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魔法使い

 魔法使いは自分の相棒である黒猫の暖かさをその手に感じながら、千佳たち家族を見守っていた。


「のぞき見とか、悪趣味じゃねぇ?」

「じゃあ、あなたは見ないのね?」

「ちっ」


 ずいぶんとこの相棒は態度が悪いけれど、本当は自分よりもずっと優しいから、本当は千佳たちをすごく心配していることを、魔法使いは知っている。魔法使いは寿命が長いから、同じ町に長いこと住むことはできない。とはいえ、人間のふっと息を吹けば飛んで行ってしまいそうなほどにはかない命からすれば、十分な長さなのかもしれないけれど。そんなものだから、親友、と呼べるほどに仲がいい人の子など、千佳が初めてなのであった。


 魔法使いはひとの子が嬉しそうにしているのが好きだから、もともと仲は良かったけれど、そんなふうに、親友にまでなったのは、あのひどい雨の日だった。


 涙をぽろぽろと流しながら立ち尽くす彼女に、気づけば魔法使いは声をかけていた。


『ねぇ、どうかしたの?』


 みぃ、と弱々しく震える猫を腕に抱いているのが見えて、魔法使いはようやく状況を把握した。だけど、迷った。助けることはできる。確実に。


『あぁ、黒猫……』


 だけど、この猫は助けたら使い魔になってしまう、と思った。長い寿命は望まぬものにとっては呪いに近い。大切な人が、ものが、自分の手から次々に零れ落ちていくのを、どうすることもできないでいるのは、自分の無力さを痛感するのは、辛いことだ。


 魔法使いは、『無理だ』と伝えようと、千佳の顔を見て、その時には『大丈夫。わたしの家に行こう』と言っていた。泣いている少女を、助けたかったのだ。それにもし、黒猫が嫌がったら殺せばいい、と魔法使いは考えた。できるだけ苦しまないで済むように、殺す。それは助けるときに生じる痛みよりも辛いことだとわかっていたけれど、それでも、この時はそれしか方法が思いつかなかった。


『いいの……?』

『大丈夫。まだ、助かるわ』

『これからわたしがすることは、全部秘密。いい?絶対よ』


 家に着くなり魔法使いはそう言って、猫に手を翳した。黒くて、汚いなにかが猫の体から出たと思うと、猫はとたんに元気になった。

 

 このことを見せたのは、ただの気まぐれだ。千佳の目が、深い悲しみでいっぱいだったから、早くそのきれいな瞳を幸せでいっぱいにしたかった。


 だから、だ。


 千佳が自分のことを心配して、泣きそうな顔をするなんて、思いもしなかったのだ。


『わたし、魔法使いなの。誰かの痛みとか苦しみをね、わたしに移すことができるのよ。病気は、無理なのだけれど』

『……辛かったよね』

『ううん、わたし頑丈なの。魔法使いはとっても長生きだしね』

『それでも』


 幼い千佳は、きゅっと唇を噛んだ。


『それでも、辛いのは辛いよ』


 魔法使いは信じられなかった。魔法使い相手に心配するものなどいない。なぜなら魔法使いだから。面白い、と思った。それから、彼女は千佳と仲良くなったのだった。そうして、その黒猫も。小さくて触れたら溶けて消えてしまいそうだったその猫は、『使い魔、面白そうじゃん』と笑った。予想外の言葉遣いに魔法使いは笑った。千佳とあってから、予想外のことが多くて、毎日が楽しかった。口が悪い癖に、撫でられるのが大好きで、主人である自分がが嬉しそうだとふんわりと笑って足元に甘えてくる猫も、たどたどしくも毎日あった楽しいことやうれしかったことを話す千佳も、次第に失うのが怖くなった。


