闇の中の死闘
ケルベロスのベティが、前方に立ち込める黒い霧を凝視する。
三つの首が左右と前方を同時に警戒している。
「ベティが何かの気配を察知しているようです」
勇者キャミリアが、ケルベロスの背に跨ったまま静かに魔法の剣を抜く。
「この闇の中、進むだけも難儀してるのに」
俺は左手でポリカーボネイト製の盾を構え、右手でホルダーから銃を取り出した。
弾丸は通常の対魔法徹甲弾だ。
周囲は魔法の明かりによる支援も届かない闇。
トンネル奥のような袋小路にさえ思える。他の六名の王都警察突入隊も、魔法の乗馬型ゴーレムの速度を落とし歩調を合わせた。
「……なんだ、ありゃぁ?」
「やばいぜ……」
前方の闇の霧が凝縮し、濃淡が生じたかと思うと異形の人形を成す。
それは黒いゴム人間のような怪物だった。
身体は細く、四肢も異様に長い。表面がヌラッとした質感で背後からの魔法の光を受けて黒光りしている。
小さな頭部に赤いルビーのような双眸が揺らめく。
赤い線のような裂け目が口のあるべき部分に生じると、まるであざ笑うかのように両端を持ち上げた。
「な、なんだぁ!?」
「沢山いやがるぜ!」
数はまたたく間に十体を超える。
黒いゴム人間のような怪物は、ゆらり……と近づいてきた。
「おい、止まれ!」
ダァン! と発砲音が響いた。閃光と衝撃音。
黒いゴム人間の上半身が「バチュッ!」とうす気味の悪い音を立てて弾け飛んだ。
斜め前方、十時の方向へ対魔法散弾を放ったのは、金髪のニューヨーク・マッテンローだった。
奴が持つのはショットガンタイプの銃なので、狙わなくても広範囲の相手に有効だ。
何よりも突進してくる相手を止める力が大きい。
「おいニューヨーク・マッテンロー警告もなしに撃つんじゃぁ、ない!」
タァン! とまた発砲音。
今度は二時の方向から向かってくる敵に、特殊捜査第一係のゴスペラルド刑事が発泡したのだ。
手にしている大型拳銃は、ドイツ帝国軍のモーゼルC96にそっくりだ。
弾丸が命中した黒いゴム人間の胸に大きな穴が空き、やや遅れてパチンと弾け飛んだ。
「こいつら大したことないネ!」
「突破するぜ!」
血気盛んな二人は、魔法の弾丸を発砲しながらじりじりと前進する。
敵の数は多くはない。
しかも、ヒタヒタとゾンビのような足取りで近づいてくるだけだ。
「闇の尖兵、というわけですか」
「すんなりとは行かせてくれないようだが、これなら突破できる!」
俺も前方の黒いゴム人間に向けて発砲。確実に一体を仕留める。
「ジュンさん、手応えが無さすぎます……!」
キャミリアが背後から緊張した声で耳打ちした。
――確かに。
違和感を感じた、その時だった。
側面からユラリと現れた一体が、隊列の右を守っていたゴスペラルド刑事が乗るゴーレムの馬の脚に掴みかかった。ブニョン、と柔らかい腕を絡ませるとゴーレムが急停止。
ゴスペラルド刑事は地面に投げ出された。
「くっ!」
なんとか着地するも、別の黒いゴム人間が右腕に飛びついた。
「こいつ……っ!? 離れろッ」
蹴飛ばすようにして引き剥がし、倒れたところへ銃を二発発砲。
バチュン! と湿った音とともに弾け飛ぶ。
だが、次の瞬間。
ゴトリ……と右腕に持っていたはずのモーゼルC96が地面に転がり落ちた。
「な……?」
「あぁっ!? ゴスペラルド刑事ッ! 腕がっ……」
後方に居た料理警官、カイバラが叫ぶ。
悲鳴のような声に、一番驚いていたのはゴスペラルド刑事本人だった。
黒く変色し、崩れて無くなった右腕を呆然と見つめ、
「――こいつらに触れるんじゃぁ……ないッ!」
怒号のように叫んだ。
そして残った左手で銃を拾い上げると、振り向きざまに次々と弾丸を発砲。ワラワラと集まっていた黒いゴム人間たちを蹴散らした。
「触れると、身体が消えちまうでゴザルか!?」
「や、やばいでごわす!」
