絶望、そして光
黒い触手に貫かれたレイハール刑事の全身に、黒い侵食領域が広がってゆく。
「う、ううっ……!」
「レイハール刑事ッ!」
「近づけないでゴザるッ!」
次々とムチのように闇の向こうから襲いかかってくる黒い触手を相手に、駆け寄ろうとした他の警官たちも近づけない。向かってくる鋭い触手の先端を避けるので精一杯なのだ。
「ジュンさん! 左から来ます!」
「うらあっ!」
俺はポリカーボネイト製の盾を構え、槍のような触手を受け流した。衝撃は激しいが攻撃は防げた。流石は最先端のハイテク素材だ。
気力を振り絞りながらレイハール刑事が短銃を構えた。
「く、光で導かねば……!」
タン! タタン!
触手が攻撃してくる闇の向こうに向けて、次々と魔弾を放つ。
彼女が放った魔弾は幾条もの光跡で闇を切り裂き、消えない照明弾のように敵の姿を浮かび上がらせた。
「あれが、本体でゴザルか!?」
立ち塞がる山、あるいは巨城だと思っていた黒い塊の正体は、出来損ないのジャガイモのような形をしていた。
ボコボコと絶えず形を変える本体から、無数の触手がうごめいている。
「みんな、必ず……倒して」
魔弾を撃ち尽くすと、エルフの女刑事は力尽きた。全身が黒いブロンズ像のように変色し、その場で動かなくなった。
「レイハール刑事ッ!」
「なんということでごわすか……!」
「許さないでゴザルッ!」
岡っ引き姿のジェニーガータ・ヘイリーが、反対側から『投げ銭』を浴びせかけた。ビシビシッ! と命中音がして敵の本体が揺らぐ。
「テメェ! バケモンが!」
金髪のニューヨーク・マッテンローがヘイリーに続いて、魔弾を詰めたショットガンを撃った。
ズバチュッ……! と広範囲に黒い球体が弾け、触手が千切れ飛んだ。
だが、すぐにブクブクと周囲の泡のような器官がダメージを覆い隠す。
巨城のように見えた敵の本体は、泡立つ目玉のような器官の集合体だった。黒い無数の球体がブクブクと蠢いて傷を塞いでゆく。
「なんでゴザルか!?」
「こいつ、魔弾が効かねぇのか!?」
「落ち着いて! 魔弾は効いています。ですが表層が常に入れ替わって自己修復しているんです。貫通力の弱いショットガンでは表面を傷つけるだけで、倒せません! 貫通力のある弾丸があれば……」
名探偵を名乗るアケチ警官が、冷静に敵を分析していた。
「しかし貫通力の高い弾丸を放つことが出来るのは……」
軍用拳銃を持っていたのは、ゴスペラルド刑事だが、彼は既に倒れている。
「ならば全員で一点集中攻撃を! 連続攻撃で再生の時間を与えず――」
次の瞬間、数本の黒い槍がアケチの身体を貫いた。魔法のゴーレム馬だけが走り去り、闇に消えた。
「ごふっ……!」
空中に浮いたアケチ警官の身体は、触手が抜けると共に地面に落下する。
アケチ警官の身体は、ビキビキと黒く変色し動かなくなった。
「アケチ!」
俺は叫びながら無我夢中で短銃を数発放った。触手を断ち切るが、すぐに弾切れし、カチカチと引き金の音が虚しく響く。
「アケチ殿までもがやられたでゴザルッ!」
「シイイット! なんてこった」
「このままではマズイでごわす……!」
「みんな……、アケチの言ったとおり集中攻撃だ!」
俺たちは一度怪物から距離をとりながら再び隊列を組みなおして、改めて突撃を試みる。
レイハール刑事の残してくれた魔弾の光跡が今も輝きを保ち、不気味な敵の体を照らしている。
狙うは敵の真正面、一点集中攻撃だ。
俺は魔弾をリボルバーに装填した。残弾は10発。切り札の特殊魔弾は5発あるが、今はまだ使う訳にはいかない。
「あれがヨドミーなのか……!?」
「わかりません。ですが実体のある相手ならば倒せます!」
「だといいが……」
俺とキャミリアの乗るケルベロスが真っ直ぐに突進する。
襲いかかってくる二本の触手に対し、二発発砲して1本を破壊する。
「公務執行妨害だぞ、てめぇ!」
撃ち漏らした触手の衝撃を盾で防ぐ。
「はっ!」
「助かったぜ!」
キャミリアがすかさず腰からショートソードを抜き払い、触手を切断する。
「こいつら、柔らかいミミズ程度ですが……キリがない!」
更に接近し敵との距離を詰める。
あと20メートルの地点まで接近したところで、ヘイリーとニューヨーク・マッテンロー、カイバラが乗るゴーレム馬が速度を上げ前衛となった。
「無茶するな!」
「拙者たちが道を切り開くでゴザル!」
「バケモンの腹をブチぬいてやるぜ!」
