事件簿2:凶悪暴走! コッカトリス・ライダー【前編】
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「純サン! 魚出汁中津国蕎麦です!」
給仕姿のエルフ少女、アリルが大きな器を慎重に両手で持ってテーブルに置く。
細い麺にたっぷりの熱々スープ。元の世界でいうところのラーメンそっくりな食べ物が、器の中で湯気をたてている。
あちちっ! と、熱くなった指先をエルフ耳で冷やすのが可愛らしい。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫ですっ」
「ならいいけど……」
指先がちょっとスープに触れていたけれど、美少女の指なら寧ろご褒美である。
今日の昼食は魚出汁中津国蕎麦。アリルの店自慢の一品を、昼休みに食べに来た。
南国産の「飛び魚」の出汁の香りに縮れた麺。見た目も味もラーメンにそっくりだ。ここの店主は奥の厨房で調理中だが、実は若い頃に世界を股にかけた冒険を繰り広げた元勇者。世界各地で美味いものを食い、舌が肥えているのか料理がうまい。
「どうぞ、熱々ですから気をつけてくださいね、純サン」
「おう!」
にこりと笑顔のアリル。若草色の髪を後ろで一つに結い、エプロンには『冒険者のキッチン・血の盃』という刺繍が入っている。
ちなみに「純サン」とは、俺の純作という名前と、巡査長という階級の呼び名を掛けたものだそうな。
「お代は850カチーとなります」
代金は即払いのシステム。食い逃げ防止だが、レベル79の戦闘力を持つ店主が切り盛りするこの店での食い逃げは死を意味する。
「あいよ。お釣りはいいから。ジュースでも買ってね」
俺は銀色の千カチー硬貨をアリルの手のひらに載せる。
「わぁ!? いいんですか?」
「いいともさ」
「ありがとうございます!」
空色の瞳を大きくして、エルフ耳をピンと立てて喜びを表す。
千カチーが日本円の千円ぐらいの貨幣価値がある。
千カチー銀貨10枚で金貨1枚、つまり1万カチーだ。
百カチー銅貨というものが庶民には使いやすい。10枚で千カチー銀貨1枚分。
王都の相場では、五十カチーもあれば屋台の「生搾り果物ジュース」が買えるし、惣菜を挟んだ調理パンなんかも百カチーから買える。
「んー、今日もいい出汁の香り。実に……美味そうだ」
さっそくレンゲでスープを味わう。
ふわりと魚出汁特有の香りが食欲をそそる。澄んだ琥珀色のスープの中に、蕎麦粉のパスタ。魚と野菜からとった濃厚スープに更に味付け肉の薄切りや温野菜、味付きの煮玉子などがトッピングされている。
この店の看板メニューだが、いまや王都のあちこちの店でも食べることが出来る。店によっても味が違うし、店主こだわりの秘伝スープ、趣向を凝らした手打ちの麺など、食べ歩きも楽しい。
「……美味い!」
舌先に感じる濃厚な出汁の味。干した魚――乾物のトビウオの香ばしい香りが口いっぱいに広がり、鼻に抜ける。魚特有の臭みは野菜の爽やかな味が消してくれる。
続いて、麺をハシでつまんでスープから持ち上げて、そのまま口に。ここでは音を立てて啜るのはマナー違反。ヌーハラなので静かに吸い込む。
ちゅるん。とスープを絡めながら口の中へ。なんという喉越しの心地よさ……!
