞳を輝かせて“英雄様”に手を振ってくれる。英雄様の評判の為にも、手を振るなり笑みを浮かべるなりすべきなのだろう。しかし、どうにもする気が起きない。
何故ならここに居る英雄様は、『替え玉』であるからして。
「くそっ……ハルトのヤツ。まんまと押し付けていきやがって……ッ」
先頭に陣取るは本当の英雄様、ハルト・ギデランであるはずだった。しかし今朝、『早速嫁を迎えに行く。替え玉は腹心のカールに任せる』という置き手紙を一枚残し、姿を晦ましやがったのだ!
皆が英雄様の不在に気付いた時には開始の時間が差し迫り、もう後には引けなかった。結局手紙の指示通り、髪色と背の高さが似たカールが『替え玉』として据えられた、という訳である。
「ほんっとうに、勘弁してくれよ……」
歓声も賞賛も、“英雄様”に向けたもの。しかし、ここに居るのはしがない替え玉カール。
居た堪れない。その一言に尽きた。正直に言えば、この場から今すぐ逃げ出したい気持ちでいっぱいだ。
しかし、逃げたが最後、我らが“英雄様”の……ひいては騎士隊や王家の面子まで潰してしまうことになる。
――くそっ! ハルトが真面目に凱旋に出れば、そもそもこんな面倒なことにはならなかったのに……!!
ああ、胃が痛いったらない。
しかし、こうなったらやり切るしかない。
カールは重苦しいため息をもう一度呑み込んで、前を見据えて背筋を伸ばしたのだった。
◆◇◆
やがて、騎士一行が王城に到着し、凱旋は滞りなく終了した。替え玉業務もこれにてお終いだ。
カールは仰々しい正装を脱ぎ捨て、英雄様から今朝押し付けられ……いや、貸し与えられた勲章を外し、動きやすい平時の騎士服に素早く着替えた。正装と勲章を箱に入れ、これで後片付けはお終いだ。
「あぁああ、肩が凝った……!」
英雄様の控え用に貸し与えられた部屋を出て、大きく肩を回す。「世話係なんざ必要ない」と、英雄様ご本人が予め人払いを願ってくれたらしいが、念には念を入れておいた方がいい。このままお暇すれば、替え玉案件はバレないだろう。
箱を小脇に抱えると、カールはさっさと歩き出した。
まっすぐ伸びた豪奢な廊下は、すっかり夕暮れ色に染まっている。所々窓が空いていて、柔らかな風に乗って美味しそうな匂いがした。きっと、晩餐の料理の匂いだろう。王城の晩餐となれば、豪華で美味しい献立に違いない。まぁ、しがない替え玉部下には関係のない話だ。
大股で歩きつつ、もう一度凝り固まった肩を回す。バキボキと気持ち良く音がなり、幾らか肩が軽くなった。
「あーーしんどった。これなら黒魔狼の群れを殲滅するほうが遥かにマシだったな」
替え玉役とはいえ、カールとてこの国の騎士。半日馬に乗るくらい何でもない。しかし、ずっと人の目を気にしながら背筋を伸ばすのは流石に堪えた。何と言っても、気持ちの疲れ方が――
「…………ん?」
前方にたった柱の影で、白い物がチラついた。目を凝らして見てみると、レースのついたドレスの端っこのようだ。
――貴族のお嬢様かな。しかし、何でまたこんな所で一人でいるんだろう?