『この猫も、長生きするわ』


 魔法使いは、だから、少しだけ弱音を吐くことにした。猫の背中を壊れ物を触るように慎重になでる。


『あなたみたいなわたしのことを知って、覚えていてくれる人がどんどん亡くなって、最後にわたしだけになることを心配して、わたしのもとに来たんだわ』


 猫は九つの命を持つ、という。本当は、少しだけ間違っている。使い魔となった猫だけが、九つの命を持つのだ。魔法使いが一人にならないよう、傍に寄り添うために。『そうかもな』と黒猫は答えた。それは字面だけならずいぶんと突き放すように思えるけれど、声色は自分への暖かな思いで満ちていた。それが、うれしくて、幸せで、魔法使いはうっかりすると何百年かぶりに、涙を流してしまいそうだった。


『わたしたちのことを、覚えていてね。忘れるまでで構わないから』


 千佳は大きく頷いてくれたのだった。こうしてけがを受け取った自分を心配して駆けつけてくれるのだから、本当にこの親友はたまらない、と魔法使いは思う。


 千佳は人を大事にするのが上手い。大事にされている、と魔法使いは思う。だからその分だけ、千佳の大事なものすべてを、大事にしたいと思うのだ。


(だって、私はあなたの親友で、魔法使いなのだから)


 魔法使いは、ガラスに千佳と莉乃の様子を移した。


(優しくて、一生懸命な子には、いいことがあってもいいはずだわ)


 千佳の手には、「楽隊のウサギ」が握られている。千佳はそっと、その本を盗んだ少女に渡していた。


「直ったんですか」

「ええ、言ったでしょう、直るって」


 少女は信じられないというように、ぽろぽろと涙をこぼしながらページをめくり、本をぎゅっと抱きしめた。


「ごめんなさい」


 そうして、莉乃にそっと差し出した。震える手。黒猫は、「意外だな」と言った。魔法使いもそう思った。莉乃が何も言わずに本を受け取ったからだ。


(人は、すごい速さで変わるのね)


 魔法使いは、莉乃が本のページを静かにめくるのをじっと見つめた。あるページで、その手が止まった。莉乃は勢いよく顔を上げ、千佳を見つめる。


「これ……」


 手紙だった。4通もある。依頼者の少女も顔を上げた。


「新しい、手紙も、ある……」


 語尾が震えていた。


「り……りの、へ……」


 莉乃は、ゆっくりとその手紙を読んだ。


「書き出しと言うのは、難しいね。伝えたいことはたくさんあるような気がするのだけど、うまく伝えられそうにないから、昔の話でもしようと思います。お母さんが青すぎる空に疲れたころの話。


 就職するために、たくさん面接に行っては、ダメだったから、どんどん自分が人間として不適格なんじゃないかって思ってたことがあったの。自分には価値がないって、思ってたのね。私は落ち込んで、人に当たったりもしたわ。当時から付き合ってたお父さんにも、ずっとむかしからの親友である彼女にも、たくさん迷惑をかけたと思う。


 本をたくさん読んで手に入れた、たくさんの希望の言葉を胸に、顔を上げて進もうとしたの。だけど、難しくて、引き返すたびに、お父さんと親友は、私のことを抱きしめてくれた。その時思ったの。いつか、私も、この優しさを誰かに送ろうって。


 莉乃。大丈夫。嫌いになんてなれないよ。私、莉乃がおなかにいるときね、莉乃と他愛もない話をたくさんしたかったの。

 

 たくさん、たくさん、したでしょう?きれいな花とか、面白い本とか、全部全部、あなたがいたから、その美しさも面白さも、ずっと増したの。知らなかったでしょう。莉乃は、私の夢を、かなえてくれたの。


 それにね、いいのよ、私たちに八つ当たりしたって。


 何があっても私たちはできるだけ、優しさをあなたに送るわ。だけどそれを、私たちに返す必要はないの。


 莉乃は、莉乃の新しくできた大事な人に、その優しさを送ればいいの。優しさは、送るものなのよ。だめね、うまく言えない。小説家でもないんだし、うまく言うのはあきらめるわ。だから、最後に一つだけ」





