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心中

作者: 黒棺 衷

こうだったらどんなに救われたか。

「最近あの子見ないわ」

 と、電子メールが届いた。わざわざ私にそんなこと言ってくるか?とは感じたものの、何か嫌な予感が溢れてくる。思えば思うほど不安になる。

 嫌な汗が額を伝うのを感じた。私は店員に二千円を押し付けてドアを乱暴に開け、カフェを後にした。走っている最中、勿論肺は限界を訴え、脇腹も痛んだ。しかし、私は走るのを止められなかった。

 彼の家の前に立つと、どうにも嫌な感じがして、体が入ることを躊躇ったようだ。しかしそうも言ってはいられないと、私はノブに手をかけた。震える手でそれを捻る。鍵はかかっていなかった。

 中に入ると、嫌な匂いが立ち込めていた。私は吸い寄せられるように彼の書斎へ向かった。そう、彼が居るのはきっとそこしかない。

 ほかの扉よりも重い扉。だからといってこんなにも開かないのはきっと、私の手に力が入っていないのだろう。


 彼の書斎はとてもいい部屋だった。彼はその部屋がお気に入りなようで、その小さな部屋でよく作業をしていた。私は度々彼の家を訪れていたが、この扉が音を立てて開くと、彼はいつも作業する手を止めて私の方を振り向き、軽く笑って椅子を勧めるのだ。小さな窓から注ぐ日光が気持ちよく、私はよく彼の隣でお気に入りの難解な本を捲っていた。話は半分も頭に入らなかったが、その時間が私の至福であったのだろう。少なくとも一ヶ月前までは。


 昼間だと言うのに部屋は暗かった。というのも、彼の体が光を遮っていたのだ。彼の背後から差す光で、私は彼を天使かと錯覚した。しかしその顔は酷かった。その上四肢は力なく下がり、一ヶ月前私の隣にいた者とは全く違って見え、別人ではないかと祈った。私は彼と目を合わせられず、目線を下にやった。

 彼が外国で買ったというラグが彼の体液であろうものでひどく汚れていた。彼がいつも座っていた椅子は彼の自死に付き合わされ、足元に転がっていた。

 あまりのこの場所の変わりように、私は膝をついた。床に落ちる雫で、私は自分が涙を流しているのだと悟った。その瞬間私は悲しみを思い出し、涙がとめどなく溢れた。勿論、自分の自分勝手さに嫌になった。声を抑えようとしても上手くいかず、変な声が漏れた。

 ひとしきり泣くと涙は枯れて、私は途方に暮れてしまった。そのときふと机の上にある封筒に気づいた。それには、彼のいつもの斜めった汚い字で控えめに、『遺書』と記されていた。彼の死体を避けて机に向かい、それを開けると、その中には家族の名前、友達の名前などが書かれた紙が文字が見えないように折りたたまれて入っていた。その中に、私の名前を見つけた。


「親愛なるAへ

 これを初めて開けたのが君なら、謝っておきたい。君には本当に悪いことをした。

 これを見ている君は何を思うのかな。自分を責める?いい気味だ、なんて笑う?それとも何も思わないのかな。他人だしね。勿論君に責任を問うつもりはない。

 気づかせてくれたのは君なんだから。むしろお礼を言わなきゃいけないかもしれない。まあそれは私のエゴってものかな。だって世間では絶対にそれは淘汰される思考のはずだもの。

 少なくともきっかけは君にあった。自分のことしか見られない私に、君が教えてくれたお陰。私という人間が無価値であること。むしろそれどころかマイナスにまでいくようなものを。

 私はあれから言葉に一層気をつけるようにしたんだ。お陰でどうにも自由に話すことも出来なくなってしまって。それがまた人を不快にさせるんじゃないかと思って私は無力感にずいぶん酷く苛まれた。独白だけは達者なんだけどね。

 まあきっかけなんて言うのも間違いかもしれない。本来だったらそんな軽い言葉がこんな結果を呼ぶなんて誰も思わないだろうから。実際には私の体の奥深くに眠っていた、無意識のそれを君が掘り出したと言うべきなのだろうね。だから一割ぐらいは私の過失。二割が君。残りが何か分かるかな?

 それは世界。これは自殺なんかでは断じてない。私は殺された。世界への恐怖が、この世界に殺された。

 だから君が責任を感じる必要はない。でも……そう思ってくれるならいいな。嫌な人間だね。

 もうそろそろ筆を置くよ。最後にもう一度謝っておく。君を、加害者にしてしまって、本当に済まなかった」


 滲んだ文字で綴られていた文は酷く感情的なものだった。私はまんまと自分を責めた。紙を取り落とし、ゆらりと立ち上がる。やり切れない思いで部屋を出た。

 手紙はビリビリに破いて捨てた。私が殺したなどと思う人はこれで居ないだろう。しかし心に張った根は深く、きっと死ぬまで残ったままだ。彼が私に言った言葉が私を傷つけ、私が彼に言った言葉が彼を殺した。

 私はきっとこれから自由に言葉も発することが出来なくなる。些細な言葉がまた人を殺すのではないかと常に怯えながら暮らす。程度は違えど彼と同じように。それも、死ぬまで。

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