然りげ無く周囲の気配を探っても、従者らしき者はいないようだ……うむ、実に怪しい。触らぬ貴族に何とやら、ここは一つ、さっさと立ち去ることにしよう。
カールは素知らぬ顔をして、柱の前を通り過ぎた。しかし
こつ、こつ、コツコツコツ……
軽く小さな足音はなぜかカールの後ろをついてくるのだ。どうやらカールをつけているらしい。
――ああ、全く。今日は厄日だ。
カールはため息をひとつつくと、人気のなさそうな廊下で立ち止まり、徐に後ろを振り向いた。
「私めに何かご用ですか?お嬢様」
「…………っ!!」
柱の影から現れたのは、年頃にもう少しで手が届くか、というくらいの少女だった。クリーム色のドレスに、鮮やかに広がる赤毛と緑の瞳がよく映える。愛らしくも整った面立ちとドレスの質の良さから、相当高い身分のお嬢様だということが伺えた。
「あ! あのっ……わたくし……わたくしは……」
そんな美少女は、カールの服の裾を、思い切り掴んだ。
そして――
「わたくしの、何処が悪かったのでしょうか……ッ!!」
「え、えええぇえええ!?」
大きな瞳から涙を迸らせ、膝から崩れ落ちたのである。
◆◇◆
「申し訳ございません……人違いだったなんて」
「あー……いやぁ、大丈夫ですよ。ははは」
カールが手渡したハンカチをぐしょぐしょに濡らし、数分後。気が落ち着いた少女は、深々と頭を下げた。
見るからに上等なドレスを着たお嬢様は、英雄様にどうしても会いたくて忍び込んできたらしい。
しかし英雄様の控え部屋から現れたのは、替え玉のカールだったという訳だ。……全く笑えない。
「髪色も背格好も似てらっしゃいましたし、てっきり英雄様だと思いましたの」
「ははは。私はしがない補佐役です。控えの荷物持ちみたいなものですよ」
実際は荷物持ちではなく、替え玉役である。まぁ広い意味では補佐で間違いない。己にそう言い聞かせながら、カールは顔だけは穏やかに微笑んでいた。
「まぁ……! では、本日の凱旋でも英雄様のお側にいらっしゃったのですか?」
「ええ、はい。そんな所です」
お側も何も、その英雄様ご本人から替え玉を依頼され、先頭を馬で歩いていたのだが……そこがバレると大変なことになる。
それに、目の前でキラキラと目を輝かせる少女に、そんな夢のない話をする訳にはいかない。
「え、英雄様は……わたくしの事は何かおっしゃってませんでしたか?」
「へ? いえ、何も聞いておりませんが」
「そう……ですか……」
しゅん、と細い肩を落とし、少女は小さく息を吐いた。頬に残る涙の跡も相まって、申し訳無さがカールの胸を締め付ける。
――あんまり面倒事には関わりたくないんだけどなぁ。
しかし曲がりなりにも、カールは騎士だ。
涙を流す小さな淑女を放って帰るなど、出来るはずがなかった。
「よければ、私がお話を聞きますよ」
「えっ……でも……」
「泣くほどの事があったのでしょう?……生憎本人はおりませんが、話すことで気も楽になります」
「…………そう、ですね……」
「ご安心下さい。代わりですが私も騎士の端くれ、お望みであれば生涯秘密にして参ります」
少女は少し考えた後、小さく頷く。了承を得たとしてカールはその手を取り、先程出てきたばかりの控え部屋へ向かった。
そして休憩用のソファを彼女に薦め、カールは密室にならないよう、少し扉を開けておく。
向かい合わせに座れば、彼女はポツポツと話し始めた。
「さる御方が大きな功績を納め、その報奨としてわたくしとの婚約話が持ち上がりましたの。けれど、その……お会いする機会もないまま、あちらからお断りされてしまって」
――そういえば、黒竜討伐の報奨として姫君との婚約話も持ち上がっていたっけ。
『さる御方』と暈してはいるが、英雄様の控え部屋を目指していたと言う事はそれは英雄様ので間違いないだろう。
では、この美少女の正体は、英雄様のファンなどではなく……。カールのこめかみから冷や汗が流れた。しかし、少女の話は関切ったように止まらない。
「その御方に対して、特別な気持ちがあった訳ではないのです。けれど、何だか……『お前には報奨になる程の価値もない』と言われたような気がして。ただの思い込みだとは分かっているのですが、胸の奥がモヤモヤして……」
「納得できなかったんですね。それで、本人に断った経緯を聞こうと」
「…………はい」
少女――姫君は俯いたまま、小さくため息をつく。