「最高の料理をお見せするでごわす!」
先頭をヘイリー、続いてショットガンを構えるニューヨーク・マッテンロー。そして手に魔法の出刃包丁を構える料理人、カイバラ警官が続く。
「くっ……俺たちも続くぞ!」
ケルベロスに跨ったまま、魔弾を装填したニューナンブ・カスタムを構える。
キャミリアも魔法剣を構えると、付与された魔法を励起。邪悪を祓う光を纏う。
「オラァ! くらえクソ野郎が!」
巨大な化け物まで15メートルまで接近したところで、先頭を行く二人が引き金を引いた。
ニューヨーク・マッテンローがショットガンを撃ち放ち、拡散魔弾を広範囲に叩き込む。正面の触手が次々と根本から千切れ飛んだ。
「最後の投げ銭、くらうでゴザル!」
更に隙きを見て走り込んだヘイリーが、ゴーレム馬の上から、見事なフォームで束ねたコインの塊を投げつけた。
敵の表皮に命中した途端、深くめり込んで爆発する。ドバチュァ……! と粘液質の音を響かせると、ぽっかりと黒い穴が開いた。
「いまでゴザル!」
「ドテッ腹にブチこんでやれ、ジュン!」
ヘイリーとニューヨーク・マッテンローは、ゴーレム馬を操ると左右に避けた。
続いてカイバラが、左右から迫る触手を魔法の出刃包丁で鮮やかに料理。隊列を防御する。
「食材にはならないでごわすね!」
「サンキュー! みんな!」
いよいよ俺たちの番だ。
「頼むベティ!」
『ガウアッ!』
ケルベロスのベティが、がら空きとなった怪物の真正面に火炎のブレスを吐きかけた。途端に黒く泡立つ怪物が炎に包まれる。
悲鳴こそ発さないが怪物は身をよじる。表面の粘膜に引火し炎の勢いが増す。
「くらえ! ――聖光振動破!」
キャミリアが怪物の真正面、5メートルの距離で魔法剣を振り抜いた。
輝く剣が描く軌跡がそのまま刃となり放たれる。
ズシャァアアア! と地面を這うように三日月型の光の刃が迸り、命中。黒い怪物の開口部をズタズタに斬り裂いた。
開口部の奥に、幽かな青白い鬼火のような輝きが見えた。
「おそらくあれが、化物の中枢でごわす!」
「わかるのかカイバラ!?」
「おいどんは料理人でごわす! 食材を新鮮に保つための部位、生命の源が視えるのでござ……るッ!」
バックリと開いた黒い怪物の体内へ、カイバラ警官はゴーレム馬ごと突進。そして魔法の出刃包丁を振りかざすと、青白い鬼火を灯す器官へと突き立てた。
バリバリ……! と硬い外殻のような部位を、力任せに包丁で引き剥がしにかかる。
「くらえ、斬舞おろし……!」
『――ア”ア”ア”ア”ア”!』
形容詞しがたい絶叫が響いた。
切り裂かれた中枢から青黒い稲妻がほとばしり、カイバラ警官を包み込んだ。
「く、工藤巡査ッ……! トドメを……!」
それがカイバラ警官の最期の言葉だった。身体が明滅する青い光と共に消滅し、その向こう側に脈打つ青い光の球が見えた。
「カイバラ警官ッ! くそぁあああッ!」
俺は引き金を引いた。
一発、二発、そして三発目の魔弾が、明滅する青白い光を貫いた。
ギィン!
確かな手応えがあった。
弾丸が命中したのだ。
金属が叩きつける衝撃音と同時に、光が炸裂する。
「くっ……!?」
「ジュンさん!」
思わず目を塞ぐが、光に包まれても身体はなんともなかった。
巨大な黒い塊は次々に連鎖反応を起こし、音もなく爆発四散してゆく。黒い泡が分解し、触手も次々に千切れ落ちる。
周囲には破砕した怪物の破片が散らばっていたが、やがて光の粒子となり消えてゆく。
ついに巨大な黒い怪物を倒した。
ゴスペラルド刑事、アイルズ・レイハール刑事。それに、アケチにカイバラ……。死闘の末、多くの仲間を失いながら倒したのだ。
もっとも、あの怪物が『ヨドミー』と呼ばれる『暗黒侵食領域』の中枢なのかはわからないが。
「や、やったか……?」
思わずつぶやいた時。
キャミリアが背後で身体を強張らせるのがわかった。
「あ……あぁ」
「キャミリア?」
「逃げるでゴザ――」
ヘイリーの叫び声が聞こえた。
振り返ると、無数の触手にヘイリーが貫かれた。
「ヘイリーッ!?」
「シイッ……ト!」
更に、弾が尽きたのか為す術を無くしたニューヨーク・マッテンローが、同じく無数の触手の槍に貫かれた。
二人の身体はみるみる黒く変色し、その場に墓標のように立ち尽くし動かなくなった。
「ば、ばかな……そんな、そんな……」
「ジュンさん、こんなの無理です」
キャミリアの悲痛な声が耳に届く。
気がつくと、周囲には何体もの怪物たちが這い寄ってきていた。