 莉乃は、スッと息を吸った。




「ありがとう、大好きよ」


 魔法使いも、うれしくて震えていた。誰かの人生に、自分が関わるということ、それは、生きているということだと、彼女は思っているからだ。


 ずっと、一人きりで生きてきたけれど、と魔法使いは猫をなでる。


(たくさんの優しさが、そばにあるのね)


 それは、世界中の人から拍手されるよりもずっと、うれしくて涙が出そうなことだった。


「お父さん、からも、ある……」


 莉乃は、手のひらでその涙をぬぐった。きれいな涙だと、千佳はいつかの魔法使いの涙を思い出していた。



「莉乃、まずは、ありがとう。


 俺は、思い出したよ。あの本、俺と莉乃の大好きな本だな。莉乃は昔、あの本の木をかわいそうだと言っていたよな。


 俺はそうは思わないんだ。最後に少年が船旅に出るために木を切るところで、『木はうれしかった。だけどそれはほんとかな』という言葉がある。


 それまでは、自分の一部を少年に与えることで少年が幸せそうにするのを嬉しそうにしてたのに。


 木はさ、搾取され続けることに、この時初めて悲しくなったんじゃないかなって、思ってたんだ。


 だけど、今、俺は違うんじゃないかって思う。


 木は、少年が船旅に出て、もう会えなくなることが悲しかったんじゃないかなって。いや、それも少し違うような気がする。悲しかったんじゃない。うれしかったけど、寂しかったんだ。たまにでいいから、顔を見たかった。声を聴きたかった。それだけで、満たされたんだ。


 俺なら、そうだ。たまにでもいいから、声を聴いて、たまにでもいいから、顔を見れたら、それで十分、これからの日々を生きていけるんだよ。


 それくらい、俺は、木は。お母さんは、莉乃が大好きなんだ。ごめんな、思い出すのが遅くなって。俺は迷子になってたみたいだ。帰る場所がわからなくなってた。こんなにも、帰る場所は明るい光を放ってたのに。


 まだ莉乃が小さかったころ、俺の冷たい手を、自分の手も冷たいのに、ぎゅっと握ってくれたことを、その手の感触を、今でも覚えてるよ。大好きだ」


 手紙の所々がにじんでいる。莉乃は父も泣きながら書いたのだと悟った。


「私、吹部に戻るわ」


 莉乃は涙を拭いてそういった。


「トランペットがふけるかどうかはわからないけれど、吹きたいって、思った」


 急いでその場を後にして音楽室にかけていく莉乃を追うように進んだ、本の修理を依頼した少女は、最後に本を直してくれた感謝とともに千佳にこう言った。


「先生は、魔法使いみたいですね」


 虚を突かれたように目をまん丸にした千佳は、次に花が咲くように笑った。


「その親友よ」






 さて、遠くでそれを見ていた魔法使いは気をよくして高らかに笑った。十分だ、と思った。これまでの苦労も全部、この瞬間に報われた。これだから、魔法使いは人間のことが好きなのだった。


 彼らは傷つけたことを忘れ、傷つけられたことばかり覚えているし、子供でさえ悲しいのに笑ったりするし、やがて必ず来る別れを驚くほど怖がったりする。正直魔法使いの理解を超えていることはたくさんある。それでも、こんなに、涙がこぼれるほど、素敵なのだった。


 そうして魔法使いは千佳たちを覗くのを止めた。「いいのか?」と黒猫が聞く。「いいのよ」と魔法使いは答えた。


「彼女は立ち直った。魔法はいらないみたいだもの」

「初めから、アイツの心の傷を治す気はなかったくせに」

「はて、何のことやら」


 魔法使いは、金平糖の入った瓶をゆすった。


「本当に、私たちは幸せね」


 彼女がそうつぶやいたのは、彼女の永い人生の中で、初めてのことだった。

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