「うーん、異世界でも食には困らんなぁ……至福のひとときだよ」
もうハシが止まらない。もう異世界グルメ探訪記でもいい。そう思わせる味わいだ。
そして俺の至福の時間の始まりだ。
アリルは俺が美味そうに食べる様子を見て安心したように立ち去ろうとした。
「あ、そうだアリル」
「なんですか、純サン」
「例の女勇者者……キャミリアの働きぶりはどうだい?」
温野菜をハシでつまみ、シャキッとした食感を味わう。
「キャミリアさん真面目に皿洗いとお掃除をしてくれていますよ! でもちょっと不器用でこの3日で金属製のお皿3枚、折りましたけど」
「はは……そうか。でも店主さんの寛大な処置に感謝するよ」
「えぇ、キャミリアさんが暴れた日。たまたまガリヒア店主が居なくてよかったです」
アリルが小声で肩をすくめる。
「ちがいねぇ」
元勇者のガヒリアと現役女勇者のキャミリア。中級クラスのふたりが店で激突していたら……それこそどうなっていたかわからない。
店の惨状に店主はカンカンだったが、心底反省し、土下座謝罪をした女勇者に免じて免じて告訴せず。
壊した皿と机の代金、迷惑料を含めて、3ヶ月タダ働きすることで話はついた。
「キャミリア! 次はその鍋を洗え! ぼやぼやすんな、店が忙しいんだからよ」
「……はい!」
厨房の奥からは店主のダミ声と、キャミリアの声が聞こえてきた。まぁ「まかない」も出るというし、なんとかやっていけるだろう。
問題の発端となった友達――ケルベロスのベティちゃん――の捜索は、報酬を払わねば冒険者組合も取り合ってはくれない。
王都警察には行方不明の捜索依頼は出しているが、人員を割いて探しに行くわけではない。冒険者や旅人へ「呼びかけ」を行う程度しかできない。森に入って死骸を見かけたら、その一部か遺品を持ち帰って欲しい。僅かばかりの報酬を差し上げます。という話になる。
友達のベティが見つかるのを祈るだけだが……。休日にキャミリアが一人で探しに行くのは構わないという。
「あぁ、スープうめぇ」
レンゲをテーブルに置き、行儀が悪いのは承知の上、直接器を持ち上げてスープを飲み干そうとした、その時だった。
店の外、通りの向こうが騒がしくなった。
人々の悲鳴があがり、騒がしい音が近づいてくる。
――ヴォンヴォ! ヴォンヴォヴォヴォヴォ! ヴァオン!
――パラリ、ラリラリ、ララリラリ!
「純サーン! 通りの向こうから……変なのが!」
「んー?」
アリルが窓の外を見て叫んだ。騒がしくなった通りの様子に、何事かと他の客にも動揺が広がる。
器を持ったまま立ち上がり、アリルの横から窓の外を眺める。
すると、100メートルほど向こう側から、乗用石化鶏が蛇行運転しながら近づいてくる。
――ヴォンボボボ、ヴォヴォヴォヴォ! ヴァオン!
――ヴォヴォヴォヴォ! ヴァオン!
騒がしい音は、石化鶏の鳴き声だった。極彩色も禍々しい、体長2メートルほどもある巨鳥。鋭いくちばしに爪もある。頭の天辺には怒髪天を衝くようなまっかなトサカ。
「暴走、石化鶏ライダーか!」
コッカトリスの首の後ろに鞍をかけ、変な格好をした若者が二人ずつまたがっている。金髪を逆立て変な服装をした異世界ヤンキー。現代の病巣、無軌道な若者だ。
下顎から左右にダラリと伸びた真っ赤な肉垂を、強引に引っ張ったり捻ったりするたびに、騒音のような悲鳴があがる。
――パラリーラ! ラリラ! ヴォヴォヴォヴォ! ヴァオン!
「ヒャッハー!」
「こいつぁ、ゴキゲンなサウンドだぜぇ!」
「オラ、どけどけぇ!」
馬車が急停車し、通りを行き交う人々が、右へ左へと逃げ惑う。
「純サン!」
エルフの娘が怯えた様子で俺の右腕を、ぎゅっと握る。
天下の往来での危険な暴走。このままではいつ怪我人が出てもおかしくはない。
俺は食べかけの器をアリルに手渡して、制帽をかぶり直した。
「……やれやれだ。」
――クソ共が!
アリルを怖がらせ、俺の昼食タイムを邪魔した代償は高く付くぞ。
<つづく>