柔らかな赤毛がさらりと溢れ、憂いを帯びた瞳に長い睫が影を落とした。その姿はまるで通り雨に濡れて萎れた花のようで、何とも言えず庇護欲が掻き立てられる。
――これは確かに、あの英雄様には難しい相手かもしれないな。
触れれば折れてしまいそうな儚げな姫君は、貴族にとってすれば素敵な相手に違いない。しかし、冒険者あがりの荒くれ者に、か弱いお姫様は荷が重すぎる。
心の中でそんな事を思いつつ、カールは口を開いた。
「その件についてですが、貴女は何も悪くないですよ」
「えっ!?」
「英雄様には既に想う相手が居たんです。その人と結婚したかったから、貴女との婚約話を断った。それだけで」
そりゃあまぁ、地位が上がり過ぎたら自由に動けなくなって面倒だとか、成年前の姫君と婚約なんて考えられないとか、お断りする理由は他にもある。
しかし一番は……本命の女が居たからだろう。
何せ、置き手紙にもハッキリと書いてあったのだ。『嫁を迎えに行く』と。
「わたくしが悪い訳では、ない……?」
「はい。今回は本当に、ただただ『縁がなかった』だけですよ」
「そう……そう、なのね」
姫君は安心したのだろう、柔らかな微笑みを浮かべた。赤い小さな花が開いたような可愛らしさだ。
「お嬢様は、笑うとさらに可愛らしいですね」
思った事がそのままカールの口をついて出るくらいには愛らしい。慌てて口を抑えた時には既に遅く、姫君の頬はあっという間に真っ赤に染め上がっていった。
「そんな、お世辞なんていりませんわ……!」
「……お世辞ではありませんよ。貴女は大変可愛らしいです。よく言われません?」
姫君は瞳を潤ませ、ふるふると小さく首を横に振る。その初心な反応がまた美少女の愛らしさに華を添えている。
あと三年、いや二年たつ頃には、きっともっと美しく、素敵な淑女になっているに違いない。
カールはそっと席を立ち、震える彼女の側に片膝をついてにっこりと笑いかけた。
「縁がなかった男のことなど、すっぱり忘れてしまいましょう。きっと近い内に、貴女に似合いの方が現れますよ」
「そう……そう、かしら……」
「だからどうか気を落とさずに、笑顔でいてください」
「――――…………っ」
震える彼女の顔を覗き込むと、もう小さな耳朶から細い首に至るまで真っ赤っ赤だ。その様子は、お湯に放り込まれた蟹の甲羅より鮮やかで眩く瑞々しい。
恥じらいを帯びたその瞳には、先程までの憂いは見当たらない。
「お心は晴れましたか?」
「…………ええ」
「従者のいらっしゃる場所までお送りします。どうぞ、お手を」
「…………ええ。あの、騎士様、貴方のお名前は……?」
「? カールと申します」
エスコートの為にカールが手を差し出せば、細くたおやかな手がそっと上に重ねられた。
「カール様……ありがとう、ございました」
窓から差し込む夕陽が、彼女の柔らかな微笑みを照らし出す。
本来は、一目会うことさえ叶わないほど高嶺に咲く花。眩いその笑顔に、しがない替え玉騎士は目を細めることしかできなかった。
こうして、カールは無事に替え玉業務を終了することに成功した。
空を見上げれば、日が暮れてもう夜になろうとしている。山際の空を染める夕陽だけが、藍色の空を赤く白く照らしていた。
その夕陽の色に赤く染まった頬を思い出し、知らずカールの口角が上がる。
「……あれが、この国の姫君か」
まだ少女ながらも上品で、奥ゆかしい。自分に自信がない様子も、恐らく生真面目な性格の現れだろう。
あのような姫を戴いて戦えるならば、存外、悪くない。
「さぁて、腹減ったな。荷物おいたら酒でも飲んで飯でも食うか!」
カールは大きく伸びをして、賑やかな街の中をゆく。凱旋の熱に浮かれた喧騒を聞きながら、彼は大股で歩いた。
――その頃、王城では。
「お母様……」
「まあ、どうしたの? アザレア。真っ赤な顔をして」
白い頬を薔薇色に染め、夢を見るように宙を見つめる姫君が、母の膝に頭を預けこんな事を言い出した。
「わたくし……恋をしてしまったかも」
「あらあら、まぁ!!」
姫君初恋の報は、王妃によってすぐ王へと伝えられ、やがて王城中を巻き込んだ大騒動へと発展することとなる。
それから、姫君の初恋の相手がカールだとバレて、騎士隊内が大わらわしたり。
王妃と王様、英雄様を含む周囲がその状況を存分に引っ掻き回されたり。
本格的に恋を自覚した姫君と、身分が違いすぎると恐縮したカールが実に三年余りに渡り、追いかけっこを繰り広げたりたりするのだが――――
それはまた別のお話である。