陽気なヘイリーも流石に青ざめる。投銭を三枚、目の前にまで迫っていた黒いゴム人間に叩きつける。ボチュッと穴が三つ空き、鈍い音とともに破裂する。
「ゴスペラルドッ!」
エルフの女刑事アイルズ・レイハールが慌てて駆け寄ってきた。
「お前は魔法の弾丸で……照明を、光を絶やすな!」
「でも……!」
悲壮な表情でゴスペラルド刑事の背中を支える。
「全力で走れ……!」
「貴方を置いては行けない! 馬に二人で乗って」
「この馬は俺とお前は乗せられない! どのみちこの腕では手綱を握れん! 俺に構わず行くんだ」
「でも……」
「工藤巡査と共に……行くんだ! 世界を救え!」
「ゴスペラルド……!」
手を伸ばし頬に触れるエルフの女刑事。
「俺がここにいれば奴らを引きつけられる! その隙に進むんだ!」
躊躇う相棒の背中を押し出しながら、ゴスペラルドはもう一度叫ぶ。
そして口で銃を咥えると弾倉を抜き取る。過熱した銃はかなりの高温だが、それにも構う様子もない。ポケットから予備の弾倉を取り出してセットすると再び構える。
周囲の闇がまた凝縮し、不気味な人形を成す。黒いゴム人間は地面に落ちたゴスペラルドに明らかに引き寄せられている。
「ここは俺が食い止める……!」
俺たちに向かって叫ぶと、立て続けに発砲。近づいてくる敵を蹴散らす。
その瞳には確かな決意があった。
命を賭して俺たちに進めと言っている。
「進みましょう、ジュンさん!」
「くっ……行こう!」
確かにこれ以上ここに留まっはいられない。
「ベティ!」
キャミリアが叫ぶとベティの真ん中の首が炎のブレスを吐き出した。ゴオッ……! と火炎放射で正面の黒いゴム人間を焼き尽くすと、突破口が開けた。
俺たちは闇の中を再び速度を上げて走り出した。
背後で銃声が閃光とともに何度か轟いたが、それもやがて遠ざかった。
ゴスペラルドが全て引きつけてくれたのか、黒い不気味な追っ手は居なかった。
「すまん……!」
――無事でいろよ、ゴスペラルド刑事……!
ゴスペラルドが脱落し抜け、手薄になった右側にエルフの女刑事が並走する。
「僅かですが魔法の明かりを灯します」
エルフの女刑事アイルズ・レイハールが、腰から短銃を取り出した。
前方の闇に向けて構えると、発砲。
パン! という音とともに黄金色の光の道が生じる。
「おぉっ! 明るいでゴザル!」
「レイハール刑事の魔弾、『改心の輝き』でごわす!」
まっすぐ前を見据えるエルフの美しい横顔には、涙が光っていた。だが、その瞳に迷いはなかった。
光の道に導かれ、俺達は進む。
だが1分も経たないうちに光は弱まり、闇が周囲を支配した。
再びレイハール刑事が発砲。光の道が波のように広がってゆく。
俺たちはレイハール刑事が切り開いてくれた光の道を、突き進んだ。
どれほど進んだだろうか。
やがて、前方に何か巨大な黒い塊が見えてきた。
まるで魔王城のような威容が立ちふさがる。
突入隊は速度を落とし立ち止まった。周囲を警戒するが黒いゴム人間の気配はない。
「これは……!?」
「城……でしょうか?」
レイハール刑事の魔弾で照らしても全容がわからない。
「私の魔弾も残り少ない。人の心に光を取り戻す『空砲』では――」
とその時だった。
ビシュッ……! と空気を切り裂く音。
気がつくと、黒い槍がレイハール刑事の胸を刺し貫いていた。
「ぐ……はっ!?」
「レイハール!」
「レイハール刑事ッ!」
胸から徐々に黒い侵蝕域が広がってゆく。レイハール刑事がゴーレムの馬から滑り落ちた。
ずりゅっ……と槍が抜けた。それは触手のように蠢き、闇の向こうへと消えた。
「散開しろッ……!」
金髪のニューヨーク・マッテンローの声に弾かれたように、俺達は一斉に散った。
直後、俺達が立っていた場所に黒い槍が次々と突き刺さった。
<つづく>