「こ、こいつら……!」
近寄ってきたのは同型の怪物たちだった。闇の向こうから、黒く泡立つ身体と触手をもつ巨大な怪物が、ズリズリと近づいてくる。
周囲をぐるりと取り囲むように、何体も。
十体、いや……もっといるだろう。
――絶望的。
そんな言葉しか思い浮かばない。
「キャミリア、すまないがベティと逃げてくれ」
俺はベティから下りた。
「そんなダメです!」
「俺こいつらをが引き付けるから」
「馬鹿なことを言わないでください! 私は……私は!」
「一緒にいたかったがダメだ」
怪物たちは俺たちに気がついたようだ。ジリジリと包囲網を狭めてくる。
「どのみち逃げられません。ここから抜け出しても世界はどうせ闇に飲まれます」
「キャミリア……」
キャミリアもベティを下り、地面に立った。
確かに、そのとおりだった。
最後の希望として託された、俺の役目はここで終わるだろう。
魔弾は残り5発。
切り札の特殊魔弾を放つべき真の敵さえも見えないのに。
「せめて、最期ぐらいはお供を」
「……しょうがない」
「戦いましょう」
「あぁ!」
もう吹っ切れたように笑うしか無かった。
「でも、私にも心残りはあります」
「あぁ。ミケに会えなかったことだ」
ミケの身体を抱きしめて、ネコミミを撫でたかったなぁ。
「……クドー」
にゃーと、ネコの鳴き声のような、か細い声が聞こえた。
キャミリアと思わず顔を見合わせる。
「え?」
「今?」
「ミケはここだニー」
もぞもぞと、ベティの背中にくくりつけていた荷物入のバッグが動いた。
「まさか……」
「おいおい!?」
ベティの背中にのバッグの蓋が開き、中から猫耳がふたつ、ぴこんと立った。そしてミケが顔をのぞかせた。
「ミケ! どうして」
「なんで来たんだよ!?」
俺もキャミリアも周囲の状況など忘れ、思わず叫んでいた。
「クドーと一緒にいたかったニー……」
「ばか! こんな危ないところに!」
すぐに駆け寄って、その小さいネコ耳の幼女を抱きしめた。腕の中の温もりは、確かにミケだった。
「ニー」
「死ぬかもしれないんだぞ!?」
「どうせミーはいちど死ん……」
と、ミケが言いかけたところで、触手が襲いかかってきた。
『ガウッ……!』
ケルベロスのベティが体を張って防ぐが、奮闘虚しく次々と触手が突き刺さる。
「ケルベロスが!」
「ベティッ! おのれえええっ!」
キャミリアが魔法の剣を振り、触手を切り払う。だが既に巨大な黒い怪物は二体、三体と近づいてくる。
「くそっ!」
俺も弾丸を放つがすぐに弾切れになった。
ベティも既に首が2つ黒く変色し、右半身も黒く変色し始めていた。
『ガルルル……ッ!』
それでも必死に相棒のキャミリアと共に戦い続ける。何本かの触手を食い千切るが、ついに崩れ落ちた。
「ミケはここに!」
「クドー」
ミケをポリカーボネイト製の盾の裏側に隠し、最後の弾丸を込める。
「ずりゃぁあああッ! よくも、よくもぉおおおッ!」
キャミリアが巨大な怪物に魔法剣で一太刀を浴びせかけた。
渾身の一撃で怯んだように見えた黒い怪物は、すぐに傷口を塞ぐ。そして無数の触手をしならせながら高々と持ち上げた。
狙いは女勇者キャミリアだった。
その数ざっと数十本。一斉に攻撃されたらひとたまりもない。
「お前が、私の死か」
女勇者キャミリアの瞳に絶望は無かった。
凛として気高く、魂は決して屈してはない。
「ジュンさんありがとう。わたしは――」
魔法剣を構えると、俺に向かって静かに微笑んだ。
「キャミリ……!」
一斉に触手の槍がキャミリアに向かって放たれた、その時。
まばゆい光条が、触手を薙ぎ払った。
「なっ……!?」
まるでビーム砲のような光に、思わず目がくらむ。
背後に居た黒い怪物たちが、次々と破裂し爆発四散するのがわかった。
「なにぃッ!?」
キュドバババと爆発が連鎖し、衝撃波が突き抜けた。周囲を赤々と照らす炎に、黒い怪物たちも混乱している。
体を激しく左右に揺り動かしながら触手を空に向かって伸ばしている。
続いて感じたのは、風切り音と翼の音だった。
見上げると、ゴゥウウ……! と真上を通り過ぎてゆくシルエットには大きなコウモリのような翼と、長大な蛇のような尻尾があった。
「ド、ドラゴン……!?」
「あれは『闇森の魔女』……!」
キャミリアが上空を旋回するドラゴンを見上げ、叫んだ。
『――どうせ世界の最後なら、足掻くのも悪くないわ』
<つづく>




